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1999/3/2 東海道新幹線0系「こだま」号にて <前編> [車内放送]

諸般の事情により、久々に車内放送のコレクションから。

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【2008年10月30日13時02分】 山陽新幹線・岡山駅 

<変態鉄>にとって「しんかんせん」と言えば、やはり、0系の印象が強いのである。
自分が小学6年生になる頃、父が大阪へ単身赴任で異動。それで新幹線「ひかり」号での往復が始まった。うまいこと“口実”を作って、初めて見るものばかりの大阪での<鉄>活動である。ブルーの201系電車だって、中央線のオレンジ色のイメージが強い<変態鉄>にとっては新鮮なものだった。

その往復の新幹線、当時は「ひかり」号が100系が中心、でも、0系も多くて。大窓も残っていたし、僅かながら転換クロスシートの車両も居たような気がする。でも、当時の<ガキ鉄>としては、当時の“最新の設備”の感があった車内LED表示器がついていて、リクライニングシートがフカフカな100系を選んで乗っていたのだが...

そんな新幹線、その車内チャイムが、<変態ガキ鉄>が<車内放送マニア>への道筋を歩みだすキッカケになったのかも知れない。

始発駅と終着駅のアナウンスの間にはメロディが流れ、途中停車駅では「ド・ミ・ソ・ド」の4打点チャイムだった。当時は、終着駅では放送の後にも、あのメロディが演奏されていたのが、今との違いだろうか。

いまではネット上で「ひかりチャイム」と言われている、あのチャイム。大学生になって、MDレコーダ片手に車内録音に明け暮れるようになって、やはり、「録ってみたい」対象だったのだが...

東京からの新幹線、やはり、乗車率が高くて。
なかなか静かな車内で...とはならなかったのが悩みだった。



でも、その大きなチャンスが巡ってきたのは引退迫っていた1999年3月。既に「のぞみ」号中心のダイヤに移りつつあった東海道新幹線、一部の「ひかり」号を岐阜羽島と米原にも停車させることで、日中の「こだま」号の半分くらいが東京〜名古屋間の運転に短縮され。その、午前中の1本に0系が充当されていた。「ひかり」号は前側5両が自由席、でも、「こだま」号は後ろ側にも自由席車が設定されており。そちらの方が乗車率が低いという経験則から...

予想通り、豊橋駅を出ると16号車の車内は自分ともう1人のビジネスマンだけ。レコーダを取り出し、マイクをセットして...
ということで、今日は、“♪ ド・ミ・ソ・ド” の「4打音チャイム」で始まる三河安城駅到着放送。

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北陸本線 特急「雷鳥13号」金沢駅到着車内放送 [車内放送]

ちょっと事情により、久々に車内放送のコレクションから。
いよいよ3月に北陸新幹線が敦賀駅まで延伸されることになり。「雷鳥」→「サンダーバード」と進化を遂げてきた“北陸特急の雄”ともいえる“名門特急”も、列車名こそ残るものの、「北陸に足を踏み入れないリレー列車」になってしまう日が来るのである。

1964年(昭和39年)、東京オリンピックの秋、北陸本線が富山まで電化されて。大阪〜富山間を結ぶ特急列車として「雷鳥」号が誕生した。(当初は湖西線開業前のため米原経由)

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【2010年4月7日17時09分】 東海道本線・大阪駅

<変態鉄>が富山に行くと、間違いなく大阪ゆき特急「雷鳥」号の発車案内が流れており。地平時代の富山駅に「雷鳥」号がいるのは、ある種、当たり前の風景だった。

時刻表を開いても「L特急」の、あのマークがずらりと並んで、その間に申し訳無さそうに普通列車が設定されていて...
そんな90年代までの北陸本線を見て、乗ったものとしては、次の3月改正は、まさに「北陸本線が消える」という感を強くするのである。



その、北陸本線の象徴たる特急列車だった「雷鳥」号、一時はJR東日本新潟支社の485系も運用されていたが、末期はJR西日本(京都)の485系で。
カメラよりもMDレコーダ(!!)とマイクを手に、車内録音に明け暮れた、大学生の頃の<変態鉄>。その中に大阪〜金沢間「雷鳥13号」の録音データがあった。ただ、いっさい記録は残しておらず、録音日時も不明。小松付近からのものと思われる録音データだったので、福井鉄道を撮ってから...かも知れないし、大阪から乗っていたかも知れない。北陸に行くことは多かったので、その分、記録も記憶も曖昧になって。

でも、録音したものを聞き直してみると、断片的な記憶が蘇ってくる。
確か、若い見習いの(??)車掌さんがベテランの車掌さんとペアで乗務して...研修中のような感じだっただろうか。そう言えば、終着・金沢駅到着を告げるアナウンスも、何だか初々しい口調にも聞こえてくる。

