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14年前の小滝駅で。(2008年5月の大糸線キハ52形) [その他の<鐵>話]

いま、いすみ鉄道を走っているキハは、JR西日本から譲受したもの。HDDを漁っていると、キハ52 125号車の大糸線での活躍が出てきた。

いすみ鉄道は、最近はTV番組を巡ってネットで炎上していたり、かと思えば、公式ツイッターがちょっと恥ずかしいことを呟いていたり...
こんなことを言ってはいけないのだろうが、経営者が変わると会社は変わるのだなぁ...と、遠目にそんなことを見ている<変態鉄>なのである。

どんな組織でも新しいことに取り組もうとすれば、特に、それが既存の価値観を打ち破るようなものであれば、いろいろな方向から批判が来て足を引っ張られるのは世の常。いま、えちごトキメキにいらっしゃる前社長さんの時代、「社長ブログ」には、時にかなり刺激的な文言が並んでいた。そう、周囲との軋轢を予感させるような...
でも、1趣味者として訪れる範囲では、大多喜や国吉駅のスタッフ、乗務員さんにも、沿線で活動されているボランティアの皆さんにも一体感というか熱意というか...、もっとエネルギーが感じられた気がする。最近の大多喜駅前が何だか寂しげな雰囲気に感じられるのは、コロナ禍の観光客減だけが原因では無いような気がしている。

もちろん、ここに書いたのは全て1趣味者...しかも、<変態野郎>の主観的妄想的感想に過ぎないわけだが...

ダイヤ改正でキハの急行列車が減ったから...も、あるけれど、だんだん足が遠のいてしまっていて。
そんな、いすみ鉄道に移籍してくる前、キハ52 125号車がJR西日本時代、最後に過ごしたのは糸魚川地域鉄道部、大糸線の新潟県内の区間(一部、長野県)だった。たぶん、今頃は深く雪が積もっているのでは...

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【2008年5月4日16時48分】 大糸線・小滝駅

前ブログの時代に、ちょっとだけご紹介しているが、2008年5月の大型連休の撮影分からご紹介したい。でも、その前に。
……  ……

火曜日、羽田空港に降り立ったのは21時半過ぎのことだった。

以前は岡山からの最終便は、いわゆる“沖止め”になることが多く、バスで到着ロビーへ行くのが通常だった気がするのだが...
この日は到着ロビーへと続く階段に近い61番に入った。そして...

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【2022年1月4日21時57分】 東京都大田区・羽田空港国内線第1ターミナル

初めてこのバスに乗ったのである。乗り継ぎ客だろうか、21時過ぎでも第1ターミナルに向かう人は多く、車内では座ることもできず。
派手な専用塗装のバスだが実は運行は京浜急行だった...ということも分かって。

連絡バスを降りてすぐ近く、郵便局とカプセルホテルの横にサービスカウンターがあって。もちろん、22時ではカーテンは閉ざされ、中の照明も消されていたが...
電話をかけて待つこと暫し。簡単な書類に記名して、ちょうどサイフに入っていたマイナンバーカードで身元照会。3日ぶりに小銭入れと再会できたのだった。チラッと見た書面には拾得場所として、保安検査場を通った後の「動く歩道」に面した搭乗口の番号が。そう、往きの伊丹便はターミナルビルの端の方、コの字型に折れ曲がった先の搭乗口に変更になったのだった。
保安検査場で上着を脱いで、ポケットの中身も出していたので、近くの搭乗口のベンチで荷物整理をしようと腰を下ろした記憶はあった。そのとき...だったのである。

だから...かも知れないが、今回は旅行中、「どうやって支払うか」ということに関心があって。

阪堺電車の1日乗車券「てくてくきっぷ」は1枚600円、3枚買って千円札2枚で払ったので...
途中、コンビニでの買い物は全部、電子マネー(PASMO)、食事などのまとまった金額はクレジットカードだったので、実は3泊4日のスケジュールで硬貨で支払いをしたのは、たぶん1~2回だけだったのである。
思っていたよりも自分の中のキャッシュレス化が進んでいる...ということを知ったのだった。

ということで、無事、帰宅できて一安心したところで...。2008年の大糸線の話題。

……  ……

日本アルプスの山々を見ながら、長野県と新潟県を結んでいるのが大糸線。松本からの南半分は買収国電区間、古くから電化されており電車が走っていた。その北部、県境を挟む南小谷-糸魚川は非電化。急流・姫川に沿って走る区間は撮る側にとっては魅力的でも、沿線には目立った街もなく。単行のキハ52形がワンマン運転を行っていた。

