いつのまにか、30年。 [アナログ写真保存庫]
お正月の、いすみ鉄道の話題はちょっとお休み。
仕事がバタバタしており、あまり寝る時間もとれないほどの状況で。
撮影記を書く時間がとれない状況。
何とか...何とか明日中に、このドタバタを何とかしたいと思う次第。
ということで少し古い写真から。いずれも、1991年に撮影したもので。
【1991年4月27日】 常磐線・上野駅
自宅にあって(確か、いただいたもの)、誰も興味を示さなかった1台のカメラ。
Canon の“EOS 750QD”と言う機種に、35-70 mmというズームレンズが
付いていた。最初は「半押ししてピント合わせ」なんてことも知らずに。
そうなると、楽しくなって...
このとき最初に手にした一眼が Canon EOS だったことがデジタルに変わっても
<変態鉄>が、このシリーズのカメラを使い続けるキッカケになった。
カメラを触るようになって数ヶ月のガキ。当時、中学2年生である。
写真としては、グチャグチャ。もう皆さん、きっと呆れ果てるような。
でも、いまよりも遙かに1枚1枚に夢中になっていたような...
当時、学校が早く終わった日やら休日やらには、小遣いを握りしめて、
近くの駅に行くことが多かった。
当時は上野駅に行けば、あの薄暗い地平ホームにはひっきりなしに特急列車。
その中でも、常磐線特急「ひたち」号はボンネット車が来ることが多く。
誰も注目するようなこともなく。
旧ブログ時代に掲載した写真もあるけれど、30年前の<変態ガキ鉄>の...
仕事がバタバタしており、あまり寝る時間もとれないほどの状況で。
撮影記を書く時間がとれない状況。
何とか...何とか明日中に、このドタバタを何とかしたいと思う次第。
ということで少し古い写真から。いずれも、1991年に撮影したもので。
【1991年4月27日】 常磐線・上野駅
自宅にあって(確か、いただいたもの)、誰も興味を示さなかった1台のカメラ。
Canon の“EOS 750QD”と言う機種に、35-70 mmというズームレンズが
付いていた。最初は「半押ししてピント合わせ」なんてことも知らずに。
そうなると、楽しくなって...
このとき最初に手にした一眼が Canon EOS だったことがデジタルに変わっても
<変態鉄>が、このシリーズのカメラを使い続けるキッカケになった。
カメラを触るようになって数ヶ月のガキ。当時、中学2年生である。
写真としては、グチャグチャ。もう皆さん、きっと呆れ果てるような。
でも、いまよりも遙かに1枚1枚に夢中になっていたような...
当時、学校が早く終わった日やら休日やらには、小遣いを握りしめて、
近くの駅に行くことが多かった。
当時は上野駅に行けば、あの薄暗い地平ホームにはひっきりなしに特急列車。
その中でも、常磐線特急「ひたち」号はボンネット車が来ることが多く。
誰も注目するようなこともなく。
旧ブログ時代に掲載した写真もあるけれど、30年前の<変態ガキ鉄>の...
♪ ハーバーライトがぁ... (2000年3月、長崎駅にて) [アナログ写真保存庫]
♪ 朝日に変る~ぅ そのとき、1羽の...
そう、「かもめ」である。蒸気機関車が牽引する特別急行として設定されて以来...
<変態鉄>がそんなことを知ることになるのは、本の中でのこと。
【2000年3月】 長崎本線・長崎駅
<変態鉄>の世代では、特急「かもめ」といえば長崎本線の特急列車である。
初めて乗ったときの「赤いかもめ」の印象が強い。すでに車齢の高かった485系。
でも、真っ赤な車体でも、他の特急とは違って車体側面には「かもめ」の
エンブレムが付いていた。車内は黒いシートに交換され...
「ワイド周遊券」で九州島内を巡った学生時代、数えられない位、乗車した。
そんな485系「赤いかもめ」号にも置換えの時期が迫っていた。
でも、このときは...
長崎ゆきと佐世保ゆきを併結して走る特急寝台「あかつき」号が...
写真よりも「ハイケンスのセレナーデ」が流れる、その伝統列車の車内放送を
記録するべく、2000年3月、ダイヤ改正の直前に長崎に向かったのだった。
そのときに「かもめ」号も...
そう、「かもめ」である。蒸気機関車が牽引する特別急行として設定されて以来...
<変態鉄>がそんなことを知ることになるのは、本の中でのこと。
【2000年3月】 長崎本線・長崎駅
<変態鉄>の世代では、特急「かもめ」といえば長崎本線の特急列車である。
初めて乗ったときの「赤いかもめ」の印象が強い。すでに車齢の高かった485系。
でも、真っ赤な車体でも、他の特急とは違って車体側面には「かもめ」の
エンブレムが付いていた。車内は黒いシートに交換され...