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21年前の夜行快速(2001.3 快速「ムーンライト高知」京都駅到着) [車内放送]

ことでんレトロの話題が終わったところで、今日は1つ、車内放送のコレクションからご紹介したい。

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【2021年10月22日12時21分】 若桜鉄道・隼駅

<変態鉄>が学生だった頃には、各地にまだ「夜行快速」が残っていた。
その中でも、京都駅から西日本各地に向かう「ムーンライト」シリーズは、操配用の12・14系客車を連ねて。国鉄時代の夜行急行を彷彿とさせるような...
当時は運転日も多く、オフシーズン以外は、学生の長期休暇の期間でなくても週末なら走っているような感じだった。利用したことは数知れず。



その中でも、変わった存在、学生のビンボー旅行には無縁だったのが「ムーンライト高知」号。
キハの「四国色」にも通じる、白地に水色の12系客車には四つ葉のクローバーのグリーン車マーク。“全車グリーン車指定席”の扱いで、京都-高知間を結んでいた。
のちに、そのJR四国の12系「ロ」も、青地に白帯の本来の塗装に戻され。その12系の塗装になってから、2001年3月に、高知-京都間で乗車した際に、録音した京都駅到着を告げる車内放送をご紹介したい。

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車内放送のコレクションから。1997年11月8日 特急寝台「あかつき」お休み放送 [車内放送]

昨日までで2021年の趣味活動を総括する記事を終えて、拙ブログも大晦日はお休みの予定...だった訳など無く。

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【2020年12月31日15時33分】 小湊鐵道・上総三叉-上総山田

実は今日は<速報版>にする予定だった。考えていたのは小湊キハ、実は昨年の“撮り納め”も大晦日の小湊キハだった。夕陽に照らされるキハ200形の姿を上総三又駅近くで撮って...
今年もほぼ同じような感じで考えていた。でも...
悩んだ挙げ句、出かけるのを断念したのである。その<速報版>のために、1日前倒しする形で2021年のまとめの記事を昨日まで2日連続で。
ということで、そのポッカリ空いてしまった穴の部分(笑)、引き続き、10月の吉ヶ原の話題を紹介しても良かったのだが、明日から<速報版>になることは決まっており...というか、明日以降、自宅でフツーの記事を書いていてはマズいのである。

さて、ということで、学生時代に、MDで録音してあった車内放送のコレクションから。

以前、「録った時は“成功”と思って聴きなおしたら“失敗”だと思ったケース」として、1997年11月の山陰線特急「いそかぜ」の車内放送をご紹介した(→ こちら)。
今度は、逆に「録った時は“ボツ”と思っていたが23年後に聴きなおしたら“貴重な記録”だと思えるようになった」録音データをご紹介したい。



1997年11月8日の晩、京都駅を発って長崎と佐世保に向かう特急寝台「あかつき」号、姫路駅を発車した後の“おやすみ放送”である。
MDでの車内録音1年目、まだまだ経験が...、失敗の連続だった。

ほかの乗客の話し声を拾わず、車内放送をクリアに録れるかと、個室寝台を確保して...
でも、それが裏目に。コレはショックだった。

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うまく録れたと思ったら...(1997/11/11日 山陰特急「いそかぜ」号にて) [車内放送]

MDを使っての車内録音を始めたのは1997年の年初だった。ポータブルの「録再機」にマイクを繋いで、マイクレベルを調整して...
操作自体は難しくないのだが、写真撮影より遥かに難しいのが車内録音。

写真なら構図を調整して、目障りなものをファインダー内から外せばよいが、録音の場合は...
他の乗客の話し声だけではない。意外と気になるのがビニール袋の音、いや、ほかの乗客だけではなく。車内の、デッキとの仕切り扉が「バタンっ!!」と大きな音を立てて録音自体がエラーになって止まってしまったり。
車内放送の前後だけでも2~3分は少なくとも。その間、イヤホンで聞きながら録音だが...、ずっと心臓バクバク。

「うまく録れたっ!!」と思って録音をストップしても、あとで聞き直してみると、そのときは気にならなかったものがノイズとして目立っていたり...
録音後に聞き直してショックを受けることも少なくなかった。

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【1998年頃】 山陰本線・米子駅

短編成化されても島根県内の山陰本線では、まだまだ主力として活躍していたキハ181系特急型ディーゼル動車、ゴハチニハチのDMH17とは全然違った力強いエンジンサウンド、疎らな乗客の車内に流れる「アルプスの牧場」のオルゴール、そんなシーンを録音しようと。
出雲大社と一畑電車を巡った後、午後の出雲市駅から乗り込んだのは、朝、小倉駅を出発してはるばる山陰本線を走ってきた特急「いそかぜ」号。