90年台後半には、この形が定着していたが、大雨による長期運休を挟んで、JR東日本区間へのキハの乗り入れ運用もなくなり、西日本持ちの“北線”区間も沿線人口の減少もあって、最後には、大糸線キハ自体、わずか3両にまで減少していた。
そう、115、125、156号車の3両である。この3両が動態1両、静態2両で、全車が保存されているのも、キハ52形が愛されていた証。

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【2008年5月4日13時03分】 大糸線・糸魚川駅

登山にスキーに...行楽客は減ったとはいえ、それなりの数は居て。2010年の引退直前の時期では、2両編成と単行の2運用にして立ち客を出しながら、3両のキハで頑張っていたが、2008年頃までは隣の富山からキハが応援に入る...という措置がとられていた。
糸魚川のキハ52形2両編成と、富山から応援に来たキハの2両編成という陣容で、キハ52形1両は車庫で待機...というパターンだったか。
そう、「飛越ゴハチ」のキハ58・28編成が糸魚川に応援に入っていたのである。

当時、まだ国鉄色に塗り替えられる前の...、あの2両が糸魚川へ応援に来ていたのである。このときだけはワンマン解除で車掌さんが乗っていた。

「キハ58系急行型ディーゼル動車」、みまさかスローライフもそう、ゴハチニハチを撮りたい...というのが当時の<変態鉄>の最優先課題だったかも。大糸線にもキハ52形より、その応援のキハ58系を撮りたい...と。2008年5月の大型連休は大糸線で過ごしたのだった。

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【2008年5月4日16時01分】 大糸線・小滝駅

その初日に降り立ったのは、小滝駅だった。駅前には集落らしい集落は無く。姫川の水力発電所が目立っていて...

駅を出てすぐ先のところから上り坂があって。その中腹から姫川を渡るキハの姿がすっきり撮れるのだった。

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【2008年5月4日15時16分】 大糸線・根知-小滝

125号車は、本来、キハ52 100番台車が纏ったことが無いはずの黄褐色と紺色のツートン、旧一般気動車色に塗られており。
その地味な色合いと、時代考証的不自然さで<鉄>には人気のなかった1両である。のちに、いすみ鉄道で“復活”して大人気の車両になるとは思いもよらず...

この後、夕方は頸城大野駅近くで撮っていたみたい。

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【2008年5月4日17時40分】 大糸線・姫川-頸城大野

駅からまっすぐ北へと続く線路、駅を離れた後は一面の水面地帯で。順光になる夕方には多くの<鉄>が並んでおり。5月の大型連休は北陸では田植えの時期と一致しており。水の張られた田んぼにキハの姿を映そうと、皆さん、ローアングルで構えており。
<変態鉄>としても、ちょっとマネしてみたのだった。いま、見直してみればピン甘だが...

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【2008年5月4日17時55分】 大糸線・頸城大野-姫川

そして、バックに独特の山容をもつ雨飾山を配した構図は非常に有名で。ただ、単行キハの場合、どこに車体を置くかで雰囲気が大きく変わってしまう場所なので、最後まで「思い通りの画」というのがまとまらなかった地点でもある。

う~ん、懐かしい。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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ハヤブサくん

ご無沙汰しております。いつも興味深く記事を拝見しております。
大多喜駅周辺のサビれっぷりは、大多喜町の行政の問題で、いすみ鉄道は無関係では?と思ってしまいますが。
そもそも大多喜って観光資源が何も無いですよね。
なのにコロナで自ら町を閉ざして、それでサビれたとしても自業自得って気がします。
末筆ながら、足も、お腹も、どうかご自愛下さい。
by ハヤブサくん (2022-01-07 20:31) 

ferrum_queserasera

ハヤブサくん さん

コメントありがとうございます。
今回の問題の「原点」は、いすみ鉄道と(その大株主である)大多喜町との間が、以前から(前社長時代から)ギクシャクしている...というところにあると推測しています。前社長さんも、そのことをかなり指摘していたような気がしていたと思います。そんなことを思いながら冒頭部分を書いたつもりです。分かりづらい文章で申し訳ありませんでした。

また、近々大多喜に行ってみたいと思っています。そのとき、大多喜駅も国吉駅も、盛り上がっていてくれれば嬉しいのですが...。

by ferrum_queserasera (2022-01-07 21:18) 

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