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筑豊の「ローカル客レ」に魅せられて(1)プロローグ [その他の<鐵>話]

前ブログの時代から続くシリーズだが...

  https://youtu.be/OFNW0IZUdto

この冒頭にはこの動画のショートカットを貼るのが“お約束”。
「魅せられて」、<変態鉄>がブログを書きながらよく聴いている曲の1つ。

さて...

<変態鉄>の“憧れの列車”に「ローカル客レ」というのがあった。
カメラを持って全国を回るようになった高校生の頃...90年台はその終焉の時期に
あたっており。ダイヤ改正のたびに置換えが進められていたのである。

普通客車列車である。

「客車」というのは...

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【2015年7月18日10時08分】 東北本線・東大宮-蓮田

「そりゃ~、貨車に乗るんじゃ無いんだから...」と言われてしまいそうだが...

イギリスで初めて「鉄道」が考案された当時から、列車というのは先頭に機関車、
その後ろに(動力を持たない)客車や貨車が連なり...「動力集中方式」である。
いわゆる“汽車”である。

一方、<変態鉄>が撮るようなディーゼル動車、それに、文字通りの「電車」は
いわゆる“客車”の床下にエンジンやモーターをもっている。
それが「動力分散方式」。

でも、日本では「動力集中方式」は普段使いの旅客列車としては事実上の“絶滅種”。
旅客列車全般を指して「電車」と呼ぶようになってしまったことは、<変態鉄>
としては、誠に遺憾なことなのである。

JR線上での「動力集中式」の旅客列車は青い車体の寝台特急(ブルートレイン)、
それから、SL列車が最後になりそうで。
(そのSL列車だって、JR東日本は一部でディーゼル動車を牽かせており...)

でも、かつては普通列車だって機関車牽引の客車列車だった時代も。
90年台、その終焉期にギリギリセーフで間に合った(?)、それが<変態鉄>だった
のである。とはいえ...


……  ……

蒸気機関車時代、国鉄の列車は基本的にどれも機関車が客車を引っ張る...
客車列車だった訳で。

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【2012年8月2日12時30分】 富山地鉄本線・早月加積駅

もともと「動力分散方式」は、輸送量が少なく(編成両数が少ない)、短区間を
走る列車に向いている...とされていたから、「電車」だって、最初は路面電車や
都市部の私鉄から増えていったもの。

地方の小さな町に行くと、ご老人を中心にJR線を“汽車”、並行する私鉄を
“電車”と呼び分けているところがあって。そういうのもコレがもとになっており。

機関車が客車を牽くスタイルが本来、“当たり前”だったからこそ...

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時刻表を見れば最上部に「列車番号」という項があって、イタリックで4桁以下の
数字とアルファベットが書かれている。末尾が「M」なら電車列車、「D」なら
ディーゼル動車というのが国鉄時代からの“慣例”。「電車」しか走らないことが
明らかな新幹線でさえ東海道・山陽の「A」から始まってアルファベットが付く。

分割民営化以降は各社でローカルルールが追加され、例えば「D」だったうち
ワンマン運転の場合は「C」になる...とか、土休日ダイヤでは「F」とか...

そんな中で「数字だけ」という列車番号が散見されていたのが90年台までの時刻表。
それが機関車牽引の客車列車だった。

いまより圧倒的に情報量が少なかった当時、毎年3月のダイヤ改正号の時刻表を買って
各路線のページをチェック。僅かに残っていた“数字だけの列車”の存廃に...
まさに一喜一憂していたのだった。

それにしても...

いまの「客車列車に間に合った世代」というコトバ、自分よりもあと一世代先輩に
あたる<鉄>の皆さんからは鼻で笑われそうな発言。

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【1994年11月】 京都府京都市下京区観喜寺町・梅小路蒸気機関車館(当時)

「客レって...50系でしょ(失笑)」

といった感じだろうか。昭和50年台前半、つまり、<変態鉄>が生まれた頃、
老朽取替が急務とされていた戦前・戦後すぐに製造された国鉄の客車たち。
その置換えのため、全国に大量投入されたのが「50系客車」である。

「こんなの客車じゃない。“モーターの無い通勤電車”じゃないか...」
と言われそうな。

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【1994年4月頃】 上越線・新前橋駅

焦げ茶色(ぶどう2号)と紺色(青15号)の旧型客車。
分割民営化を前に、保安基準も低いいわゆる旧型客車はイベント用のものを残して
全廃され、<変態鉄>は、あのドアを開けっぱなしで走る客車列車を体験する
ことは叶わなかったのである。廃車体は各地の車庫に転がっていたのだが...

冒頭の写真は5年前の東北本線のイベント列車、イベント用・SL用に残った車両に
何度か撮影・乗車の機会を得たが、<変態鉄>がよく知っている客車と言えば
大阪万博に備えて波動輸送用につくられた12系、それとこの50系くらい。

それでも...

小さな駅に着いたら車内は一瞬の静寂。ドアが閉まって...
しばらくすると、前の方から「ピィーーーーッ」という汽笛の音。
“ガクンっ”という連結器から伝わってくる独特の衝撃...
音も無くゆっくりと動き出して...

2000年台に入るまで、わずかに残った客車列車を堪能したのは九州でのこと。

特に...

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【1998年11月17日】 久大本線・南久留米駅

末期まで、なぜか日中にも多数の客車列車が設定されていたのが久留米と大分と
結ぶ久大本線。何度も乗りに行った。

1998年の乗車時には、何ともラッキーな...

DE10が12系客車を牽く編成だったが、マイクをセットして車内録音していたら...
偶然にもこの日の車掌さん、車内放送に「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールを
ちゃんと演奏してくれる方で。前ブログのときにご紹介した(→ こちら)。
(いまでも、結構、アクセスがあるみたい...不思議な記事である)

そして、もう1つ...

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【2000年12月11日】 鹿児島本線・門司港駅

最後まで「ローカル客レ」が残ったのは、これまた九州の筑豊本線だった。

こちらは専ら50系客車、それをDD51型が牽引して。
飯塚、直方から北九州市内を通り、そのまま若松へと至るのと鹿児島本線に入り
門司港まで行く2往復があって。

90年台終わりからミレニアムの頃まで、何度となく訪れたのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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