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車内放送のコレクションから(1999/9/7 山陰特急「いそかぜ」号 米子発) [車内放送]

だいぶ前に書いた、MDレコーダの話(→ こちら)。あれから半年、仕事がバタバタしていて、なかなかまとまった時間がとれないまま、MDたちは机の上で事実上の放置状態である。
書きたい話題が書けないというのはブロガーとしては辛いところだが、遠い昔にパソコンに取り込んでおいたファイルのストックから、1999年9月7日の昼、わずかな乗客を乗せて米子駅を発車した山陰本線の特急「いそかぜ」号の車内放送を。

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【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

当時、JR西日本米子支社管内は国鉄型キハの楽園のようなところだった。「おき」「いそかぜ」「くにびき」と、特急では短編成化されたキハ181系が大活躍。狙っていなくても、快速列車はキハ58+キハ28編成、普通列車はキハ47形2連、基本的にワンマン運転は行っておらず、どの列車にも車掌さんが乗っていた。
<車内放送マニア>として嬉しかったのは、米子の車掌さん、普通列車でもこまめにオルゴールを鳴らして車内放送をしていたこと。通勤列車でも“アルプスの牧場”のチャイムは、途中駅でもフツーに流れていたのである。

ただ、それも終わりは見えてきており。

そんな時期、客車急行「だいせん」号がなくなると聞いて、録音しに行って(→ こちら)。周遊きっぷ片手に、翌日はその米子管内の国鉄型キハに手当たり次第に乗りまくったのである。



米子駅 12:46発の特急「いそかぜ」号、1号車指定席には誰も乗っておらず。発車直前、車掌さんに許可をもらって、その車内でマイクを構えて、発車直後の車内放送を録音したのである。
「終点の小倉には18時49分の到着です」、実に所要6時間、米子から山陰海岸に沿って西へ西へと進み関門トンネルを抜ける当時としても、屈指のロングラン特急だった。
……  ……

<変態鉄>が撮りに通う「キハ」、ディーゼル動車。
戦前は超閑散線区の簡易的な車両としての性格が。でも、液体変速機、トルクコンバーターがようやく鉄道車両用に実用化され、戦後の燃料事情が落ち着いてくると、昭和30年代から気動車...ディーゼル動車を使って優等列車を設定しようとする動きが。
オトナの事情で、急行形を飛ばして特急型キハ80系を先に製造した...というが。とはいえ、安定性を狙って...というより新技術を開発する余裕がなかったということかも知れないが、180 PSという非力なDMH17系エンジンを積んでいては山岳区間には特急は...

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【2016年6月12日11時21分】 岡山県津山市・津山まなびの鉄道館

ということで、昭和40年代に入ると強馬力エンジンが開発され。それを搭載したキハ181系が登場する。
奥羽本線「つばさ」、中央本線「しなの」、伯備線「やくも」と四国地方、非電化の幹線、しかも急峻な山岳部を経由する路線に特急列車を設定するのに貢献した。

しかし...

主要幹線であれば当然、電化が進められるわけで。本州では数年から10年の活躍で、運転区間が電化され。加速の良い電車特急に置き換えられ...。
無骨な山男...といった風貌の特急型ディーゼル動車も、生涯、その“山岳特急”としての使命を全うできたのは播但線「はまかぜ」と土讃線「南風」くらいだろうか。

短編成化され、山陰海岸に沿って走るローカル特急へと活躍の場を移していった。

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【1999年9月7日】 山陰本線・米子駅

<変態鉄>が、初めて、このキハ181系に出会ったのは1997年、大学2年生になる春休みに訪れた山陰地方でのこと。
だから、自分には短編成化されている姿こそが“デフォ”なのである。

特に米子支社管内は、グリーン車も省き、キハ181+キハ180+キハ181という普通車だけの3両編成。運転台付きキハ181形は客室前部に大きな機械室を備えていて...
客室は車内の半分強、だから事実上、2両分くらいのキャパしか無く...
そもそも、その関係で運転台付きキハ181形にはトイレの設備が無く。だから、3両編成というのはサービス上、必要最低限の長さの編成だったのである。

国鉄特急型だけに、グリーン車の車端に専務車掌室があるはずだが...

