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夏の浅野川電車と「鉄印帳」(9)駅北のキューロク <後編> [保存車・博物館・廃線跡]

お気づきの方も多いかと思うのだが、2020年に拙ブログは「Part 2」になって。でも、その後も「初代」の方も完全に止めてしまったという訳では無く。この、冒頭部分と「Part 2」へのリンクだけを貼った“簡易版”というか、リード部分だけを掲載している。
本当は、その“移転”当初、更新を止めてしまう旧ブログの方をブックマークしていただいていたであろう、読者の皆さん向けに行っていたものだった。でも、惰性のような感じでダラダラと続けており。

そして、一昨日の井の頭線の記事で...

初代ブログの方の管理画面を見て、何かおかしい...と。そう、予約投稿の設定を間違えて、そのリード部分だけ1日早く公開してしまうという凡ミスを。
そんな記事に限ってPV数がうなぎのぼり。本文の無い、中身のない記事が関心を集める、という書いている側としては何だかビミョーな...、まぁ、悪いのは100%、自分なのだが。

何だか疲れが溜まっているような。

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【2022年6月30日13時00分】 阪堺電気軌道・大和川検車区

11月もまもなく折り返し点。12月に入れば一気に正月である。そう思えば、2022年もあっという間。あと1ヶ月半の間に何とか、あのキハを撮りに行きたい...とそればかり考えているのだが、同時に2023年の“初撮り”を何にするか...
まぁ、どこに撮りに行くのかは、99%決まっているのだが、そのスケジュールも考えないと。

でも、あのキハが、やはり気になっていて...う~ん。

さぁ、正月の心配をしつつもブログは未だ6月の撮影記。30日の朝、富山に到着、すぐに向かったのは駅北の牛島公園だった。


……  ……

2022年6月30日(木)晴れ

何十年ぶりだろうか、キレイな姿を取り戻し、牛島公園にやって来た9600形蒸気機関車。
いまから150年前、明治初期に鉄道が開業して以来、長らく機関車は輸入に頼っていた。国産技術の高まりで国鉄の機関車が国内工場で製造できるようになったのは、この形式から。

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【2022年6月30日8時39分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

それでも、1913年(大正2年)製の最初のグループはピストンバルブなど一部に輸入品を使ったが、9600形第2陣として翌年、製造された9618号機からは“純国産”。
その純国産グループの第1陣となった1914年(大正3年)製のグループの中に、この9628号機も。

この機関車の車歴だが、調べてみると意外と分かっていないことが多いみたいで。まぁ、よくあるパターンだが...

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【2022年6月30日8時40分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

現地の説明板と、他の資料では記述が一致しない部分も多いのである。

ということで、9628号機の経歴を。

製造は1914年(大正2年)10月、川崎重工兵庫工場である。新製配置は東京局管内だったとする資料もあるが、説明板だと直江津機関区。

その後、昭和に入ると9600形はまとまった数が廃車となる。新製から数年だが、廃車というのは大陸に送られたということ。中国から東南アジア、あるいは樺太局へ。
C56形と違ってキューロクの、その海外に送られた個体に日本への帰還を果たせたのは1両も無かった。

ただ、この機関車は幸いにも大陸には送られることなく終戦を迎えている。戦時中は高山機関区に配置され高山本線などを走っていたみたい。
説明板では、1950年(昭和25年)頃に富山機関区に配置替えとなり、そのまま1970年(昭和45年)の廃車まで富山機関区にいたとなっているが、富山から福井機関区に転じ、福井で活躍した後、富山第一機関区で廃車...と記載している資料も。
高山本線の富山側が無煙化されたのが1969年(昭和44年)とされているので、それに伴い用途廃止になったものと推測される。それでも55年にわたる現役生活は、相当、長寿の部類に入る。

その後、富山城址公園に搬入されたのだろうか。自分がまだ小学校に上がるかどうか、昭和50年台に訪れたとき、既にSLが展示されていたような気がする。もちろん、そのとき「キューロク」などという名前は知るよしも無く。

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【2022年6月30日8時42分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

そんな、キューロクの外観、ちょっとアンバランスに思えるくらいの胴長短足なのである。動輪径が小さく見えて仕方ない。
台枠の上に直接、火室を置くという珍しい設計を採用することになり、難しいとされた位の大型ボイラーを搭載することに成功して。
室蘭近くで行われた3000トン貨物列車の引き出しに成功するなど、スピードはないものの重い貨物を牽くのを得意として。

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【2022年6月30日8時43分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

キャブの非公式側に見学台が設置されており。

「通常非公開」かと思えば、別にチェーンが張られているなども無いようなのでステップを...

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【2022年6月30日8時43分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

キャブ内も整備されており、でも、内部には住宅用の掃き出し窓のようなサッシが付けられており。キャブ内の機器には直接、触れられないようになっており。
こちらを施錠しておくというのは、なかなかうまい仕組みである。

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【2022年6月30日8時44分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

このキューロクは、終戦後の時期と1970年の廃車前の時期は富山に居たと思われる。ちょうど、その間に北陸本線の電化が進められ。
9628号機の活躍の場自体は、高山本線が中心で、もしかしたら富山での構内入換などを担当することもあったかも知れないが、その当時、北陸本線が電化されていたから...だろうか。この表示。
まぁ、富山港線(当時)は電化されていたはずだが。

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【2022年6月30日8時44分】 富山県富山市牛島本町・牛島公園

初期製造分は2軸の小型テンダーだったとされるが、この9628号機は3軸の大型化されて石炭・水の積載量が増やされたタイプが付いていたはず。
その大正生まれのテンダー、無骨な印象は、ズラッと並んだリベット(鋲)の効果だろうか。

美しい姿を取り戻した9628号機を見学できて。この状態のまま、長らく残って欲しいと願う次第。

……  ……

さて、公園を出て少し戻れば...

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【2022年6月30日8時48分】 富山地方鉄道富山港線・富山駅電停付近

前回、訪れた一昨年には、ここに「富山駅北」電停があって、電車待ちの乗客の列がJR富山駅(当時)まで続いていた。いまはすっかり更地のようになって。
コロナ禍もあって、富山に来なくなっていた時期に、背後にある高架化された富山駅舎の下にある市内軌道線の富山駅電停に乗り入れる「南北接続」が完成し、それとともに駅北電停は廃止となった。

いや、自分が知っている富山駅は、北口と南口が遠かった。駅北から覗き込んだ駅舎の向こうに、南側の光が見えている...ということ自体が画期的な。
あの長い長い地下通路を歩いた日々を思えば...

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【2022年6月30日9時00分】 富山地方鉄道富山港線・富山駅電停付近

赤い、0600形トップナンバーが、かつての起点、駅北電停を通り過ぎて
富山駅電停に到着するのだった。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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