次の日は富山で“路面電車”を (2006年8月の「ライトレール」) [アナログ写真保存庫]
昨日と同じく、2006年8月の富山でのネガから。
このときは高岡駅前のホテルに泊まっていたはず。でも、電車で15分、富山にも
撮りに来ていた。つくづく、この当時、地鉄電車に関心がなかったことが
悔やまれるのである。地鉄電車に本格的にカメラをむけるようになったのは
この6年後、「飛越ゴハチ」の終焉がキッカケだった。
あぁ、このとき、地鉄電車の魅力に気づいていたとしたら、“クハ付き3連”
だって月岡以外でも撮れていたはず。14721編成も元気だったはずで...
「後悔先に立たず」の通り。
でも、それにしても...
この写真を撮って14年後、この電車が地鉄電車になっているとはこれまた...
【2018年8月26日15時21分】 富山ライトレール(当時)・富山駅北電停付近
JR富山港線を富山市が引き取る形で“富山ライトレール”に姿を変え。
割引運賃の設定や、運転本数の劇的な増加、次世代型路面電車LRTの先駆者として、
注目を集めていた時期である。
富山駅北電停からスタートして...
…… ……
いまでこそ、北陸地方を代表する大企業の本社ビルが並び“オシャレな街”
といった感じの駅北だが、かろうじて国鉄時代の富山駅を知る世代の
<変態鉄>にとっては、正直、“駅裏”感が強く。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・富山駅北-インテック前
当時の始発駅、富山駅北電停から、後の<変態鉄>の定宿となるホテルの前を
通って、あの交差点へ。
牛島の交差点で信号待ちするポートラム。道路の片隅に寄せられた芝生軌道を
ゆく最新の超低床連接車...、“路面電車”のイメージを変えるシーンだった。
ちなみに気になるのは後ろを追ってくる地鉄バス。「37系統 運動公園ゆき」の
表示である。この当時は駅北まで来ていたのか???
それとも入庫回送だろうか??
駅北に乗り入れてくる系統は何度か変更されており。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・富山駅北-インテック前
なぜか、この日の写真にはアウトカーブから連接車を撮って、後ろ側の車体を
隠している妙な構図が目立つのである。
まったくもって意味不明な撮り方。後部車体を隠して単行のように見せたかった
のだろうか、本当に意味不明。何を考えていたのか??
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
路面上に移設された区間で唯一の途中“電停”が「インテック前」。
こういうのがあると“路面電車らしい”と感じる<変態鉄>である。
ここから専用軌道に入る...つまり、旧JR富山港線の線路に合流する
奥田中学校前電停まで歩いたように記憶している。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
当時はまだ軌道敷も真新しく、また、道路の拡幅工事が進行中の箇所もあって。
そんな中をゆくLRVの写真を撮ることができたのも、いまとなっては
記録的価値があるのかも知れない。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
富山駅の近く...といえど、やはり地方都市である。
1 kmほど進めば、永楽町付近からは電車通りの両側にも高いビルもなくなり
空が広く見えるのである。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
そして奥田中学校前電停の手前で電車は専用軌道に入る。つまり、ここからが
旧JR富山港線を引き継いでいる区間。ちなみに富山港線はこのまま南下して
右に急カーブして、富山口駅からは北陸本線の線路の北側を並走するようにして
富山駅に入っていた。
その合流点となる駅南側の地点に立って。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・奥田中学校前駅
併用軌道区間は単線なので、日中の電車はこの駅で交換していた。
2本のポートラムの並びシーンを。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・奥田中学校前駅
このまま、すぐには電車に乗り込まず、次の電車まで奥田中学校前で撮影。
駅の北側は、富山港線の時代を色濃く残しており。
それにしても、ライトレールとしての開業に際して設置された分岐器も
スプリング式なのである。最新型の超低床連接車とスプリングポイントの標識。
何だかちょっと不釣り合いなシーンでもあるような...
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・岩瀬浜駅
次のカットはそのまま岩瀬浜電停の車止めだった。
あの東岩瀬駅にすら立ち寄らずに帰ったみたい。
地鉄富山港線になって早半年。早く撮りに行きたいと思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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このときは高岡駅前のホテルに泊まっていたはず。でも、電車で15分、富山にも
撮りに来ていた。つくづく、この当時、地鉄電車に関心がなかったことが
悔やまれるのである。地鉄電車に本格的にカメラをむけるようになったのは
この6年後、「飛越ゴハチ」の終焉がキッカケだった。
あぁ、このとき、地鉄電車の魅力に気づいていたとしたら、“クハ付き3連”
だって月岡以外でも撮れていたはず。14721編成も元気だったはずで...