短編成化でそれもなくなり。尤も、3両編成なので車掌さんも後部運転台に乗務しても良いのだが...

山陰本線は特急停車駅にも無人駅が多く、ホーム上での集札業務のため中間車に車掌室を取り付けて。

この“不思議なキハ180形”が中間に入るのが「いそかぜ」の特徴でもあった。
客席の、一番端の座席1列を撤去して、そこに簡素なパーテーションを設置して車掌室にしていたはず。

でも、やはり、キハ。

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【2015年8月2日8時24分】 水島臨海鉄道水島本線・倉敷市駅 

その“簡易車掌室”の車内放送マイクにも、ちゃんとオルゴールは付いており。


1999年9月7日。

当日のメモには、

  9月7日 29D「いそかぜ」

  ↑
   1  キハ181-32 (指定)
   2  キハ180-14 (自由【喫煙】)
   3  キハ181-14 (自由)

という記録が残っている。写真はあまり撮らないものの、こういうところはちゃんとしていたみたい。

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【1998年頃】 山陰本線・米子駅

正午過ぎのホームに停まる3両編成の特急列車、ただ、もともと山陰線西部の特急列車は車庫の関係で米子発だったが、島根県内からの輸送が目的の列車。大半の乗客は松江駅で乗り込むのは、いつものパターンで。
だからこそ、<変態鉄>の録音では、ここが“狙い目”だったのである。

奥のホームにはキハ58+キハ28の列車の姿が確認できる。いまなら、カメラを持って猛然とダッシュしそうな光景だが、当時の米子駅では、これは当たり前のことだった。
だから、この頃のネガにゴハチニハチを撮ったコマは殆ど無くて。(非常に悔やまれる)

9月だからまだ暑かった。車内は冷房が入っていて。録音はそのノイズを思いっきり拾っている。

マイクの下部にオルゴールがあって。その都度、下のゼンマイを捻って、ヨコにある「放」のボタンを押しておけば、その間、車内のスピーカーからオルゴールの音が流れる。ある意味、非常にプリミティブな仕組みである。

最近は<鉄>向けのサービスとして、「アルプスの牧場」のメロディを1コーラスきっちり流しきってくれることが多いが、このチャイム、もともとゼンマイを巻いた分だけ流れる上に、ゼンマイを1回転回してもそれが1コーラス分に一致しない仕様で。
だから、曲の途中で始まって途中で終わるのが通常だった。

そして、この車掌さん、アナウンスをする前に、オルゴールが流れているところで深呼吸をしているみたい。もちろん、その音もスピーカーから流れている。
これも当時としては「よくあること」だった。

安来、松江、宍道、出雲市、大田市...、川棚温泉、下関、小倉

と長々続く到着時刻の案内が長距離列車らしさである。

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【2004年2月24日】 山陰本線・梅ヶ峠-黒井村

だが、山陰本線高速化工事に合わせてキハ181系も米子を去ることになり。
同時に「いそかぜ」も、下関-益田の短距離特急になって。その最末期に一度だけ撮る機会があったのである。

フィルム時代のEOSくんで撮った写真、平凡な走行写真だが、当時の自分としては、現像から上がってきたプリントを見て、思わずガッツポーズが出るくらいの出来映えだった。

特急寝台「サンライズ」を除いた昼行の特急列車の中で最長のものは日豊線の「にちりんシーガイア」号だそうで...
それでも博多-宮崎空港は6時間かからず。いま思えば、長距離列車を乗り通すというのも、贅沢なことだったのかもしれない。

というわけで、明日は...

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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