筑豊の「ローカル客レ」に魅せられて(81)撮影と言えば... [アナログ写真保存庫]
<鉄>ならば...
【2004年8月】 北陸本線(当時)・倶利迦羅-石動
「81号」というのは臨時のときの号数。
681・683系が“当然”だった北陸本線・ほくほく線の特急「はくたか」号でも
夏休みなどの繁忙期には80番台の号数をもつ臨時列車が走った。
そう、普段よりも多くの車両が必要になるということで、旧型車が駆り出されるのも
臨時列車の特徴。489系ボンネット車が入る臨時「はくたか」号は“ボンたか”と
呼ばれ、<富山鉄>の中でも大人気の列車だった。
ということで、今日は筑豊本線の話題ながら、一度、“本筋”を離れて...
でも、その前に。
やはり、今日のところは東京についても「緊急事態宣言」の解除はないみたい。
5月いっぱい続いて6月に解除される...という流れだろうか。
逆に、そうなってくれないと仕事も趣味活動も困るのである。
この動画をご覧いただきながら、読んでいただくとイメージが...。
HOWEVER
しかしながら...
拙ブログは相変わらず、いつものペースで。
…… ……
1997年11月9日(日)晴れ
筑豊本線の方が数年、生きながらえたローカル客車列車。
最後の舞台が筑豊本線だったが、その前は久大本線だった。
朝晩の輸送力列車に6両編成という長編成で走った筑豊本線(昼間はキハ列車)
に対して、久大本線は3~4両の客車を牽いて、日中も走っており長距離運用も
あった。だから、<変態ガキ鉄>としては久大本線を優先していた感が強く。
筑豊本線の50系は朝と夕方の撮影なので、ちょっと薄暗い感じになってしまって
客車の様子が分かりにくいので...
補足的に、1997年11月に久大本線で撮った写真をご紹介。
【1997年11月9日】 久大本線・日田駅
この朝は、前夜、京都駅を発った特急寝台「あかつき」号で6時過ぎに鳥栖駅へ。
向かいのホームに停車していたのは、第1821列車・豊後森ゆき。
この日の編成は
DE10 1175
スハフ12 84
オハ12 137
オハ12 1288
(DE10型機関車は〔分〕、客車は〔分オイ〕)
の3両編成だったと(珍しく)記録が残っている。
当日のメモによれば、中間のオハ12 137号車には、「ドア不良」と赤ペンで書かれた
紙が貼られており、ドアは故障して開かないまま走っていたようで。
塗装も色褪せ錆が浮いて、客車の状態はかなり悪かった。
ちなみに、最後部が「オハ12形」というのは、これは珍車中の珍車。
2両のみが改造された珍改造車だった。
【2008年8月18日10時11分】 山口線・新山口駅
本当は冷房電源用発電機をもつスハフ12形(か、同車体でエンジン無しのオハフ13)を
最後部に繋ぐはずだが、そういうちゃんとした緩急車が足りなかった。
だから、中間のオハ12形のトイレを潰してそこに車掌室をつくってしまったという...
上の写真にもあるとおり、もう“ヤッツケ感”丸出しの車両だった。
(形式に「フ」がないので、ブレーキ弁すら付けなかったのかも知れない)
そんな珍車を撮ったホームで回れ右したら...
【1997年11月9日】 久大本線・日田駅(後追い)
客車列車の後追い撮影という<鉄>として意味不明な撮り方も、いまとなっては
貴重な記録である。
朝日を浴びて久留米に向かうのは50系“レッドトレイン”。
国鉄時代の新製時、ローカル線の普通列車用ということで冷房を付けずに落成。
何でも屋根断面は通勤電車のそれに合わせてあって、通勤電車に取り付けられた
AU75系のクーラーを載せられるように作られていた...という噂もあるが、
冷房化改造は行われなかった。(たぶん、多くが廃車が迫っていたから...)
でも、さすがに九州車は冷房化の対象となり。
コスト削減のため、屋根を弄るのでは無く、ボックス席を1つ潰して床置き型の
でっかいクーラーが客車内に鎮座するヘンな感じになった。
上の写真でも、最後部のオハフ50形は窓が並んでいるが、2両目のオハ50形は
車体中央よりちょっと奥の窓が1個目隠しされているのが確認できる。
そう、この部分に冷房装置が鎮座していたと言うこと。
<変態ガキ鉄>の美的センスとして、これは絶対に許せなくて。
だから、九州の50形を撮るのときは、非常に不満だった。
【1997年11月9日】 大分県玖珠郡玖珠町付近
あの珍妙な「オハ12 1288」に乗って降り立ったのは、杉河内駅という小さな
無人駅。陽当たりの悪い場所にあるプレハブ待合室1個の無人駅。
凍えるような待合室で時間を潰して、線路沿いに歩いて。
事前に調べてきた撮影地ガイドには「慈恩の滝」というのが撮影地への目印...
