381系特急「やくも」号を撮りに高梁川第7橋梁へ(9=最終回)米子鬼太郎空港 [飛行機の話題]
中断を挟みつつ、9回に分けてご紹介した、4月19日の伯備線撮影記も最終回。
【2024年4月19日19時38分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
短距離ながら、381系「やくも」号の乗車も果たした後、やってきたのは米子空港だった。
この前夜、18日の夜、「のぞみ」号の車内で5月の大型連休の、羽田 〜 伊丹の往復の航空券と堺市のホテルを予約していたのだが...
高梁川第7橋梁での撮影は、特に後半がダメダメな展開。その「心残り」から、往路のチケットを羽田 〜 岡山に変更することを決めたのが、その「やくも19号」の車内でのこと。
一昨日まで<速報版>でご紹介した通り、大型連休の1日を伯備線沿線で過ごしたのだった。もちろん、“収穫”も多かったものの消化不良のまま終わってしまったところもあって。6月には381系の定期運用が終了する予定。やっぱり...、いま再び迷っている<変態鉄>である。
…… ……
2024年4月19日(金)晴れ
すっかり変わってしまった米子駅前。
【2024年4月19日18時47分】 鳥取県米子市弥生町・米子駅前
駅舎を背にして左側にバスロータリーがあって、その手前には広場のようになっているエリア。
そこに「山陰鉄道発祥の地」の碑と蒸気機関車の動輪が飾られており。
山陰本線と境線になる境 〜 米子 〜 御来屋が開業したのが、1902年(明治35年)のことである。当時、日本海側での建設には、資材も人の輸送も船舶が中心だったはずで、そういう意味で、港に近いところから鉄道の敷設が始まるのは自然な流れ。
その時以来、米子は鉄道の要衝となったわけで。
【2024年4月19日18時47分】 鳥取県米子市弥生町・米子駅前
動輪は、C57 43号機のもの。
車歴を確認してみると、製造は1938年(昭和13年)、兵庫県の三菱重工業神戸造船所。新製配置は東京局管内で終戦当時は宇都宮だったのか。その後、千葉などを経て尾久で活躍、まもなく東北に転じており。酒田機関区に配置され、羽越本線などを走っていたと思われる。
その後は梅小路(京都)を経て、豊岡機関区。1965年(昭和40年)からは山陰に活躍の場を移したようで、まもなく米子機関区に配置換えとなり、そのまま1969年(昭和44年)の暮れに米子機関区で廃車になっている。
山陰本線は、北海道と並んで「無煙化」の遅かった路線であり、最後まで残った下関側から蒸気機関車が消えたのは1975年(昭和50年)。でも、
ちょうど、このC57 43号機が廃車になる頃は、鳥取地区の無煙化が完了間近だった時期でもあり。
【2024年4月19日18時48分】 鳥取県米子市弥生町・米子駅前
他にも米子駅周辺には<変態鉄>として、気になるものがあるのだが、そう、のんびりしている訳にもいかなくて。
駅前広場の東端にあるバスの窓口で空港ゆきの乗車券を買って。
【2024年4月19日19時24分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
空港ゆきバスは、ぬぁんと...
2ドアの路線車。ただし、前乗り前降りになっており。座席定員は少ないが、それでも空席が目立って。むしろ、観光バスタイプの車両が来るよりも荷物が多いときは、この方がラクでもあって。駅前広場を離れてすぐの、東町バス停で数名が乗車、それでも空席が...
バスは片側2車線の空港道路を順調に走って、30分とかからず、米子鬼太郎空港に到着したのだった。
【2024年4月19日19時34分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
手荷物を預けたら、ちょっとだけ時間があったので空港内をウロウロ。
この、米子鬼太郎空港は境港市と米子市にまたがっていて、航空自衛隊美保基地と共用している空港で、山陰地方では最大規模ではなかろうか。
20年近く前に一度、訪れているのだが、あまりそのときの印象は無く。
今回、訪れてみて、ターミナルビルが思っていたより広くて明るい感じ...というのが“第一印象”だろうか。
もちろん、この地域らしく鬼太郎のモニュメントも。
【2024年4月19日19時38分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
上階に上がれば展望デッキ。
すっかり陽も暮れて暗くなっており。
ちょうど、羽田からのNH387便が到着したところ。エアバス機である。この機体が折り返し、自分が乗るNH390便となる。
夜の滑走路というのは、何とも魅力的なものである。ただ、それを表現できるだけの腕前がないのが<変態鉄>の痛いところ。
【2024年4月19日19時38分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
駐機場のスポットに近づけば照明灯の明かりが、トリトンブルーの機体を浮かび上がらせて。
登録番号「JA111A」、エアバス321型機である。
【2024年4月19日19時39分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
そこまで撮ったら、カメラを仕舞って保安検査場に向かったのだった。
20:12、ちょっとだけ早く出発した機体は、予定よりも少し早く羽田空港に到着したのだった。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
【2024年4月19日19時38分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
短距離ながら、381系「やくも」号の乗車も果たした後、やってきたのは米子空港だった。
この前夜、18日の夜、「のぞみ」号の車内で5月の大型連休の、羽田 〜 伊丹の往復の航空券と堺市のホテルを予約していたのだが...
