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2024年1月 熊本の鉄道を楽しむ(19)菊池電車 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

「路面電車」という言葉が、実は非常に奥が深い。
安定の(?)、Wikipedia で「路面電車は軌道法の適用対象であり、鉄道事業法に基づく一般の鉄道とは明確に区別されている。」とあるが、自分の見解はその反対で。

準拠法令が軌道法というのであれば、(変遷はあれど)一部のモノレールや地下鉄も該当してしまう。道路の中央に橋脚が立てられていたり、道路の下にトンネルを掘ったりしているため。そこまで“極論”でなくても、多くの趣味誌で路面電車として扱われる筑豊電気鉄道などの例もある。

「道路上に軌道が敷かれている(併用軌道)」というなら、東急世田谷線や筑豊電気鉄道などの例外ができる。さらに、京阪大津線や江ノ電のような“グレーゾーン”が。さらに、かつての名鉄線、犬山橋のような区間を“路面電車”という人は居ないだろう。

「普通鉄道に比べて小型車体の電車で、路面からの乗降に適したステップがある」というのを基準とすれば、ホームの嵩上げとともにステップレス化した都電荒川線の例や、かつての福鉄福武線200形のような高床の車両、さらに直通先として低床車を導入した、えちぜん鉄道などの例外が...

国交省の資料で路面電車として扱われている路線という区分もあるだろうが、それだって趣味者の認識とは違いがあると言わざるを得ず。

この「路面電車」の“定義”と、その指し示す路線・事業者の範囲については、これまでにさまざまな考え方が提示されてきて、鉄道趣味誌でも「本誌では...を今回の対象と考えました」的な断り書きが入るのが通例となっている。

だから、この話題だけで<変態鉄>の考え方をまとめても2〜3日は記事を書けるのだろうが、ここは撮影記を急ぐとして。
熊本市電を撮り終えて、向かったのは熊本電鉄...菊池電車の藤崎宮前〜黒髪町の併用軌道区間。

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【2024年1月11日11時35分】 熊本電鉄藤崎線・藤崎宮前-黒髪町

ちょうど、電車が通り過ぎた直後のタイミングだったようで、生活道路の片隅でカメラを持ってジッと佇む...という単なる不審者として、しばらく過ごしたのだった。

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2024年1月 熊本の鉄道を楽しむ(2)宮崎駅 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

大相撲は千秋楽が近づくにつれ、盛り上がるという最高の結末で。何と言っても嬉しかったのは琴ノ若の大関昇進。
それでも、やはり本人がインタビューで涙を流していたように、やはり横綱に勝って優勝してほしかったと思うところも。そして、初場所が終われば、まもなく2月。自分自身にとって忙しい時期を迎えるのである。

その前に...

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【2024年1月10日10時17分】 宮崎空港線・宮崎空港駅

1月はできるだけでかけたいと思っていた。おかげさまで小湊鐵道へ2度、そして、いすみ鉄道も。さらに、この熊本への旅で、令和2年10月...だから3年半かかって、全国40社の第3セクター鉄道の「鉄印」をすべて集めることができたのだった。

今月、残念ながらスケジュールの関係で断念せざるを得なかったのは阪堺電車モ161形車。1月31日で運行終了だが、来月以降、あるいは5月の連休に何らかのイベントが開催されて、撮りに行くことができるのを願っている次第。

さて、それでは、1月10日の九州の話題。最初に訪れることにしたのは、くま川鉄道湯前線。起点となる人吉温泉駅は数年前の大雨による球磨川の氾濫による肥薩線の長期不通で、鹿児島側からも熊本側からも、鉄路でのアクセスができない状態が続いており。
くま川鉄道のウェブサイトにも書かれているように、高速バスでのアクセスに限られる。実は、人吉ICバス停には、福岡(天神)、熊本、新八代、鹿児島、そして、この宮崎と、本数で見てもネットワークで見ても、通常から、高速バスの方が充実しており。今回は宮崎駅からの「なんぷう」号で人吉に向かうことにした。

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2023年撮り納めは小湊鐵道(2)久留里線 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