「ワイド周遊券」で九州島内を巡った学生時代、数えられない位、乗車した。
そんな485系「赤いかもめ」号にも置換えの時期が迫っていた。
でも、このときは...
長崎ゆきと佐世保ゆきを併結して走る特急寝台「あかつき」号が...
写真よりも「ハイケンスのセレナーデ」が流れる、その伝統列車の車内放送を
記録するべく、2000年3月、ダイヤ改正の直前に長崎に向かったのだった。
そのときに「かもめ」号も...
申し訳ありません。愚痴っぽく手短に。(98年頃の山陰本線) [アナログ写真保存庫]
記事更新ができない状態が続いており。といっても、仕事の忙しさのピークは
過ぎた感もあり。まさに「もうひとふんばり」の状況になりつつあり。
何だか世の中の流れから取り残されているような感じもする。
朝、会社に行って帰ってきて、一息ついたら日付が変わるくらいの時間帯で。
職場と自宅の単純往復だけだから、本当に...書くことに困るのである。
ということで、学生時代。おカネは無かったし、いろいろと悩みも多かったが
それでもフットワークは軽かった。
自分の場合、「あちこちにいろいろなものを...」ではなく、
「一度決めたら徹底的に追い求める」タイプ。
山陰本線のキハが撮りたくて撮りたくて仕方ない時期があった。
過ぎた感もあり。まさに「もうひとふんばり」の状況になりつつあり。
何だか世の中の流れから取り残されているような感じもする。
朝、会社に行って帰ってきて、一息ついたら日付が変わるくらいの時間帯で。
職場と自宅の単純往復だけだから、本当に...書くことに困るのである。
ということで、学生時代。おカネは無かったし、いろいろと悩みも多かったが
それでもフットワークは軽かった。
自分の場合、「あちこちにいろいろなものを...」ではなく、
「一度決めたら徹底的に追い求める」タイプ。
山陰本線のキハが撮りたくて撮りたくて仕方ない時期があった。
次の日は富山で“路面電車”を (2006年8月の「ライトレール」) [アナログ写真保存庫]
昨日と同じく、2006年8月の富山でのネガから。
このときは高岡駅前のホテルに泊まっていたはず。でも、電車で15分、富山にも
撮りに来ていた。つくづく、この当時、地鉄電車に関心がなかったことが
悔やまれるのである。地鉄電車に本格的にカメラをむけるようになったのは
この6年後、「飛越ゴハチ」の終焉がキッカケだった。
あぁ、このとき、地鉄電車の魅力に気づいていたとしたら、“クハ付き3連”
だって月岡以外でも撮れていたはず。14721編成も元気だったはずで...
「後悔先に立たず」の通り。
でも、それにしても...
この写真を撮って14年後、この電車が地鉄電車になっているとはこれまた...
【2018年8月26日15時21分】 富山ライトレール(当時)・富山駅北電停付近
JR富山港線を富山市が引き取る形で“富山ライトレール”に姿を変え。
割引運賃の設定や、運転本数の劇的な増加、次世代型路面電車LRTの先駆者として、
注目を集めていた時期である。
富山駅北電停からスタートして...
このときは高岡駅前のホテルに泊まっていたはず。でも、電車で15分、富山にも
撮りに来ていた。つくづく、この当時、地鉄電車に関心がなかったことが
悔やまれるのである。地鉄電車に本格的にカメラをむけるようになったのは
この6年後、「飛越ゴハチ」の終焉がキッカケだった。
あぁ、このとき、地鉄電車の魅力に気づいていたとしたら、“クハ付き3連”
だって月岡以外でも撮れていたはず。14721編成も元気だったはずで...
「後悔先に立たず」の通り。
でも、それにしても...
この写真を撮って14年後、この電車が地鉄電車になっているとはこれまた...
【2018年8月26日15時21分】 富山ライトレール(当時)・富山駅北電停付近
JR富山港線を富山市が引き取る形で“富山ライトレール”に姿を変え。
割引運賃の設定や、運転本数の劇的な増加、次世代型路面電車LRTの先駆者として、
注目を集めていた時期である。
富山駅北電停からスタートして...
夏祭りの夕方...2006年8月の高岡にて。 [アナログ写真保存庫]
明日は朝一番で母を病院に連れて行く日。ということで、仕事を終えて帰ってきて
できるだけ早く寝ないと明日が大変なのである。
気持ちは若いつもりでいる。それは絶対に変わらない。
でも、学生の頃と大きく違うのは前夜が寝不足だと、翌日は1日中、フラフラして
アタマはボーーッとしてしまい...、だんだん無理ができなくなってきた。
<変態鉄>が今の会社に就職したのは、2006年8月のこと。
直前の1ヶ月ほどは何の予定も入らない時期を過ごしており。
その頃、<変態鉄>は休みが取れると訪れていたのが大糸線(南小谷-糸魚川)の
キハ52形、やはり、<徒歩鉄>には非常に厳しい被写体であるものの...
