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2023年撮り納めは小湊鐵道(2)久留里線 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

千葉県は明治期以来、道路整備が遅れており。鉄道連隊を上手に活用して...という実に虫の良い話で県営軽便鉄道を各地に整備することになって。その1つとして開業したのが県営軽便鉄道久留里線(木更津〜久留里)である。1912年(大正元年)の年末に開業している。
しかし、762 mm軌間だったこともあって、開業後も木更津線(現在の内房線)とは分断されており、現在の久留里街道などの並行道路が整備されるとバスや馬車輸送にシェアを奪われ、当初から、経営は非常に厳しかったとか。

この直後、改正鉄道敷設法に木更津から大原までの木原線が盛り込まれると、渡りに船とばかりに軽便鉄道を国に無償譲渡することを県会で満場一致で議決、1923年(大正12年)9月1日に国に移管された。これが、ぬぁんと関東大震災の当日だったのである。

改軌され“木原東線”として上総亀山までは延伸されるが、現在の君津市と大多喜町、内房と外房の境界にあたる区間は、結局、敷設工事らしい工事もされないまま、小湊鉄道の上総中野延伸を以て、“房総横断鉄道”は完成したと見做され、いまに至るのだった。

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【2010年5月1日14時19分】 久留里線・久留里-平山

房総半島の中央部には標高200 m級でも山があって、そこが分水嶺となって、人、モノの流れを見ても現在も房総半島の東と西では分断されている感もあって。

それにしても、その山間部、城下町として栄えた大多喜などがある位で、それほど大きな街も無かったのにもかかわらず、鉄道路線が、東(外房)側からは国鉄木原線(いすみ鉄道)、西(内房)側からは小湊鉄道と久留里線と3路線もあったというのが、スゴいとも思える。車両のこともあって、最近はなかなか訪れる機会が無かったのが久留里線である。ちゃんと撮りに来たのは、2010年5月の大型連休、キハ30形の3連運行が行われたときだった。

ちなみに、この編成の3両すべてが現存しているというのもスゴいところ。この3連、先頭はキハ30 100号車である。

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