とあって、滝を探して歩き出したら、ぬぁんと...
駅前に滝があって、ちょっと拍子抜け。
ぬぁんと...
信じられないっ!!!!
あんびりばぼーーーっ
8時半に杉河内駅について14時まで撮っていたらしい。
途中、近くのドライブインで400円のうどんを食したという記録が残っている。
しかしながら、うどん1杯で6時間も撮影していた。いま考えると...
だからこそ。客レに限らず、通りかかる列車には、ちゃんとカメラを向けていた。
【1997年11月9日】 久大本線・北山田-杉河内
この頃、順調に“増殖”していたのは“黄色い気動車”キハ125形。
上り普通列車だろうか。客レが走る一方で、単行ワンマン列車が増えていた。
駅チカ、線路に並行する筑後街道の歩道から筑後川(??)を渡る鉄橋を撮ることが
できるスポットだった。ちゃんと歩道もあって過ごしやすい場所だったみたい。
【1997年11月9日】 久大本線・北山田-杉河内
赤いステンレス車は急行格上げのために四国から譲ってもらったキハ185系。
特急「ゆふ」は、ギリギリ国鉄型特急だが...
それにしてもこんな手前でシャッターを切ってしまうのは<撮り鉄>シロウトの
典型的な失敗例。速さにビビって早めにシャッターを切ってしまうのである。
そして、当時もいまも久大本線のエースと言えそうなのが...
【1997年11月9日】 久大本線・杉河内-北山田
特急「ゆふいんの森」号である。
キレイなお姉さんが乗務して...、リゾート特急の走りとも言える列車だった。
車体は替えられているが、ぬぁんと足回りはニハチゴハチから流用されており。
振り返って下り列車も撮れるのである。この時間帯、また、この季節、
あまりじゅうぶんに光は回らないようだが、でも、車体側面にはキレイに光が
回っていて。
さぁ、午後になったら下り客車列車がやってくる。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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【2004年8月】 北陸本線(当時)・倶利迦羅-石動
「81号」というのは臨時のときの号数。
681・683系が“当然”だった北陸本線・ほくほく線の特急「はくたか」号でも
夏休みなどの繁忙期には80番台の号数をもつ臨時列車が走った。
そう、普段よりも多くの車両が必要になるということで、旧型車が駆り出されるのも
臨時列車の特徴。489系ボンネット車が入る臨時「はくたか」号は“ボンたか”と
呼ばれ、<富山鉄>の中でも大人気の列車だった。
ということで、今日は筑豊本線の話題ながら、一度、“本筋”を離れて...
でも、その前に。
やはり、今日のところは東京についても「緊急事態宣言」の解除はないみたい。
5月いっぱい続いて6月に解除される...という流れだろうか。
逆に、そうなってくれないと仕事も趣味活動も困るのである。
この動画をご覧いただきながら、読んでいただくとイメージが...。
HOWEVER
しかしながら...
拙ブログは相変わらず、いつものペースで。
…… ……
1997年11月9日(日)晴れ
筑豊本線の方が数年、生きながらえたローカル客車列車。
最後の舞台が筑豊本線だったが、その前は久大本線だった。
朝晩の輸送力列車に6両編成という長編成で走った筑豊本線(昼間はキハ列車)
に対して、久大本線は3~4両の客車を牽いて、日中も走っており長距離運用も
あった。だから、<変態ガキ鉄>としては久大本線を優先していた感が強く。
筑豊本線の50系は朝と夕方の撮影なので、ちょっと薄暗い感じになってしまって
客車の様子が分かりにくいので...