この前の年、2005年春に岐阜の路面電車が全廃となり、その直後に撮りに行った
大糸線キハから、再び<変態鉄>の趣味活動の方向性が「国鉄型キハ」中心へと
シフトしていた時代である。
そんな大糸線キハを撮って糸魚川から高岡へと“転戦”した。
このとき、まだ<変態鉄>は“地鉄電車”のスゴさに気づいていなかった。
【2006年8月】 北陸本線(当時)・高岡駅
ということで糸魚川から乗った北陸本線ローカルはこの電車だった。
できるだけ早く寝ないと明日が大変なのである。
気持ちは若いつもりでいる。それは絶対に変わらない。
でも、学生の頃と大きく違うのは前夜が寝不足だと、翌日は1日中、フラフラして
アタマはボーーッとしてしまい...、だんだん無理ができなくなってきた。
<変態鉄>が今の会社に就職したのは、2006年8月のこと。
直前の1ヶ月ほどは何の予定も入らない時期を過ごしており。
その頃、<変態鉄>は休みが取れると訪れていたのが大糸線(南小谷-糸魚川)の
キハ52形、やはり、<徒歩鉄>には非常に厳しい被写体であるものの...
この前の年、2005年春に岐阜の路面電車が全廃となり、その直後に撮りに行った
大糸線キハから、再び<変態鉄>の趣味活動の方向性が「国鉄型キハ」中心へと
シフトしていた時代である。
そんな大糸線キハを撮って糸魚川から高岡へと“転戦”した。
このとき、まだ<変態鉄>は“地鉄電車”のスゴさに気づいていなかった。
【2006年8月】 北陸本線(当時)・高岡駅
ということで糸魚川から乗った北陸本線ローカルはこの電車だった。
27年前の春、えのでん。<後編> [アナログ写真保存庫]
仕事に...まさに忙殺される日々。これでは、コロナ禍とは関係なく“出撃”
どころでは無かった。昨日の記事のタイトル通り、日曜日に郵便局に書留の
封筒を買いに行ってきた。世間は、ぬぁんと3連休だったとは...
自分は連休とは関係なく、ずっと連勤中。帰宅してシャワーを浴びたら日付が
変わる直前で。これで明日も7時過ぎには起きなければいけない...となると
<鉄>活動どころでは無いのである。
そういえば...
7月いっぱい東京は梅雨が続いていた。その時期から連勤につぐ連勤で。
外にいるのは通勤のときだけ。あとは職場から近くのコンビニに買い物に行くとき
くらいだろうか。晴れているのは知っていたが、実感することもあまりなく。
そういえば、8月に入ると一転して傘をさすことがなくなった。
あれだけ雨続きだったのに、夕方のゲリラ豪雨ですらご無沙汰である。
【2015年11月29日9時30分】 江ノ島電鉄・腰越-鎌倉高校前
そういえば、米国留学中の元「湘南江の島海の王子」のご結婚の件やいかに??
海の王子はいなくても、江ノ島にも青空が広がっているのだろうか??
汗を拭いながら、江ノ電を撮ってみたい...と思う今日この頃。
それにしても、27年前の<変態ガキ鉄>、あまりにも酷い写真しか撮っていない。
当時は一生懸命撮っていたつもりなのだが...、それにしてもダメ過ぎて。
どころでは無かった。昨日の記事のタイトル通り、日曜日に郵便局に書留の
封筒を買いに行ってきた。世間は、ぬぁんと3連休だったとは...
自分は連休とは関係なく、ずっと連勤中。帰宅してシャワーを浴びたら日付が
変わる直前で。これで明日も7時過ぎには起きなければいけない...となると
<鉄>活動どころでは無いのである。
そういえば...
7月いっぱい東京は梅雨が続いていた。その時期から連勤につぐ連勤で。
外にいるのは通勤のときだけ。あとは職場から近くのコンビニに買い物に行くとき
くらいだろうか。晴れているのは知っていたが、実感することもあまりなく。
そういえば、8月に入ると一転して傘をさすことがなくなった。
あれだけ雨続きだったのに、夕方のゲリラ豪雨ですらご無沙汰である。
【2015年11月29日9時30分】 江ノ島電鉄・腰越-鎌倉高校前
そういえば、米国留学中の元「湘南江の島海の王子」のご結婚の件やいかに??
海の王子はいなくても、江ノ島にも青空が広がっているのだろうか??