以前、拙ブログで下り「いそかぜ」号の米子駅発車後の放送をご紹介した(→ こちら)。



今日ご紹介するのは、1997年11月11日の特急「いそかぜ」号の車内放送。長躯、北九州から6時間かけて日本海沿いを走り抜けてきたディーゼル特急は、松江駅で大半の乗客が下車、わずかな乗客を乗せて15時過ぎに終点・米子駅に到着する。

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2009年10月 北陸本線「雷鳥17号」にて。(車内放送のコレクションから) [車内放送]

これは酷い。それにしても酷いとしか言いようがない。

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【2009年10月26日8時23分】 福井鉄道福武線・市役所前(当時)電停付近

このときの撮影データ、写真を見ながら自分で自分に呆れるばかりだった。

さて、<変態鉄>の車内放送のコレクション、実はいくつか録音日時がハッキリ分かったものがあって。

そのうちの1つ、2009年10月27日の北陸本線の485系特急「雷鳥17号」の金沢駅到着の車内放送をご紹介したいのだが...
いまはなき、越後湯沢ゆき「はくたか」号への乗り換え案内、そして、もちろんベテラン車掌さんによる落ち着いた口調のアナウンス...
車内放送マニアには、とても懐かしく感じられる“古き佳き時代”のサウンド。



“ブーーーンっ”とお腹の底に響いてくるような走行音、一面の水田地帯を走り抜けて...
一昔前の<乗り鉄>旅では当たり前すぎる、国鉄型特急電車の乗り心地。

485系の乗務員室、車内放送マイクの下側には箱形のオルゴールが付いていて。ボタンを押すと「鉄道唱歌」のオルゴールが1コーラス演奏されるようになっていた。
JR化以降、地域ごとの特色を出すことや、そもそもオルゴールの補修用部品の調達面の問題などもあって、国鉄特急型電車のオルゴールも徐々に電子チャイムに交換され。
そんな中、比較的最後まで鉄道唱歌のオルゴールが残っていた京都所の485系も、細末期には、その電子チャイムに交換され。

2009年10月の録音の分では、放送の前後に電子音版の「鉄道唱歌」が流れている。
確か箱形のチャイムには、4個か5個のボタンが付いていて、この「鉄道唱歌」の他には「ラバースコンチェルト」のチャイムも流せるようになっていたような...
自分がマイクを構えたときは、それが、なぜかいつも「鉄道唱歌」で。西日本に広く普及したこの電子チャイム、「鉄道唱歌」しか撮ることができなかった。

撮影データから、この日の前後の撮影データを探してみると、この前日、福井に到着、福井駅前のホテルで1泊して、福井鉄道福武線の200系を撮ったみたい。
その後、この「雷鳥17号」に乗って富山へ。そして、「飛越ゴハチ」を...

でも、その写真、酷いの何の...

こんな酷い写真ばかりで...

と、記事を書く段階になって途方に暮れたのである。それが冒頭の一言。

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2005年春、城端線のキハで。 [車内放送]

今日はちょっと古い車内放送ネタで。



2005年の春(だったと思う)、富山に行ったときのワンシーン。

学生時代の<変態鉄>、旅行...というか<鉄>活動で出かけるときは小さな手帳を携帯していた。それが、リング式の中身を取り替えられるタイプで。
そう、一時、流行った「システム手帳」というヤツのちょっと小さい版...のような。

でも、整理整頓が何より苦手な<変態鉄>。実家の机の引き出しの中で他のものと混ざってしまって...
学生の頃はネットなど無かった時代なので、見るものすべてが新鮮だったし、事前の情報などあろう筈もないので、驚きも大きかった。途中駅ですれ違った列車の編成など、事細かにメモをとっていた時期もあったので、ちゃんとファイルしていれば貴重な資料になっていたかも知れない。

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【2005年頃】 城端線・城端駅

他の荷物の中に、その中の1ページを見つけたのである。

朝8時に高岡駅を出発する城端線の普通列車、キハ4連での運転は福光、砺波へ通う高校生たちの通学列車。キハのエンジン音をかき消すほど賑やかな車内。
でも、福光駅を出ると、それまでの喧噪がウソだったかのように...

終着・城端駅到着を告げる短い放送を録音していた。

しかし、日付も何も書いていない。それなのに2005年春と分かったのは...

