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梅の花が咲く頃に...2002年2月の芸備線 (1) [アナログ写真保存庫]

※ 2023年12月31日 追記 ※
この記事で取り上げた芸備線急行を撮影に行ったのは、
2002年3月15日(金)、3月16日(土)であったことが確認できました。



突然だが、お読みの皆さんは“パノラマ写真”というのをご存じだろうか??
たぶん、お若い読者の方はご存じないような...

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【2009年7月12日14時47分】 名鉄常滑線・道徳駅

いや、ちょっと待ってほしい。

これは「パノラマカーの写真」である。決して、「パノラマ写真」では無い。
現在、「パノラマ写真」といえば、カメラを回転させつつ、何コマか連写しておき、その写真を繋ぎ合わせて360度分の画像をつくる...など、風景写真や山岳写真で使われる技術を指す用語だが、90年台には「ちょっと横長の大きな写真」というような、お手軽な意味合いで使われる呼び名だった。
そういうのは、デジカメ時代に入ると、家庭用プリンターで簡単にトリミングしてプリントアウトできるようになったので、誰も見向きもしなくなり...

90年台、フィルムカメラのEOSくんを使っていた<変態ガキ鉄>。「鉄道写真にパノラマなど邪道だぁ!!」とヘンなこだわり。
いや、量販店で売っているネガカラーでテキトーに撮っているだけなのに...、若い頃の恥ずかしい思い出。

だから、撮ることは無かったはずの「パノラマ写真」だが...
……  ……

デジカメになる以前、まだフォルムカメラの時代のお話である。

当時もいまも、ザックリ言うと“35 mm判”という写真の規格がある。当時、最もメジャーだったファイル、その1コマのヨコの長さが約35 mmくらいになるサイズ。
一般に写真を趣味や仕事にしているような...経済的にも腕前的にも、ふさわしいレベルの“ごく一部の人”を除けば、「カメラ」「フィルム」といえば、わざわざ“35 mm判”と言わずとも、それは当然のことだったのである。
通称の「ライカ判」よりも自分は「35 mm判」の方がしっくり来る。

1コマあたり、タテ 24 mm × ヨコ 35 mm というサイズ。お若い皆さんのために簡単に言えば、このサイズのコマが24、36コマ分のフィルムが金属と樹脂でできた遮光された円筒(パトローネ)に収まった状態で売られており。
カメラの背面がパカッと開くようになっており、そこにセットして...蓋を閉めて。そこからはフィルムを使い終わって巻き取るまで絶対に蓋を開けてはいけないのである。撮り終わった後は、フォルムをパトローネに巻き取ったことを厳重に確認の上で、背蓋を開けて取り出して。
それをお店に持っていって現像依頼をするのである。

現像所から戻ってくる段階では、フォルムは6コマずつに切られて(スリーブ)、ビニール製のシートに収められて戻ってくる。

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そのビニールシートのままだと...この写真は、<変態鉄>のネガアルバム。保存用にこういう専用のアルバムも売られていた。

自分のようなお手軽なネガフォルムでの撮影の場合、フォルムを現像するだけでは色が反転していることになり(だから「ネガ」)、直接見ても面白くも何もない。だから、プリントも同時にしてもらうのがフツーだった。
だから、当時、お店で“フォルムを現像に出す”といえば、現像して、それらをプリントするまで...というのが一般だった。むしろ、「現像だけ」という注文の方がマニアックだったかも。
プリントは基本は「L判」、いまも、その名残でインクジェットプリンタ用の写真用紙にも、この規格が使われている。おおよそ、官製ハガキの半分のサイズである。

<変態鉄>が高校生の頃、90年台の半ば、自宅近くのスーパーでお願いして、現像が500円、プリントが1枚20円程度だった筈。だから、24枚撮りフィルム1本で1,000円ほど、36枚撮りなら1,500円ほどだった。
そう、デジカメとは違って、撮った写真をすぐ見ることなどできなかったのである。旅先から戻って、この現像から戻ってくる数日間が、長く長く感じたものだった。貴重な列車を撮ったときなど、受け取りにいくときは、まさに試験の合格発表を見に行くような気分で...

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さて、90年台に入ってからだろうか「パノラマ写真」というのが流行した。
簡単である。カメラのシャッターのところにアダプターを取り付けて、タテ24 mmのうち、上下の幾ばくかを目隠しして撮影する...のである。
そうすれば、フォルムの露光面のタテ:ヨコの比が変化することになり。

これを普段のL判と同じタテ9 cmほどの用紙に印刷すると横幅は25 cmほどの迫力のサイズになり。
そう、パソコン上で自由にトリミングできるようになった今では「どうでも良いこと」だが、当時としては、カメラのちょっとした機能だったのである。
一眼レフでも、わざわざ「パノラマ撮影可能」という表示があった。一眼の場合、最初の頃は、カメラの背蓋を開けて別売の「パノラマアダプター」をセットして...だった。
だから、いったんセットしてしまえば、フィルム1本使い切るまで“パノラマ専用機”、これが途中から「進化」して...

「途中切り替えパノラマ可能」というモデルが...。そう、別売のアダプターに相当するものが内蔵となり、スライド式のスイッチでセットできるようになったのである。
当時のEOSくん、この切り替えスイッチがビミョーな場所にあって...(笑)。

2002年3月のある日。

四国の話題のときに書いたが、前年、2001年2月、大学4年生だった自分は最後の試験でも必修の単位を落とした自信があった。1個だけ単位を落として留年して気楽に遊んで過ごそうという、とんでもないことを考えて。
でも、運悪く(??)、大学内でちょっとした問題があって(自分と同じものの単位を落としていた4年生が大量発生)、学内でいろいろあったみたいだが、足に相当高い下駄を履かせてくれたみたいで...

予定外の卒業。自分の身の回りが一転してしまったのだった。一気に、フリーターへの道。当時、親子喧嘩も夜を跨いで壮絶なものだったし、それはそれは、アレコレ大変だった。
1年間、ちょっとしんどい思いをして、次の進路が決まったのが、2002年春。たぶん、人生で一番、勉強した1年間だったような。

ということで、<鉄>活動再開。MDレコーダ中心だったが“復帰戦”とあっては、「録る」だけではなく「撮る」も。
欲張りなプランで向かったのは、岡山と広島。

なぜ??

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【2002年3月頃】 芸備線・備後落合駅

そう、急行型ディーゼル動車キハ58系が本当に急行列車として最後の活躍をしていたのが広島支社管内。
そのディーゼル急行を満喫するのが目的だった。

たしか、三次駅近くのビジホをベースに...

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【2002年3月頃】 芸備線・白木山-狩留家

翌朝、車体更新工事が始まっていた頃のキハ40系の長編成。芸備線ローカルで...

撮影地の最寄り駅は白木山駅だったと思うが...

まだ寒い朝だった。撮影地となる鉄橋までは徒歩で20分ほどだったか...少し歩いた記憶がある。途中で列車の音が...
でも、カメラの様子がおかしくて...

ファインダーを覗いていると、何だか視界がおかしいのである。

久しぶりに触ったカメラ。

はて、何だろう...

遠く広島の地までやってきて、まもなくキハの急行もやってくるのに...

何なんだ!? これは... (つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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