2月、阪堺モ161形車を追って(9)平野線 [ちん電(阪堺電気軌道)]
阪堺モ164号車は、1928年(昭和3年)、「電5形170号車」として川崎車輌で新製された。
その1928年(昭和3年)は、昭和天皇の即位の礼が執り行われた年であり、この年に生まれた人を調べると、漫画家の手塚治虫、それから、旧社会党の土井たか子、「寅さん」の渥美清、さらには、横綱(初代)若乃花ら、すごい面々。
ちなみに、<変態鉄>が卒業している大学も、大学令に基づく開学認可はこの年のようで。でも、大学の年表には、16世紀、フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた年を起源だとしており。身近なところでは、ラジオ体操がスタートしたのが、モ164号車の竣工の1が月前。
この年に10両、翌々年に6両が登場して主力車となったモ161形車、当時、電車の開業によって急速に宅地化が進行していたという平野線沿線、その旺盛な需要に応えるべく、連結運転可能な構造で登場したのが特徴だった。
【2018年4月5日12時25分】 阪堺電気軌道阪堺線・細井川-住吉鳥居前
いまから40年ほど前に、平野線は地下鉄と高速道路に用地を譲る形で廃線となる。また、それに合わせて南海電鉄から阪堺電車が分離独立して、いまの阪堺電気軌道が生まれている。
その長い歴史の中では、戦災で1両を失い、その後は制御器の交換などで別形式(モ301形)になったり、他形式(モ151形)から編入があったり...
車体も腰にあったヘッドライトが屋根上に移り、集電装置が代わり、雨樋や屋根のつくりも変更されており。ワンマン化も含めて、時代に合わせて姿を大きく変えながら96年間の現役生活を...
<変態鉄>は、その最後の10年ほどを撮ることができた訳で。印象に残るのは、何と言っても「青雲」塗装になっていた時期だが。
そして、そんなモ164号車の、最後の走りを撮りに行けたのは2月13日のことだった。
…… ……
2024年2月13日(火)晴れ
松虫の、いつものポジションに移動して待つこと暫し。
【2024年2月13日13時37分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野-松虫
先ほど、天王寺駅前に向かっていったモ164号車が再び、あびこ道ゆきとして戻ってきた。
サラッと写真を貼っているが、撮っているときには、まさに祈るような気持ちだったのである。阿倍野筋を走る、クルマと自転車には、どうか停止線を守って踏切待ちをしてほしいと切に願っている次第。
阿倍野交差点から続く渋滞をすり抜けるように走ってくるモ164号車。この付近は、阪堺電車では珍しく、軌道内自動車乗入禁止になっており。
【2024年2月13日13時37分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野-松虫
「よしっ!!」
まずは、モ164号車と「あべのハルカス」、定番の撮り方で。
そのまま、思いっきり引き付けて...
【2024年2月13日13時37分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野-松虫
ファインダーの中で急速に大きくなってくるモ164号車の姿、あの“圧”に負けて、ズームリングを広角側に回しすぎると、あべのハルカスが小さくなりすぎて...
引き付けてのカットは、う〜ん...。
でも、自分の中ではじゅうぶん納得のいく1枚だった。何と言っても青空。この場所、この撮り方は、何と言っても澄み切った青空が重要である。
すぐに後続電車で追いかけて...
ではなく、後続の天王寺駅前ゆきに乗ったのだった。先程、聖天坂のカーブで撮ったモ605号車が、今度は上町線に入っており。
7分間隔化される前は、日中時間帯は上町線と阪堺線で運用が分かれており、我孫子道での折返しも、同じ行先になるようになっていたが、いまは交互に入るようになって...
【2024年2月13日13時52分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野電停
さて、そのモ605号車の天王寺駅前ゆきに乗っても、すぐ隣の阿倍野電停で下車。
「ベルタ」の前の歩道でChromebookを開いて待機する不審者が<変態鉄>だったのである。モ164号車が我孫子道に到着するのをアプリ上で見届けて。
一度、その赤いアイコンは消え、そして、数分後に、今度は上り電車として画面上に戻って来る。赤いアイコンに「恵」の文字があるのを確認したら...