千葉県は明治期以来、道路整備が遅れており。鉄道連隊を上手に活用して...という実に虫の良い話で県営軽便鉄道を各地に整備することになって。その1つとして開業したのが県営軽便鉄道久留里線(木更津〜久留里)である。1912年(大正元年)の年末に開業している。
しかし、762 mm軌間だったこともあって、開業後も木更津線(現在の内房線)とは分断されており、現在の久留里街道などの並行道路が整備されるとバスや馬車輸送にシェアを奪われ、当初から、経営は非常に厳しかったとか。

この直後、改正鉄道敷設法に木更津から大原までの木原線が盛り込まれると、渡りに船とばかりに軽便鉄道を国に無償譲渡することを県会で満場一致で議決、1923年(大正12年)9月1日に国に移管された。これが、ぬぁんと関東大震災の当日だったのである。

改軌され“木原東線”として上総亀山までは延伸されるが、現在の君津市と大多喜町、内房と外房の境界にあたる区間は、結局、敷設工事らしい工事もされないまま、小湊鉄道の上総中野延伸を以て、“房総横断鉄道”は完成したと見做され、いまに至るのだった。

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【2010年5月1日14時19分】 久留里線・久留里-平山

房総半島の中央部には標高200 m級でも山があって、そこが分水嶺となって、人、モノの流れを見ても現在も房総半島の東と西では分断されている感もあって。

それにしても、その山間部、城下町として栄えた大多喜などがある位で、それほど大きな街も無かったのにもかかわらず、鉄道路線が、東(外房)側からは国鉄木原線(いすみ鉄道)、西(内房)側からは小湊鉄道と久留里線と3路線もあったというのが、スゴいとも思える。車両のこともあって、最近はなかなか訪れる機会が無かったのが久留里線である。ちゃんと撮りに来たのは、2010年5月の大型連休、キハ30形の3連運行が行われたときだった。

ちなみに、この編成の3両すべてが現存しているというのもスゴいところ。この3連、先頭はキハ30 100号車である。

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2023年撮り納めは小湊鐵道(1)木更津へ [<鉄>な撮影記・旅行記録]

12月30日の記事で、今年、よく読まれていた記事について取り上げたが、その次の...
この小湊鉄道撮影記の<速報版>が、わずか1日で、それを凌駕する勢いで...、もしかしたら、2023年最後の記事が2023年に一番注目された記事だったのかも知れない。

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【2023年12月30日15時23分】 小湊鉄道線・五井駅

いつもなら、朝7時に自宅を出て総武快速線、内房線経由で五井に向かうのだが...

以前、月崎駅近くで撮ったとき県道の案内標識に「久留里」の文字を見つけて以来、気になっていた。調べてみれば、月崎駅と久留里駅の間は約7 km、徒歩1時間半とのこと。真夏の猛暑なら辛いが、今の時期なら無理なく歩けそう。地図を印刷してバッグに入れ、「撮影」と言っても標準ズームレンズ1本だけ、三脚も持たない超軽装で早朝の井の頭線に乗り込んだのは、12月30日の朝。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(23)北海道新幹線「はやて93号」 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

“国鉄”というのは、実は、「日本国有鉄道」という組織(公社)になったのは戦後のこと。
<変態鉄>が物心ついたときには、国鉄は赤字が嵩み、労使も拗れて、にっちもさっちも行かなくなっていた。分割民営化されて新生JRになったのは激動の昭和が終わろうとしていたとき。だから、「日本国有鉄道」というのがあった期間というのは40年ほど。

そこから平成を経て令和になって...、いつの間にか、JRは国鉄と同じ期間、続いてきたことになって。

日本の経済、社会環境も変わった。特にいま、この国は年間に80万人の子どもが生まれ、160万人が亡くなっていく...例を見ない人口減少時代に突入しており。もちろん、全国で人口が一斉に減少するわけなどあろうはずもなく、全体で減っていきながら東京エリアに吸い上げられていく部分もあって。東京から離れれば離れるほど人口減少のペースは速まっているようで、もはや公共交通としての鉄道路線の維持...どころか、社会インフラや行政システムを、どうやって維持すべきか...というレベルに至っているわけで。

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【2023年10月26日9時08分】 道南いさりび鉄道線・木古内駅