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「観光案内放送」が聴けたとき(1998年11月・山陰線特急「おき3号」) [車内放送]

今日はマニアックに。

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【2016年6月12日11時21分】 岡山県津山市・津山まなびの鉄道館

先日、ご紹介したキハ181系特急「いそかぜ」の車内放送に続いて。この当時、米子支社配置のキハ181系は3両編成を基本に、山陰本線の、島根県内を中心に特急列車に活躍していた。
「いそかぜ」号は1日1往復、朝夕に島根県内と鳥取県内で完結するのが「くにびき」(途中で名称は変わっているが...)、そして、1日3往復あった新山口(小郡)-米子を山口線経由で結んだのが「おき」号だった。
“周遊きっぷ”を使えば自由席に乗ることができたので、これらの特急で録音することも多かった。

下り列車は、わずかな乗客を乗せて米子駅を発車すると、長いトンネルを抜けて安来節の安来、次の停車駅が松江である。松江でまとまった乗車があって...
まず1つめ。ご紹介したいのは、たぶん、1998年11月14日の「おき3号」のもの。



その松江駅到着を告げる車内放送を2つご紹介したい。
いずれも1997~2000年頃の録音だが、1つ目だけは日付がわかるメモが見つかった。1998年11月14日の特急「おき3号」の松江駅到着を告げる車内放送。
でも、もう1つ、この記事の最後に載せたのは、記録が...97年から99年頃のものだと思うのだが...
いずれも受け持ちは米子車掌区だったと思う。オルゴールのない車内放送であっても、ちゃんと録音していたのは...

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車内放送のコレクションから(1999/9/7 山陰特急「いそかぜ」号 米子発) [車内放送]

だいぶ前に書いた、MDレコーダの話(→ こちら)。あれから半年、仕事がバタバタしていて、なかなかまとまった時間がとれないまま、MDたちは机の上で事実上の放置状態である。
書きたい話題が書けないというのはブロガーとしては辛いところだが、遠い昔にパソコンに取り込んでおいたファイルのストックから、1999年9月7日の昼、わずかな乗客を乗せて米子駅を発車した山陰本線の特急「いそかぜ」号の車内放送を。

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【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

当時、JR西日本米子支社管内は国鉄型キハの楽園のようなところだった。「おき」「いそかぜ」「くにびき」と、特急では短編成化されたキハ181系が大活躍。狙っていなくても、快速列車はキハ58+キハ28編成、普通列車はキハ47形2連、基本的にワンマン運転は行っておらず、どの列車にも車掌さんが乗っていた。
<車内放送マニア>として嬉しかったのは、米子の車掌さん、普通列車でもこまめにオルゴールを鳴らして車内放送をしていたこと。通勤列車でも“アルプスの牧場”のチャイムは、途中駅でもフツーに流れていたのである。

ただ、それも終わりは見えてきており。

そんな時期、客車急行「だいせん」号がなくなると聞いて、録音しに行って(→ こちら)。周遊きっぷ片手に、翌日はその米子管内の国鉄型キハに手当たり次第に乗りまくったのである。



米子駅 12:46発の特急「いそかぜ」号、1号車指定席には誰も乗っておらず。発車直前、車掌さんに許可をもらって、その車内でマイクを構えて、発車直後の車内放送を録音したのである。
「終点の小倉には18時49分の到着です」、実に所要6時間、米子から山陰海岸に沿って西へ西へと進み関門トンネルを抜ける当時としても、屈指のロングラン特急だった。

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2001年3月 2000系特急「宇和海3号」松山駅始発放送 [車内放送]

今日は久々に車内放送のコレクションの中から。
早いもので、まる20年になる。この時期も、辛いことはいろいろあったが
ある意味、一番、楽しかった時代かも知れない。
当時、大学4年生、でも、大学生活は5年目が終わろうとしていた時期。

自分自身も何をしても楽しい時期だった。到底、ココに書けないような事も
いろいろやった。いま思えば、メチャクチャな事をしていた。
でも、とにかく楽しかった。

20年という時間は長かったような短かったような...

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【2016年3月2日14時55分】 土讃線・高知駅

分割民営化直後、JR四国が高速バスとの対抗手段の決め手として
投入したのが、2000系振り子式特急型ディーゼル動車。
急峻な四国山地を越えるには、カーブを高速で通過できる振り子式車両、
そして、国鉄時代とは桁違いのパワフルなエンジンが必要だった。

そんな、四国ならどこでも見られた2000系ディーゼル動車も、そろそろ
表舞台からは勇退、ローカル特急へと活躍の場を移す時期が来ているみたい。
昨年、ことでんレトロを撮りに訪れたときも、撮影地で待っている間
“同業者さん”たちは、土讃線特急の2000系を撮る話をしていた。

2000系が「四国のエース」だった時代、<変態鉄>はまだ学生だった頃。

自分の“人生の転換点”とも言えそうな瞬間を迎えたのは四国だった。
その2日後の朝、<変態鉄>は道後温泉のホテルをチェックアウトして
松山駅に居た。



車内放送のコレクションの中から、2001年3月23日の特急「宇和海3号」の
松山駅発車後の車内放送をご紹介したい。

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