夏祭りの夕方...2006年8月の高岡にて。 [アナログ写真保存庫]
明日は朝一番で母を病院に連れて行く日。ということで、仕事を終えて帰ってきて
できるだけ早く寝ないと明日が大変なのである。
気持ちは若いつもりでいる。それは絶対に変わらない。
でも、学生の頃と大きく違うのは前夜が寝不足だと、翌日は1日中、フラフラして
アタマはボーーッとしてしまい...、だんだん無理ができなくなってきた。
<変態鉄>が今の会社に就職したのは、2006年8月のこと。
直前の1ヶ月ほどは何の予定も入らない時期を過ごしており。
その頃、<変態鉄>は休みが取れると訪れていたのが大糸線(南小谷-糸魚川)の
キハ52形、やはり、<徒歩鉄>には非常に厳しい被写体であるものの...
この前の年、2005年春に岐阜の路面電車が全廃となり、その直後に撮りに行った
大糸線キハから、再び<変態鉄>の趣味活動の方向性が「国鉄型キハ」中心へと
シフトしていた時代である。
そんな大糸線キハを撮って糸魚川から高岡へと“転戦”した。
このとき、まだ<変態鉄>は“地鉄電車”のスゴさに気づいていなかった。
【2006年8月】 北陸本線(当時)・高岡駅
ということで糸魚川から乗った北陸本線ローカルはこの電車だった。
…… ……
実家の棚の中を漁れば、このときのメモがあると思うのだが...
だから、後で追記するかも知れないが、手元には詳細な日付のメモは残っていない。
でも、初日は名鉄電車を撮って岐阜駅近くのホテルに泊まったと記憶している。
ここから中央西線を上がり、松本から大糸線に抜けて糸魚川で1泊したような。
大糸線キハを楽しんだ後は...
【2006年8月】 大糸線・糸魚川駅
この煉瓦積み機関庫は当時の糸魚川駅のシンボル的存在だったような...
ここに国鉄型のキハ52形が佇んでいるのだから...
首都圏色の156号車(糸魚川で保存)と、一番人気の115号車(津山で保存中)が
車庫に居ると言うことは、この日は125号車が運用に入っていた筈。
最後まで残った大糸線キハの3両では125号車が一番目立たない存在だった。
まさか、その125号車が2020年になっても“いまなお現役”など予想だに...
【2006年8月】 北陸本線(当時)・高岡駅
ここが「北陸本線」なのも当たり前だった。何の疑いもなかった。
4人ボックスシートでも、急行型の大柄なシート。通勤か改造は受けていたものの
往時の急行列車の面影は十分、残っており。
ボックスシートで向かい側の席に足を投げ出し、あのモーターの唸りに身を委ね...
思えば、そんなことを当たり前に楽しめた北陸本線というのはスゴかった。
ちょうど、この編成だった。60 Hzを示す裾帯入り。
…… ……
そして、高岡。
【2006年8月】 万葉線・片原町電停
大糸線の続きのネガはこんなカットから始まる。
夕方の片原町電停に到着する高岡駅前ゆき「アイトラム」である。
何の変哲もない日常風景。
でも、続いて。
【2006年8月】 万葉線・片原町電停
幕回し中を狙ったのでもなければ、誤表示でもなく。
ぬぁんと、片原町止まりの電車である。これが夕方に撮れるのは祭事の時に
限られるのである。この日は夏の「高岡七夕まつり」だろうか。
旧暦なので、8月の初旬が七夕まつりなのである。
そんな貴重なシーン。狙って撮ったのか、偶然、撮れたのか...
14年も経つと記憶も曖昧なのである。
このときは高岡駅前のホテルに泊まって、ちょっと恥ずかしいことをやらかした
気がするのだが、その話は別の機会に譲るとして...
たぶん、翌日は万葉線電車をちょっと撮ったようで...
【2006年8月】 万葉線・高岡駅前-片原町(当時)
そう、高校時代に初めて撮りに来て以来、夏の七夕飾りのメインストリートを
ゆく電車の姿を撮りたかった。
たぶん大和のあたりだろうか。いまでは同じようには撮れない勾配区間の1枚。
(この交差点付近が「末広町」電停になっているような...曖昧な記憶)
【2006年8月】 万葉線・高岡駅前-片原町(当時)
それにしてもダメな写真。
空に露出が合っていて、電車も商店街の七夕飾りも露出アンダー。
高岡の七夕飾り、加越能電車の時から<変態鉄>にとっての“再履修科目”の
ままになっているのである。
来年は撮りに行く時間が取れるだろうか??