その阿倍野の交差点で上町線と交差する、高速道路沿いの道を。旧平野線の線路敷がいまの高速道路...だったはず。上町線の架線に流れる電力は、いまもその高速道路下を通って給電されていたかと。そのため、鉄骨トラスの古めかしい架線柱が続いている。
頭上の高速道路が北へと進路を変えて、頭上が明るくなったら、まもなくフェンスで囲まれて再開発が始まっているエリア。阿倍野から10分程度で、ロータリーのような場所が現れ、そこには立派な踏切機。阪堺線の今船電停である。
【2024年2月13日14時15分】 阪堺電気軌道阪堺線・今池電停
交差点を左折して堺筋。大阪でも一番ディープなエリアを5分ほど歩いて、これまたディープな商店街に入ると1つ隣の今池電停である。
先ほど、聖天坂で撮ったストレートの北端に来たわけで。ここだけ高架になっていて。先ほど歩いてきた堺筋沿いに、かの「飛田」の看板が見えており。
でも、<鉄>として気になるのは阪堺線の複線の左側に残る橋台。これが平野線の遺構だと思われる。
この写真、右隅にこちらに向かってくるモ164号車のヘッドライトが見えている。
【2024年2月13日14時16分】 阪堺電気軌道阪堺線・今池電停
ほぼ南北に走っている阪堺線、つまり、えびす町ゆきは逆光になるわけだが...
逆光だからこそ、美しいということもあるが、それを表現できないのは<変態鉄>の相変わらずの腕前。
【2024年2月13日14時17分】 阪堺電気軌道阪堺線・今池電停
今池電停はちょっとした高架駅のようになっており。ちょっとだけ眺めが良いのだが...
新今宮駅前に向けて出発していく電車の右には、かすかに通天閣のてっぺんが見えるのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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その1928年(昭和3年)は、昭和天皇の即位の礼が執り行われた年であり、この年に生まれた人を調べると、漫画家の手塚治虫、それから、旧社会党の土井たか子、「寅さん」の渥美清、さらには、横綱(初代)若乃花ら、すごい面々。
ちなみに、<変態鉄>が卒業している大学も、大学令に基づく開学認可はこの年のようで。でも、大学の年表には、16世紀、フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えた年を起源だとしており。身近なところでは、ラジオ体操がスタートしたのが、モ164号車の竣工の1が月前。
この年に10両、翌々年に6両が登場して主力車となったモ161形車、当時、電車の開業によって急速に宅地化が進行していたという平野線沿線、その旺盛な需要に応えるべく、連結運転可能な構造で登場したのが特徴だった。
【2018年4月5日12時25分】 阪堺電気軌道阪堺線・細井川-住吉鳥居前
いまから40年ほど前に、平野線は地下鉄と高速道路に用地を譲る形で廃線となる。また、それに合わせて南海電鉄から阪堺電車が分離独立して、いまの阪堺電気軌道が生まれている。
その長い歴史の中では、戦災で1両を失い、その後は制御器の交換などで別形式(モ301形)になったり、他形式(モ151形)から編入があったり...
車体も腰にあったヘッドライトが屋根上に移り、集電装置が代わり、雨樋や屋根のつくりも変更されており。ワンマン化も含めて、時代に合わせて姿を大きく変えながら96年間の現役生活を...
<変態鉄>は、その最後の10年ほどを撮ることができた訳で。印象に残るのは、何と言っても「青雲」塗装になっていた時期だが。
そして、そんなモ164号車の、最後の走りを撮りに行けたのは2月13日のことだった。
…… ……
2024年2月13日(火)晴れ
松虫の、いつものポジションに移動して待つこと暫し。
【2024年2月13日13時37分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野-松虫
先ほど、天王寺駅前に向かっていったモ164号車が再び、あびこ道ゆきとして戻ってきた。
サラッと写真を貼っているが、撮っているときには、まさに祈るような気持ちだったのである。阿倍野筋を走る、クルマと自転車には、どうか停止線を守って踏切待ちをしてほしいと切に願っている次第。
阿倍野交差点から続く渋滞をすり抜けるように走ってくるモ164号車。この付近は、阪堺電車では珍しく、軌道内自動車乗入禁止になっており。
【2024年2月13日13時37分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野-松虫
「よしっ!!」
まずは、モ164号車と「あべのハルカス」、定番の撮り方で。
そのまま、思いっきり引き付けて...