補足的に、1997年11月に久大本線で撮った写真をご紹介。
【1997年11月9日】 久大本線・日田駅
この朝は、前夜、京都駅を発った特急寝台「あかつき」号で6時過ぎに鳥栖駅へ。
向かいのホームに停車していたのは、第1821列車・豊後森ゆき。
この日の編成は
DE10 1175
スハフ12 84
オハ12 137
オハ12 1288
(DE10型機関車は〔分〕、客車は〔分オイ〕)
の3両編成だったと(珍しく)記録が残っている。
当日のメモによれば、中間のオハ12 137号車には、「ドア不良」と赤ペンで書かれた
紙が貼られており、ドアは故障して開かないまま走っていたようで。
塗装も色褪せ錆が浮いて、客車の状態はかなり悪かった。
ちなみに、最後部が「オハ12形」というのは、これは珍車中の珍車。
2両のみが改造された珍改造車だった。
【2008年8月18日10時11分】 山口線・新山口駅
本当は冷房電源用発電機をもつスハフ12形(か、同車体でエンジン無しのオハフ13)を
最後部に繋ぐはずだが、そういうちゃんとした緩急車が足りなかった。
だから、中間のオハ12形のトイレを潰してそこに車掌室をつくってしまったという...
上の写真にもあるとおり、もう“ヤッツケ感”丸出しの車両だった。
(形式に「フ」がないので、ブレーキ弁すら付けなかったのかも知れない)
そんな珍車を撮ったホームで回れ右したら...
【1997年11月9日】 久大本線・日田駅(後追い)
客車列車の後追い撮影という<鉄>として意味不明な撮り方も、いまとなっては
貴重な記録である。
朝日を浴びて久留米に向かうのは50系“レッドトレイン”。
国鉄時代の新製時、ローカル線の普通列車用ということで冷房を付けずに落成。
何でも屋根断面は通勤電車のそれに合わせてあって、通勤電車に取り付けられた
AU75系のクーラーを載せられるように作られていた...という噂もあるが、
冷房化改造は行われなかった。(たぶん、多くが廃車が迫っていたから...)
でも、さすがに九州車は冷房化の対象となり。
コスト削減のため、屋根を弄るのでは無く、ボックス席を1つ潰して床置き型の
でっかいクーラーが客車内に鎮座するヘンな感じになった。
上の写真でも、最後部のオハフ50形は窓が並んでいるが、2両目のオハ50形は
車体中央よりちょっと奥の窓が1個目隠しされているのが確認できる。
そう、この部分に冷房装置が鎮座していたと言うこと。
<変態ガキ鉄>の美的センスとして、これは絶対に許せなくて。
だから、九州の50形を撮るのときは、非常に不満だった。
【1997年11月9日】 大分県玖珠郡玖珠町付近
あの珍妙な「オハ12 1288」に乗って降り立ったのは、杉河内駅という小さな
無人駅。陽当たりの悪い場所にあるプレハブ待合室1個の無人駅。
凍えるような待合室で時間を潰して、線路沿いに歩いて。
事前に調べてきた撮影地ガイドには「慈恩の滝」というのが撮影地への目印...
とあって、滝を探して歩き出したら、ぬぁんと...
駅前に滝があって、ちょっと拍子抜け。
ぬぁんと...
信じられないっ!!!!
あんびりばぼーーーっ
8時半に杉河内駅について14時まで撮っていたらしい。
途中、近くのドライブインで400円のうどんを食したという記録が残っている。
しかしながら、うどん1杯で6時間も撮影していた。いま考えると...
だからこそ。客レに限らず、通りかかる列車には、ちゃんとカメラを向けていた。
【1997年11月9日】 久大本線・北山田-杉河内
この頃、順調に“増殖”していたのは“黄色い気動車”キハ125形。
上り普通列車だろうか。客レが走る一方で、単行ワンマン列車が増えていた。
駅チカ、線路に並行する筑後街道の歩道から筑後川(??)を渡る鉄橋を撮ることが
できるスポットだった。ちゃんと歩道もあって過ごしやすい場所だったみたい。
【1997年11月9日】 久大本線・北山田-杉河内
赤いステンレス車は急行格上げのために四国から譲ってもらったキハ185系。
特急「ゆふ」は、ギリギリ国鉄型特急だが...
それにしてもこんな手前でシャッターを切ってしまうのは<撮り鉄>シロウトの
典型的な失敗例。速さにビビって早めにシャッターを切ってしまうのである。
そして、当時もいまも久大本線のエースと言えそうなのが...
【1997年11月9日】 久大本線・杉河内-北山田
特急「ゆふいんの森」号である。
キレイなお姉さんが乗務して...、リゾート特急の走りとも言える列車だった。
車体は替えられているが、ぬぁんと足回りはニハチゴハチから流用されており。
振り返って下り列車も撮れるのである。この時間帯、また、この季節、
あまりじゅうぶんに光は回らないようだが、でも、車体側面にはキレイに光が
回っていて。
さぁ、午後になったら下り客車列車がやってくる。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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