北海道も、かつての鉄道地図ではいろいろな路線の名前が...
でも、国鉄末期に廃線となった線区が多く、特定地方交通線から3セク転換されたのは池北線、北海道ちほく高原鉄道だけだった。それも2006年に廃止となり、北海道は3セク路線の“空白区”でもあった。

しかし、北海道新幹線の開業に伴って、並行在来線となった津軽海峡線(江差線の一部 ; 五稜郭〜木古内)が3セク化されて。「道南いさりび鉄道」である。

自分にとっては特急化の前...快速「海峡」号で通過して以来の区間である。その「鉄印」は木古内駅前の道の駅なのだが...
最後の朝は早朝、盛岡の旅館を出て、朝一番の新幹線で。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(15)快速「はまゆり1号」 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

いつの間にかJRグループからは「(普通)急行列車」という種別は定期列車からは無くなっていたようで。
急行列車は「準急行」「急行」「特別急行」に分かれており、それぞれに準急料金、急行料金、特急料金の設定があった。昭和40年代、準急を100 km以内の列車に限定して、ほかは急行格上げ、残った準急も急行と料金を一本化して事実上、消滅したのだった。

<変態鉄>が生まれたときには国鉄線上に「準急」は無く。
でも、<変態鉄>が全国を彷徨いた学生時代には、特急に押されながらも夜行を中心に急行列車も残っていた。ただ、「急行型」に相応しい車両というのは国鉄末期からごく一部の例外以外は製造されておらず、急行型車両の老朽化については、特急格上げか、快速格下げで対応していた。
2000年代に入る頃には「急行」自体が風前の灯になっていて。

そんな中、JRが急行列車用の車両を新製したというケースが。

90年代、急行列車の中で早くに置き換えられたのが、急行「陸中」号だった。

県都・盛岡と三陸海岸の製鉄の街・釜石を結ぶ列車は、ビジネス利用なども見込める列車として急行として残されていたことは容易に想像できる訳で。

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【2023年10月25日8時28分】 東北本線・盛岡駅

非電化区間の急行といえば、キハ58系なのが当たり前だった時に、JR型のキハ110系に置き換わったのだから...
<変態鉄>としては残念だったのだ。でも、その急行「陸中」号も快速列車に格下げされ。現在は快速「はまゆり」として運転されている。
外観はローカル列車として走るキハ110系そのものであっても、車内は回転リクライニングシートが並んでいて。

快速にはなっても、いまも国鉄時代からの急行列車の姿を色濃く残して走っている列車かもしれない。
盛岡駅 8:40発の「はまゆり1号」で釜石に向かったのだった。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(13)秋田新幹線「こまち28号」 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

国鉄が分割民営化されたのが1987年(昭和62年)、「国鉄を知らない子どもたち」も既にアラフォー世代になっているわけで。
自分はかろうじて“国鉄”を知っている世代だが。それでも、記憶に残っているのは浅草橋駅が放火された...とか「ストばかりして揉めているところ」という、何だか怖いところという印象くらいか。

クリーム色の車体に赤のライン...485系を筆頭に「国鉄特急形」も、伯備線の381系を最後に、まもなく姿を消すことになっており。

「特急列車の旅」というのも...
この日の朝、「つがる1号」に乗ったのが、かなり久しぶりのことだったような。在来線特急で旅することが少なくなっており、さらに“特急列車”と通勤ライナー...有料の着席サービスのある通勤列車というのとの差がなくなってきており、そういう意味では「ミニ新幹線」の在来線区間というのは、ある意味、古き良き特急列車の旅というものを残している存在かもしれない...と、そんなことを思いながら盛岡に向かったのだった。

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【2023年10月24日14時59分】 東北新幹線・盛岡駅

角館駅からは、13:50発の「こまち28号」。本来は全車指定席だが、盛岡 〜 秋田間では座席指定のない特急券(立席特急券)を買っておけば、空いている席を利用して良いことになっており。やはり、自分以外にもそういった利用が多いように感じたのだった。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(10)「鷹ノ巣駅」と「鷹巣駅」 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

