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21年前の夜行快速(2001.3 快速「ムーンライト高知」京都駅到着) [車内放送]

ことでんレトロの話題が終わったところで、今日は1つ、車内放送のコレクションからご紹介したい。

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【2021年10月22日12時21分】 若桜鉄道・隼駅

<変態鉄>が学生だった頃には、各地にまだ「夜行快速」が残っていた。
その中でも、京都駅から西日本各地に向かう「ムーンライト」シリーズは、操配用の12・14系客車を連ねて。国鉄時代の夜行急行を彷彿とさせるような...
当時は運転日も多く、オフシーズン以外は、学生の長期休暇の期間でなくても週末なら走っているような感じだった。利用したことは数知れず。



その中でも、変わった存在、学生のビンボー旅行には無縁だったのが「ムーンライト高知」号。
キハの「四国色」にも通じる、白地に水色の12系客車には四つ葉のクローバーのグリーン車マーク。“全車グリーン車指定席”の扱いで、京都-高知間を結んでいた。
のちに、そのJR四国の12系「ロ」も、青地に白帯の本来の塗装に戻され。その12系の塗装になってから、2001年3月に、高知-京都間で乗車した際に、録音した京都駅到着を告げる車内放送をご紹介したい。

……  ……

当時、大学生だった<変態鉄>。卒業旅行...になって「しまった」旅は、卒業する気も無く訪れた四国への一人旅だった。松山は奥道後で泊まって温泉を楽しんだ後は、最後の1日は四国の西半分を反時計回りに1周して高知へ。


【2001年3月頃】 土讃線・窪川駅(??)

主な被写体が路面電車だった<変態鉄>、高校生の時から四国に来ることはあったが大抵は高速バス利用だった。四国のJR線は乗っていない区間が意外と多く。
2000系「宇和海」号で宇和島駅まで行けば、そのまま予土線に乗り換え。車掌さんにトロッコ車を薦められながらも、キハで過ごしていた<変態鉄>だった。


【2001年3月頃】 土讃線・中村駅(??)

そこから、こんなのにも乗って。

夕方、特急「しまんと」号で高知に到着したのだった。確か、とさでんの路面電車で市内中心部の繁華街まで出て夕食を済ませたかと。
今だったら、夜の街を走る路面電車の撮影にいそしむところだろうが...

まだ地平駅だった当時の高知駅。そのベンチで長い間、待っていたような気がする。この夜行列車を待っている時間というのは、兎に角、退屈だったのだが、当日のメモを整理したり、持っていったCDで音楽を聴いたり。


【2001年3月頃】 土讃線・高知駅

ようやく。もう、駅構内にも人影はまばら。そんな時間帯になってDE10に牽引された12系客車3両編成が入線してくるのだった。

車内は、夜行高速バスを意識したと思われる深くリクライニングする3人掛けシートの車両とカーペット車。この日の<変態鉄>はカーペット車に乗ったと記憶している。
確か、車内は閑散としておりゆっくりできたのだった。

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【2001年3月頃】 土讃線「ムーンライト高知」車内

むしろ寝台車よりもゆっくりできる構造だったかも。
簡単な枕と、毛布が各席に用意されており。1席ずつにパーテーションがある訳では無いので、雑魚寝状態だが空いていれば、むしろこの構造の方がラクで。
いまの「サンライズ」号の“のびのび座席”の1段バージョン...と言ったところか。

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【2021年10月22日12時21分】 若桜鉄道・隼駅

その「ムーンライト高知」用のカーペット車は、現在は若桜鉄道・隼駅に保存されている。コロナ禍で中止になっているが、ライダーズハウスとして、宿泊もできるようになっていたはず。そう、このカーペット客車、“いまなお現役”なのである。

高知駅を出ると、停車駅は後免、土佐山田、だっただろうか。もちろん、途中駅での運転停車はあったはずだが琴平も瀬戸大橋も夢の中。旅の疲れもあって、車内泊では珍しいくらい、熟睡したのを覚えている。

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【2021年10月22日13時51分】 若桜鉄道・若桜駅

岡山駅は3時頃だっただろうか、ピーク時には、岡山で下関・広島方面の「ムーンライト」号との併結作業があるので停車時間も長く。兵庫県内に入って「JR神戸線」に名前が変わるあたりからは快速列車らしい停車駅になって。
ただ、早朝時間帯の設定である事と全車グリーン車指定ということもあって、途中駅からの短距離利用の乗客はおらず、高知から一晩を過ごしてきた乗客が降りていく度に、車内は閑散としてくるのだった。

出入庫の関係だろうか、この当時、「ムーンライト」シリーズは大半のケースで京都駅発着で運転されており。

大阪駅を発車すれば、車内には数えるほどの乗客。座席車が無人だったので、そこでマイクを構えたのだった。
改造車とはいえ12系客車、車内放送には“ハイケンスのセレナーデ”のオルゴールが流れる。この編成の放送装置はアナログのオルゴールのものだった。
ただ、久しくゼンマイを巻いていないのかオルゴールは止まってしまいそうな位のテンポで。

深夜の児島あたりでJR西日本の車掌さんに交替しており。アナウンスも非常に好放送。誰も座っていないときのリクライニングシート特有のカタカタ音を拾っているが、録音状態はそう悪くはなく。
桂川鉄橋だろうか、長い鉄橋に架かるところで放送をいったん中断するのもJR西日本の車掌さんに多いパターン。

京都駅は新幹線以外にも山陰本線(嵯峨野線)、奈良線、湖西線と乗り入れる路線が多いだけに乗換案内も多く、その長いアナウンスに長距離列車の終着駅に相応しい風格を感じていたのだった。
マイクを片付けると、当時の<変態鉄>は京都駅で写真を撮ることも無く、新幹線ホームへと急いだのだった。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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