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2023年撮り納めは小湊鐵道(3)歩いて久留里駅から月崎駅へ [町歩き(鉄分薄め)]

小湊鐵道の歴史は意外と古く。意図した部分とやむを得ない部分が混在している...という感じではあるが、大正時代の開業当時からの施設、設備が現役で残っているのも、この路線の魅力になっており。

社名の「小湊」、自分も最初は謎だった。ちなみに、小湊というのは鴨川市内にあって。それにしても安房鴨川なら鴨川シーワールドなど観光名所もあるのに、わざわざ隣の安房小湊を社名に...、しかも、外房の地名を社名にとりながら、内房の市原市内が“勢力圏”。圏央道開業によるアクアライン高速バスの再編で、安房小湊ゆきの高速バスを担当するようになり、創立から100年ほど経って、ようやく社名の由来になった地へ乗り入れを果たし...

拙ブログでも何度か書いた通り、その「安房小湊」という地には、小湊山誕生寺、近くに千光山清澄寺というお寺があって。日蓮宗を開いた日蓮聖人が生まれた所が「誕生寺」、そして、題目を...、それが「清澄寺」だったかと。
だから、大正時代の房総では「小湊」の知名度は抜群だったようで。戦後まで千葉県内、特に房総地区の小学校では修学旅行のような感じだろうか、一人前になった証として、清澄山まで歩いていって参拝する...という伝統があったところもあるという。

だから、約120年前、そんな地名を社名に抱いたのは、自然な流れだったのかも知れない。実際には、現在の市原市域の地域輸送が主な目的だったのだろうか。上総中野で国鉄木原線と接続した後は、安房小湊へ向けての延伸工事が本格的に行われていたような形跡は...

いつの間にか、その市原市域でも内陸部での人口減少が進んでおり。外房までの延伸よりも、上総牛久以降の山間部の区間の存廃が話題になり始め...

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【2023年12月30日12時35分】 小湊鉄道線・月崎-上総大久保

でも、そんな“房総横断鉄道”の“夢のあと”、本来、木原線(現・いすみ鉄道)と結ばれる予定だったのは久留里線だった。代わりに、大正時代に五井から小湊鐵道が上総中野に至って、木原線と結ばれている。この日は小湊キハを撮りに行って五井に戻ったが、久留里 → 月崎 → 上総中野という経路は、ある意味、旧木原線を実現することにもなるわけで。

そんな意義を勝手に妄想しながら、山の中の寂しい県道を歩き続けたのである。

久留里(君津市)から月崎(市原市)まで7 km、1時間半のウォーキング、今日の記事は<鉄>分が少ない記事になるのをご了承いただきたい。

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