【2024年2月13日13時37分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野-松虫
ファインダーの中で急速に大きくなってくるモ164号車の姿、あの“圧”に負けて、ズームリングを広角側に回しすぎると、あべのハルカスが小さくなりすぎて...
引き付けてのカットは、う〜ん...。
でも、自分の中ではじゅうぶん納得のいく1枚だった。何と言っても青空。この場所、この撮り方は、何と言っても澄み切った青空が重要である。
すぐに後続電車で追いかけて...
ではなく、後続の天王寺駅前ゆきに乗ったのだった。先程、聖天坂のカーブで撮ったモ605号車が、今度は上町線に入っており。
7分間隔化される前は、日中時間帯は上町線と阪堺線で運用が分かれており、我孫子道での折返しも、同じ行先になるようになっていたが、いまは交互に入るようになって...
【2024年2月13日13時52分】 阪堺電気軌道上町線・阿倍野電停
さて、そのモ605号車の天王寺駅前ゆきに乗っても、すぐ隣の阿倍野電停で下車。
「ベルタ」の前の歩道でChromebookを開いて待機する不審者が<変態鉄>だったのである。モ164号車が我孫子道に到着するのをアプリ上で見届けて。
一度、その赤いアイコンは消え、そして、数分後に、今度は上り電車として画面上に戻って来る。赤いアイコンに「恵」の文字があるのを確認したら...
その阿倍野の交差点で上町線と交差する、高速道路沿いの道を。旧平野線の線路敷がいまの高速道路...だったはず。上町線の架線に流れる電力は、いまもその高速道路下を通って給電されていたかと。そのため、鉄骨トラスの古めかしい架線柱が続いている。
頭上の高速道路が北へと進路を変えて、頭上が明るくなったら、まもなくフェンスで囲まれて再開発が始まっているエリア。阿倍野から10分程度で、ロータリーのような場所が現れ、そこには立派な踏切機。阪堺線の今船電停である。
【2024年2月13日14時15分】 阪堺電気軌道阪堺線・今池電停
交差点を左折して堺筋。大阪でも一番ディープなエリアを5分ほど歩いて、これまたディープな商店街に入ると1つ隣の今池電停である。
先ほど、聖天坂で撮ったストレートの北端に来たわけで。ここだけ高架になっていて。先ほど歩いてきた堺筋沿いに、かの「飛田」の看板が見えており。
でも、<鉄>として気になるのは阪堺線の複線の左側に残る橋台。これが平野線の遺構だと思われる。
この写真、右隅にこちらに向かってくるモ164号車のヘッドライトが見えている。
【2024年2月13日14時16分】 阪堺電気軌道阪堺線・今池電停
ほぼ南北に走っている阪堺線、つまり、えびす町ゆきは逆光になるわけだが...
逆光だからこそ、美しいということもあるが、それを表現できないのは<変態鉄>の相変わらずの腕前。
【2024年2月13日14時17分】 阪堺電気軌道阪堺線・今池電停
今池電停はちょっとした高架駅のようになっており。ちょっとだけ眺めが良いのだが...
新今宮駅前に向けて出発していく電車の右には、かすかに通天閣のてっぺんが見えるのだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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今池電停懐かしいです。昭和42年の関西初遠征のとき、ここで撮影いたしました。平野線も健在でラストから3カット目のアングルでは分岐と2つ並んだ出発信号が、ラストカットのアングルは通天閣が邪魔者なく見えました。ガードの下には天王寺線の貨物列車が来たのですが、周囲の危険すぎる雰囲気に撮影をあきらめて、阪堺線の電停に駆けあがりました。
by Cedar (2024-03-21 07:56)
Cedarさん
コメントありがとうございます。
羨ましいです。自分も平野線があった時代を見てみたかったです。
天王寺支線は(偶然)チラッと一瞬だけ見た記憶があるのですが、結局、子どもの自分は訪問は叶いませんでした。
このあたり、ディープな世界が広がっている...とされていますが、最近では、インバウンド需要と外国籍の住民の増加で雰囲気もかなり変わってきているみたいで、キャリーケースを牽いて歩いている人も普通に見かけるようになりました。
by ferrum_queserasera (2024-03-22 01:37)