SSブログ

青梅鉄道公園お別れ訪問記 2023.8.22(8) [保存車・博物館・廃線跡]

日付変わって、今日が「最終日」となるのか、しばしのお休みに入る青梅鉄道公園の話題を引き続き。

081_msi00007015.JPG
【2023年8月22日10時21分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

大正期から昭和初期にかけて製造された機関車が中心のラインナップ。ちょうど、車両製造の技術が向上し、大型の機関車も国内メーカーが単独で手掛けられるようになってきた時期の機関車が多く集まっており。100年近く前の製造となれば、保存機も1形式1両というものも珍しくなく。いや、それ以外の多くの形式が既に実車を見られなくなっているので、そう考えれば1両でも残っているのは貴重だが...

その中で国産電気機関車黎明期の電気機関車で、昭和50年頃まで青梅線の石灰石列車を実際に牽引していたED16 1号機も、廃車後、青梅鉄道公園で展示されており。この機関車、しばらく前に国の重要文化財に指定されている。

……  ……

2023年8月22日(火)曇り時々雨

かつては青梅線も貨物列車が走っていた。奥多摩でとれる石灰石輸送が中心で。

082_199302_ome_noto_1_12.jpeg
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅

<変態ガキ鉄>が初めて青梅を訪れたときのカットにも、奥多摩駅構内で待機するEF64形が写っている。

011_msi00007000.JPG
【2023年8月22日10時22分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

1920年代に東海道線・横須賀線から国鉄の電化がスタートし。当初は舶来の電気機関車で賄われたが...
輸入機だと保守に手間がかかる上、どうしても少数多形式となり。大型電機としてはEF52形、続いて中型機も計画されたが不景気など諸般の事情で先送りされ。

1931年(昭和6年)に、EF52形式の走行機器を単純化して、車体を小型化したような感じで18両が新製された。1号機は1931年5月に三菱造船神戸造船所で竣工。新製配置は甲府機関区で中央東線で運用された。
ED18形が製造されたのは、中央東線の甲府電化と1931年(昭和6年)上越線、水上〜石打開業に伴い、清水トンネル(当初より電化)の牽引の任にあたるためだったとされる。ちなみに、「清水トンネル」とは川端康成の小説の中で「国境の長いトンネルを...」と言われたあのトンネルである。

083_msi00007016.JPG
【2023年8月22日10時22分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

ただし、上越線では重連総括制御がうまくいかず、また、東京〜新潟間を直行する経路として輸送需要が増大し、中型の機関車ではパワー不足となり...
戦時中に上越線はF級の大型電機に置き換えられ、以後、甲府と八王子に配置され、もっぱら中央東線で活躍。

この1号機は戦中・戦後を甲府機関区で過ごしたとされ、戦後、1953年(昭和28年)に八王子機関区に転属、本区と西国立支区の間で貸出・転属を繰り返しながら中央線の貨物輸送に活躍した他、当時の西国立支区(後の立川機関区)は南武線のほか青梅線・五日市線も運用範囲になっており、青梅も走っていたと思われる。

084_msi00007034.JPG
【2023年8月22日10時34分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

18両の仲間の半数くらいは戦後、竜華に転じて阪和線などで活躍。

最終的には立川機関区に集結し、奥多摩から川崎方面の生石灰輸送を牽引した。ちょうど国鉄の財政状況が厳しくなっていった時期でもあって、亜幹線、ローカル線に適した中型の電気機関車が不足していたことも相まって、ED16形は初期の形式ながら生きながらえ、路線の改良により、EF64形などの大型機が入線できるようになった1980年(昭和55年)まで活躍。同機は、1980年10月に立川機関区で廃車になり、その後、1984年(昭和59年)までに全機が引退している。

085_msi00007067.JPG
【2023年8月22日10時40分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

当初は、この1号機を含む3機が保存されたが、現存するのは1号機だけ。
1号機は廃車直後に「準鉄道記念物」に指定され、さらに、2018年には国の重要文化財にも指定されている。

086_msi00007018.JPG
【2023年8月22日10時23分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

現在は上屋が架けられ、大切に保存されているが、やはり、屋外保存だけに塗色はちょっと退色しており、ぶどう色2号の車体色はカサカサな感じに見える。このあたりも整備されてほしいところ。

087_199302_ome_noto_1_03.jpeg
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

自分が大学生の頃、立川周辺で何度か赤いホキ車を連ねた貨物列車を見ることがあった。もちろん、そのとき先頭に立っていたのは」EF64形だったが...

現役時代から中央線、青梅線で活躍し、その後、ずっと青梅で保存されてきた1両だけに今後もきれいな状態で残っていってほしいと願う次第。

……  ……

8月31日でいったん閉園。

088_msi00007096.JPG
【2023年8月22日11時03分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

リニューアルオープンは2025年度とされている。

現在の同園は、1920〜30年代に製造された車両が中心で、その分、来園する子どもたちもその保護者の世代にも実感のわかない車両が並んでいる印象は否めない。

089_msi00007019.JPG
【2023年8月22日10時24分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

それもあってか、来園者の多くは模型のジオラマ展示とこれらの遊具で遊ぶことが目当てであるような...
もちろん、「公園」としてそれもそれで楽しいのだろうが、オトナの、目の肥えた(≒ やかましい)マニアたちも「う〜ん」と唸るような、そんな展示になって戻ってくること、それから、展示から外れてしまう機関車たちも解体されないことを願う次第。

さぁ、屋内展示の様子も。今回は模型の運転会には目もくれず、2階の展示を中心に見て回ったのだった。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 2

えすぷれそ

子どものころ拝島までED16を見に行きました。
EF15も見れたかなあ(記憶が定かでない)
つながったひさしが特徴的なので、最初の写真見てすぐわかりました。
by えすぷれそ (2023-08-31 23:29) 

ferrum_queserasera

えすぷれそさん

コメントありがとうございます。
EF15形の廃車が本格化した頃に自分が生まれたので、焦げ茶色の旧型電機というのは、活躍している姿を見たことが無く...羨ましいです。
なるほど、庇の形状の特徴。意識していませんでした。
確かにEF15形をはじめ、窓の上部を┏┓状に囲んで取り付けられているのが多いですね。勉強になりました。
ありがとうございました。

by ferrum_queserasera (2023-09-02 09:45) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。