高梁川第7橋梁での撮影は、特に後半がダメダメな展開。その「心残り」から、往路のチケットを羽田 〜 岡山に変更することを決めたのが、その「やくも19号」の車内でのこと。
一昨日まで<速報版>でご紹介した通り、大型連休の1日を伯備線沿線で過ごしたのだった。もちろん、“収穫”も多かったものの消化不良のまま終わってしまったところもあって。6月には381系の定期運用が終了する予定。やっぱり...、いま再び迷っている<変態鉄>である。
…… ……
2024年4月19日(金)晴れ
すっかり変わってしまった米子駅前。
【2024年4月19日18時47分】 鳥取県米子市弥生町・米子駅前
駅舎を背にして左側にバスロータリーがあって、その手前には広場のようになっているエリア。
そこに「山陰鉄道発祥の地」の碑と蒸気機関車の動輪が飾られており。
山陰本線と境線になる境 〜 米子 〜 御来屋が開業したのが、1902年(明治35年)のことである。当時、日本海側での建設には、資材も人の輸送も船舶が中心だったはずで、そういう意味で、港に近いところから鉄道の敷設が始まるのは自然な流れ。
その時以来、米子は鉄道の要衝となったわけで。
【2024年4月19日18時47分】 鳥取県米子市弥生町・米子駅前
動輪は、C57 43号機のもの。
車歴を確認してみると、製造は1938年(昭和13年)、兵庫県の三菱重工業神戸造船所。新製配置は東京局管内で終戦当時は宇都宮だったのか。その後、千葉などを経て尾久で活躍、まもなく東北に転じており。酒田機関区に配置され、羽越本線などを走っていたと思われる。
その後は梅小路(京都)を経て、豊岡機関区。1965年(昭和40年)からは山陰に活躍の場を移したようで、まもなく米子機関区に配置換えとなり、そのまま1969年(昭和44年)の暮れに米子機関区で廃車になっている。
山陰本線は、北海道と並んで「無煙化」の遅かった路線であり、最後まで残った下関側から蒸気機関車が消えたのは1975年(昭和50年)。でも、
ちょうど、このC57 43号機が廃車になる頃は、鳥取地区の無煙化が完了間近だった時期でもあり。
【2024年4月19日18時48分】 鳥取県米子市弥生町・米子駅前
他にも米子駅周辺には<変態鉄>として、気になるものがあるのだが、そう、のんびりしている訳にもいかなくて。
駅前広場の東端にあるバスの窓口で空港ゆきの乗車券を買って。
【2024年4月19日19時24分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
空港ゆきバスは、ぬぁんと...
2ドアの路線車。ただし、前乗り前降りになっており。座席定員は少ないが、それでも空席が目立って。むしろ、観光バスタイプの車両が来るよりも荷物が多いときは、この方がラクでもあって。駅前広場を離れてすぐの、東町バス停で数名が乗車、それでも空席が...
バスは片側2車線の空港道路を順調に走って、30分とかからず、米子鬼太郎空港に到着したのだった。
【2024年4月19日19時34分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
手荷物を預けたら、ちょっとだけ時間があったので空港内をウロウロ。
この、米子鬼太郎空港は境港市と米子市にまたがっていて、航空自衛隊美保基地と共用している空港で、山陰地方では最大規模ではなかろうか。
20年近く前に一度、訪れているのだが、あまりそのときの印象は無く。
今回、訪れてみて、ターミナルビルが思っていたより広くて明るい感じ...というのが“第一印象”だろうか。
もちろん、この地域らしく鬼太郎のモニュメントも。
【2024年4月19日19時38分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
上階に上がれば展望デッキ。
すっかり陽も暮れて暗くなっており。
ちょうど、羽田からのNH387便が到着したところ。エアバス機である。この機体が折り返し、自分が乗るNH390便となる。
夜の滑走路というのは、何とも魅力的なものである。ただ、それを表現できるだけの腕前がないのが<変態鉄>の痛いところ。
【2024年4月19日19時38分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
駐機場のスポットに近づけば照明灯の明かりが、トリトンブルーの機体を浮かび上がらせて。
登録番号「JA111A」、エアバス321型機である。
【2024年4月19日19時39分】 鳥取県境港市佐斐神町・米子鬼太郎空港
そこまで撮ったら、カメラを仕舞って保安検査場に向かったのだった。
20:12、ちょっとだけ早く出発した機体は、予定よりも少し早く羽田空港に到着したのだった。(おわり)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
コメント 0