今日の話題に入る前に。

夕方、何気なく...。拙ブログも2011年10月の開設以来、12年が経過し。前身のSo-netブログのときから現在のSSブログに...アップロードしたファイルの数も膨大になっており。あまり深く考えずに、ある部分のファイルを一括で削除してしまったのである。

管理画面に「削除したら復元できません」という警告が出るのだが、「まぁ、いいや〜」くらいで。
そして、削除してから気づいた。いま、公開されている記事の中に、そこの部分に音声ファイル...つまり、車内放送のデータを入れていたものがあったような...。慌てて、その可能性がある記事を探してみたのだが、いまのところ、リンク切れになっているデータは見つかっておらず。

ということで、音声・画像のファイルが貼ってあるはずのところに、必要なデータがない記事を見つけられましたら、恐れ入りますが、コメント欄にお願いします。

いまや、時代遅れな存在になりつつある「ブログ」という存在。世の中は、確実に「短くラクなもの」へと流れている。そんな中でも、こんな駄文にお付き合い頂ける皆さんには感謝しながら...。

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【2023年10月24日10時03分】 秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線・鷹巣駅

さて、10月の東北「鉄印帳」の旅。2日目は。まず、特急「つがる1号」で鷹ノ巣へ。この日のメインは秋田内陸縦貫鉄道。

それにしても...

地名の表記というのは難しいのである。「龍ケ崎」問題(笑)というのはあるが、鷹巣もまた、<変態鉄>を悩ませた駅だった。
冒頭の1枚、間違いなく「鷹巣駅」である。でも...

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(9)朝の秋田駅 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

この時期になると毎年、同じことを書いているような気がするが、いつの間にか11月も折り返しを過ぎており。
今年も残すところ1ヶ月半である。それにしても、今年はあっという間だったような気がする。身の回りのさまざまなことに追われ、趣味活動をする余裕もないまま...

このあと、年内、近場に日帰りで撮影に行く予定はあるものの、泊りがけでの“出撃”は、この10月の東北の旅が最後になりそうな予感。
その2日目は、秋田内陸縦貫鉄道を中心としたプランで「鉄印帳」の旅。スタートは朝8時の秋田駅から。

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【2023年10月24日8時14分】 奥羽本線・秋田駅

まず、鷹ノ巣まで「つがる1号」で向かうのだが、それに先行する「リゾートしらかみ」号が停車していた。

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秋の北東北「鉄印帳」の旅(8)午後の秋田駅 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

鉄道の駅というのは、もともとの町外れにあることが多い...と書くと、条件反射的に「あぁ、鉄道忌避論といって蒸気機関車の煙が良くないとかそういうことで...」みたいな話になるのだが、実際に聞いていると、まぁ、用地取得の関係が大きかったと思われる場所も多く。

つまり、鉄道を敷く...となっても、農家としては陽当りの良い水の得やすい土地は手放したくないわけで、そうすると、何だかんだで線路用地は水はけの悪い川沿いの土地だったり、陽当りの悪い山沿いだったり...と。たぶん、後付け的に“鉄道忌避”とか言われるようになったところもあるのではないかと。特に、蒸気機関車時代は今よりも短い間隔で機関庫のある駅が置かれていたので、その広大な敷地を確保できる場所ということで、未利用地として空いていた土地...条件が悪くて地元の人達が使いたがらなかった土地にできたという流れもありそう。

でも、鉄道が通り、駅ができれば、そこが人・モノの集積地になって...の筈が、近年ではバイパス道路沿いがその中心地になって、駅前はガラーンとしていることが多くなったようで。

ご多分に漏れず羽後本荘駅もそうだった。1時間、座って列車を待てる場所も...。

ちょっと1時間が長く感じてしまったが、そこから再び701系電車に乗って北上し、まだ明るいうちに秋田駅に到着するのだった。

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【2023年10月23日14時29分】 羽越本線・秋田駅

この駅で降りるのは人生で2度目か3度目。
隣の土崎には国鉄時代からの車両工場が置かれており、いまもJR東日本の車両は多くがここで定期検査を受ける。
そう、秋田も、いまも昔も“鉄道の要衝”なのである。コンコースには、ライブスチーム用だろうか!? D51蒸気機関車の大型模型と茶色い“客車”。

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