富山空港日帰りでも良いので、来年は撮りに行ってみたいと思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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できるだけ早く寝ないと明日が大変なのである。
気持ちは若いつもりでいる。それは絶対に変わらない。
でも、学生の頃と大きく違うのは前夜が寝不足だと、翌日は1日中、フラフラして
アタマはボーーッとしてしまい...、だんだん無理ができなくなってきた。
<変態鉄>が今の会社に就職したのは、2006年8月のこと。
直前の1ヶ月ほどは何の予定も入らない時期を過ごしており。
その頃、<変態鉄>は休みが取れると訪れていたのが大糸線(南小谷-糸魚川)の
キハ52形、やはり、<徒歩鉄>には非常に厳しい被写体であるものの...
この前の年、2005年春に岐阜の路面電車が全廃となり、その直後に撮りに行った
大糸線キハから、再び<変態鉄>の趣味活動の方向性が「国鉄型キハ」中心へと
シフトしていた時代である。
そんな大糸線キハを撮って糸魚川から高岡へと“転戦”した。
このとき、まだ<変態鉄>は“地鉄電車”のスゴさに気づいていなかった。
【2006年8月】 北陸本線(当時)・高岡駅
ということで糸魚川から乗った北陸本線ローカルはこの電車だった。
…… ……
実家の棚の中を漁れば、このときのメモがあると思うのだが...
だから、後で追記するかも知れないが、手元には詳細な日付のメモは残っていない。
でも、初日は名鉄電車を撮って岐阜駅近くのホテルに泊まったと記憶している。
ここから中央西線を上がり、松本から大糸線に抜けて糸魚川で1泊したような。
大糸線キハを楽しんだ後は...
【2006年8月】 大糸線・糸魚川駅
この煉瓦積み機関庫は当時の糸魚川駅のシンボル的存在だったような...
ここに国鉄型のキハ52形が佇んでいるのだから...
首都圏色の156号車(糸魚川で保存)と、一番人気の115号車(津山で保存中)が
車庫に居ると言うことは、この日は125号車が運用に入っていた筈。
最後まで残った大糸線キハの3両では125号車が一番目立たない存在だった。
まさか、その125号車が2020年になっても“いまなお現役”など予想だに...
【2006年8月】 北陸本線(当時)・高岡駅
ここが「北陸本線」なのも当たり前だった。何の疑いもなかった。
4人ボックスシートでも、急行型の大柄なシート。通勤か改造は受けていたものの
往時の急行列車の面影は十分、残っており。
ボックスシートで向かい側の席に足を投げ出し、あのモーターの唸りに身を委ね...
思えば、そんなことを当たり前に楽しめた北陸本線というのはスゴかった。
ちょうど、この編成だった。60 Hzを示す裾帯入り。
…… ……
そして、高岡。
【2006年8月】 万葉線・片原町電停
大糸線の続きのネガはこんなカットから始まる。
夕方の片原町電停に到着する高岡駅前ゆき「アイトラム」である。
何の変哲もない日常風景。
でも、続いて。
【2006年8月】 万葉線・片原町電停
幕回し中を狙ったのでもなければ、誤表示でもなく。
ぬぁんと、片原町止まりの電車である。これが夕方に撮れるのは祭事の時に
限られるのである。この日は夏の「高岡七夕まつり」だろうか。
旧暦なので、8月の初旬が七夕まつりなのである。
そんな貴重なシーン。狙って撮ったのか、偶然、撮れたのか...
14年も経つと記憶も曖昧なのである。
このときは高岡駅前のホテルに泊まって、ちょっと恥ずかしいことをやらかした
気がするのだが、その話は別の機会に譲るとして...
たぶん、翌日は万葉線電車をちょっと撮ったようで...
【2006年8月】 万葉線・高岡駅前-片原町(当時)
そう、高校時代に初めて撮りに来て以来、夏の七夕飾りのメインストリートを
ゆく電車の姿を撮りたかった。
たぶん大和のあたりだろうか。いまでは同じようには撮れない勾配区間の1枚。
(この交差点付近が「末広町」電停になっているような...曖昧な記憶)
【2006年8月】 万葉線・高岡駅前-片原町(当時)
それにしてもダメな写真。
空に露出が合っていて、電車も商店街の七夕飾りも露出アンダー。
高岡の七夕飾り、加越能電車の時から<変態鉄>にとっての“再履修科目”の
ままになっているのである。
来年は撮りに行く時間が取れるだろうか??
富山空港日帰りでも良いので、来年は撮りに行ってみたいと思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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