汗を拭いながら、江ノ電を撮ってみたい...と思う今日この頃。
それにしても、27年前の<変態ガキ鉄>、あまりにも酷い写真しか撮っていない。
当時は一生懸命撮っていたつもりなのだが...、それにしてもダメ過ぎて。
27年前の春、えのでん。<中編> [アナログ写真保存庫]
27年前の春、えのでん。<前編> [アナログ写真保存庫]
明日から仕事。朝8時半出社で22時退社、その8連勤という今年度のヤマ場である。
ということで今日は<鉄>活動がしたかった。
行くところも何箇所か検討していた...といっても知っているところばかりだが。
ただ...、アレコレあって“出撃断念”。ということで、とうとう7月の撮影は
1回だけ、それもホビセンでのデハ268号車の撮影会。
つまり、走っている列車にカメラを1度も向けること無く、
嗚呼、今月が終わってしまうのである。
【1993年3月21日】 江ノ島電鉄・腰越-江ノ島(後追い)
ということで、古いネガから。
いまから27年前、1993年(平成5年)、高校生になったばかりの<変態ガキ鉄>、
札幌から鹿児島まで二十数都市に残った路面電車を、カメラを持って制覇しようと
まぁ、かなり無謀な計画を立てたのである。
でも、1年かかって、翌94年2月の高知を最後にそれを“完遂”したのだから
若かったということ。
その第1弾、高校の入学式を控えて最初に撮りに向かったのは江ノ電だった。
それにしても...
ということで今日は<鉄>活動がしたかった。
行くところも何箇所か検討していた...といっても知っているところばかりだが。
ただ...、アレコレあって“出撃断念”。ということで、とうとう7月の撮影は
1回だけ、それもホビセンでのデハ268号車の撮影会。
つまり、走っている列車にカメラを1度も向けること無く、
嗚呼、今月が終わってしまうのである。
【1993年3月21日】 江ノ島電鉄・腰越-江ノ島(後追い)
ということで、古いネガから。
いまから27年前、1993年(平成5年)、高校生になったばかりの<変態ガキ鉄>、
札幌から鹿児島まで二十数都市に残った路面電車を、カメラを持って制覇しようと
まぁ、かなり無謀な計画を立てたのである。
でも、1年かかって、翌94年2月の高知を最後にそれを“完遂”したのだから
若かったということ。
その第1弾、高校の入学式を控えて最初に撮りに向かったのは江ノ電だった。
それにしても...
さぁ、“コロナ禍”が終わったら... [アナログ写真保存庫]
5月末で“引退”と発表されていた「赤胴」、阪神電車といえば...という
塗色の電車たち。
しばらく前に、在京の某新聞社系の球団カラーへと、
なぜかライバル球団のカラーへと車体塗色を変更したのが、阪神電車。
ロゴもカラフルな...パッチワークみたいな...ハート型のものに変更されて。
個人的には昔の、菱形の中にレールの断面が見えるマークの方が好きだった。
その“赤胴車”は各駅停車用の“青胴車”に対して優等列車用の車両の塗色。
【2011年10月24日12時55分】 阪神電鉄武庫川線・武庫川-鳴尾
塗り替えは、かなり前に(事実上)完了しており、本線の普通車に“青胴”が
一部残っているほかは、武庫川線を行ったり来たりする電車だけが“赤胴”。
その最後の“赤胴”も5月までで、こちらは黄色と黒の球団カラーの車両に
置き換えられることが決まっていた。
でも、なぜかそれが直前になって延期されるみたいで。
新車ではないので(本線からの転用)、乗務員の習熟に時間がかかるとか
そういうことでも無さそうで。<鉄>としては...
まさに<葬式鉄>には違いないのだが...
6月に入ってから撮りに行ける可能性が残ってくれたということで。
塗色の電車たち。
しばらく前に、在京の某新聞社系の球団カラーへと、
なぜかライバル球団のカラーへと車体塗色を変更したのが、阪神電車。
ロゴもカラフルな...パッチワークみたいな...ハート型のものに変更されて。
個人的には昔の、菱形の中にレールの断面が見えるマークの方が好きだった。
その“赤胴車”は各駅停車用の“青胴車”に対して優等列車用の車両の塗色。
【2011年10月24日12時55分】 阪神電鉄武庫川線・武庫川-鳴尾
塗り替えは、かなり前に(事実上)完了しており、本線の普通車に“青胴”が
一部残っているほかは、武庫川線を行ったり来たりする電車だけが“赤胴”。
その最後の“赤胴”も5月までで、こちらは黄色と黒の球団カラーの車両に
置き換えられることが決まっていた。
でも、なぜかそれが直前になって延期されるみたいで。
新車ではないので(本線からの転用)、乗務員の習熟に時間がかかるとか
そういうことでも無さそうで。<鉄>としては...
まさに<葬式鉄>には違いないのだが...
6月に入ってから撮りに行ける可能性が残ってくれたということで。