「後悔先に立たず」の通り。
でも、それにしても...
この写真を撮って14年後、この電車が地鉄電車になっているとはこれまた...
【2018年8月26日15時21分】 富山ライトレール(当時)・富山駅北電停付近
JR富山港線を富山市が引き取る形で“富山ライトレール”に姿を変え。
割引運賃の設定や、運転本数の劇的な増加、次世代型路面電車LRTの先駆者として、
注目を集めていた時期である。
富山駅北電停からスタートして...
…… ……
いまでこそ、北陸地方を代表する大企業の本社ビルが並び“オシャレな街”
といった感じの駅北だが、かろうじて国鉄時代の富山駅を知る世代の
<変態鉄>にとっては、正直、“駅裏”感が強く。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・富山駅北-インテック前
当時の始発駅、富山駅北電停から、後の<変態鉄>の定宿となるホテルの前を
通って、あの交差点へ。
牛島の交差点で信号待ちするポートラム。道路の片隅に寄せられた芝生軌道を
ゆく最新の超低床連接車...、“路面電車”のイメージを変えるシーンだった。
ちなみに気になるのは後ろを追ってくる地鉄バス。「37系統 運動公園ゆき」の
表示である。この当時は駅北まで来ていたのか???
それとも入庫回送だろうか??
駅北に乗り入れてくる系統は何度か変更されており。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・富山駅北-インテック前
なぜか、この日の写真にはアウトカーブから連接車を撮って、後ろ側の車体を
隠している妙な構図が目立つのである。
まったくもって意味不明な撮り方。後部車体を隠して単行のように見せたかった
のだろうか、本当に意味不明。何を考えていたのか??
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
路面上に移設された区間で唯一の途中“電停”が「インテック前」。
こういうのがあると“路面電車らしい”と感じる<変態鉄>である。
ここから専用軌道に入る...つまり、旧JR富山港線の線路に合流する
奥田中学校前電停まで歩いたように記憶している。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
当時はまだ軌道敷も真新しく、また、道路の拡幅工事が進行中の箇所もあって。
そんな中をゆくLRVの写真を撮ることができたのも、いまとなっては
記録的価値があるのかも知れない。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
富山駅の近く...といえど、やはり地方都市である。
1 kmほど進めば、永楽町付近からは電車通りの両側にも高いビルもなくなり
空が広く見えるのである。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・インテック前-奥田中学校前
そして奥田中学校前電停の手前で電車は専用軌道に入る。つまり、ここからが
旧JR富山港線を引き継いでいる区間。ちなみに富山港線はこのまま南下して
右に急カーブして、富山口駅からは北陸本線の線路の北側を並走するようにして
富山駅に入っていた。
その合流点となる駅南側の地点に立って。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・奥田中学校前駅
併用軌道区間は単線なので、日中の電車はこの駅で交換していた。
2本のポートラムの並びシーンを。
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・奥田中学校前駅
このまま、すぐには電車に乗り込まず、次の電車まで奥田中学校前で撮影。
駅の北側は、富山港線の時代を色濃く残しており。
それにしても、ライトレールとしての開業に際して設置された分岐器も
スプリング式なのである。最新型の超低床連接車とスプリングポイントの標識。
何だかちょっと不釣り合いなシーンでもあるような...
【2006年8月】 富山ライトレール(当時)・岩瀬浜駅
次のカットはそのまま岩瀬浜電停の車止めだった。
あの東岩瀬駅にすら立ち寄らずに帰ったみたい。
地鉄富山港線になって早半年。早く撮りに行きたいと思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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2020-08-25 23:00
nice!(7)
コメント(2)
2022年には、宇都宮市にも走りますよ
LRT
現在工事をしています
でも元は取れないと思います
by tochi (2020-08-26 07:02)
tochiさん
コメントありがとうございます。
各地に構想がありますが、本当に実現するのは宇都宮が初めてですね。
確かに採算性の面からは難しい部分もあるかと思います。
ただ「公共交通機関の意義をどのように考えるか」というのは
かなり難しい部分もあるようで。「間接的な効果」をどのように
評価するのか、そのあたりがポイントになりそうな気がします。
by ferrum_queserasera (2020-08-26 07:35)