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京王井の頭線 急行運転開始50周年記念 のお話。 [京王(井の頭線・京王線)]

関東鉄道竜ヶ崎線の話題は1日お休みをいただいて。今日は地元の路線のことを。

いまの住所に越してきたのは、3年前。でも、その前から京王井の頭線沿線で暮らしており。井の頭線沿いに移り住んできたのは1994年夏のこと、自分は当時、高校生だった。それまでは営団地下鉄(当時)の沿線だったので“私鉄”に乗ること自体が珍しかった方で。
井の頭線沿線で暮らして28年になる。いつの間にか、自分のここまでの人生の6割以上を井の頭線沿いで暮らしており。

もともと<鉄>であっても、都市型私鉄というのは“専門外”で。「興味は無い」と言いつつ、通勤に通学に毎日、乗っていれば、<鉄>の目線でいろいろなことを観察してしまうわけで。

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その、毎日、当たり前に利用している京王井の頭線。今年、その急行電車の運転が始まって50周年とのこと。
19日朝、沿線3駅で記念きっぷの発売が開始され。会社に向かう途中で明大前駅で降りて、記念きっぷを買ったのだった。

……  ……

そんな井の頭線、渋谷から吉祥寺まで12 kmあまりの路線。キロ数よりも駅数の方が多いので、隣の駅が見えているのが当たり前、いかにも“電鉄線”という感じの路線である。
歴史的経緯もあって京王線とも軌間が違い、他線との乗り入れなども無し。完全に独立した路線、5両編成の電車が渋谷-吉祥寺間を往復し続けるだけ...というのは、ある意味、地味な路線かも。5両編成というのも東京の路線としては異例の短編成。
急行と各停の2種別、緩急接続は途中の永福町駅で行われ。急行は渋谷、下北沢、明大前、永福町、久我山と吉祥寺に停車し、約17分で渋谷-吉祥寺を走破。コロナ前は終日、渋谷寄りの車両はかなり混雑するものだった。

沿線の大半は住宅街なので、撮れる場所は「無いわけでは無い」が、普段、あまり<鉄>の姿を見かける路線でも無く。

そんな井の頭線。1000系電車に統一されて久しく。

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【1996年1月頃】 京王井の頭線・高井戸駅

自分が初めて井の頭線を利用するようになったときには、まだまだ3000系しかなくて。そして、渋谷駅ホームはいまより狭くても青空が見えて気持ちよかった。銀座線の電車が出入りするのを眺めながら発車を待っていたのも記憶している。
自分にとっては、井の頭線に急行があるのは当たり前...という世代になるわけで。

永福町にあった車庫が移転して(現在は京王バスの車庫になっている)、その一部がホーム用地に転用され、永福町駅に待避線ができて。
(ホーム端に立って線路の様子を見ていれば、3・4番ホーム〔渋谷方面〕は、駅の前後で線路がグニャリと曲がっているのが容易に見て取れる)

それを利用して、1971年(昭和46年)に急行運転が開始されている。もちろん、自分が生まれる前の時代のことだが...

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【2010年2月14日15時31分】 京王井の頭線・久我山-三鷹台

長らく18 m・3扉の3000系が主力だったが、1996年から20 m級の1000系への置換えが始まり、10年ほど前に全廃となった。ちょうど拙ブログがスタートした頃。
その最末期、珍しく日中の急行運用に入っている姿を撮ることができたのだった。沿線に住んでいるので、急遽、撮りに行くことができて。

その3000系のシンボル、ステンレス車に彩りを添える前面のFRP(確か、リニューアル時に鋼製化)が編成番号順に7色に塗り分けられ。通称・レインボーカラー。現行の1000系にも受け継がれ。

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【2022年2月16日11時29分】 京王井の頭線・三鷹台-久我山

第1編成はブルーグリーン。今月に入ってからそのトップナンバー編成の前後に「急行運転開始50周年」のヘッドマークが掲げられており。
先日、その姿を、実家近くの踏切へ撮りに行ってきたのだった。

まさか、あの踏み切りに<鉄>が3人も集結するなんて...、信じられない位の大盛況だった。

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【2022年2月16日11時30分】 京王井の頭線・三鷹台-久我山

どちらも思いっきりトリミングした画像を使っているのは、“本命”のカットがピン甘になってしまったから。ことでんレトロで失敗したレンズを“試運転”を兼ねて使ったら、またもや、同じようにピン甘。
EOS R6 とは、ちょっと相性が悪いのだろうか...、次の“出撃”までに原因を特定したいのだが...
(ヘッドマークは編成を変えつつ4月まで掲出予定とのこと)

さて...。

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そして、19日朝から記念きっぷの販売が始まったのだった。
表面は、その50周年ヘッドマークを掲げた1000系電車の写真で。背面は、その急行運転が始まった当時のものと思しき、永福町駅と明大前駅のホームでの3000系の写真。その雰囲気を大切にセピア調にしたのか、使った写真が劣化していたのか...カラー写真だが色合いがよく分からないような感じで。

中を開ければ...

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3000系電車が並んだ写真と50周年のメッセージ、そして、3枚の券片、3000系最末期と急行運転から間が無い時代の写真が入った「いのかしらおでかけきっぷ」(つまり、1日フリーきっぷ)と、昭和46年の急行運転開始の際の記念きっぷの復刻版(きっぷとしての効力は無し)の3枚が入っており。

自分にとっての毎日の「足」、その近況をまとめてみたのである。ヘッドマーク付き編成は近々“リベンジ”したいと思っているが...

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 2

サットン

井の頭線、確かに地味ながらも独自性の強いガラパゴス路線ですね。
関東で似たような路線というと東急の支線区が思い浮かびますが、
いかがでしょう。
3000系、ステンレスとプラスチックからステンプラカーって
呼ばれていたように思います。
by サットン (2022-02-23 23:55) 

ferrum_queserasera

サットンさん

コメントありがとうございます。
東急の支線区、池上線とか多摩川線が似ているといえば似ていますが、軌間などの違いで自社線とも車両面の交わりがなく...
しかも、路線の両端が渋谷と吉祥寺という繁華街で、途中には明大前と駒場東大前と大学の名前のある駅名が2つもあって...
この独特さは、なかなか他には無いと思いながら日々、利用しております。1000系電車だけなのですが、その中に、わずかな差や変化を見つけるのを楽しんでおります。
by ferrum_queserasera (2022-02-24 08:25) 

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