あの色だった頃の伊予鉄市内線を (1994年2月の撮影記)<前編> [アナログ写真保存庫]
“出撃”できないことに悶々としながら過ごす大型連休だった。
でも、その代わりというか...
90年台から2007年まで、<変態鉄>がフィルムカメラを持って駆けずり回った
時代のネガを一気にスキャナーで...
撮った筈の自分でも記憶が残っていないものもあれば、スキャンした画像を見て
古い記憶が一気に甦る...こともあって。
【2015年10月28日12時01分】 伊予鉄市内軌道線・西堀端電停付近
先日、「誠に遺憾だ!!」などと暴言を吐いてしまったのが伊予鉄の車体色。
やはり先代の標準カラーが好きなのだが、もうなくなってしまったのだろうか!?
<変態鉄>が好きだった、以前の、ツートンカラーの時代の姿。
生まれて初めて撮ったのは、1994年2月のこと。
この年、高校1年生だった<変態ガキ鉄>、4月の江ノ電、豊橋、岐阜からスタート、
1年間で全国20数都市の路面電車を“制覇”するという公約を達成。
その際、最後の最後まで残ったのが四国の2都市だった。
高松をベースに、夜行バス(一般道経由)の「いよじ」号で往復したのだった。
確か、夜行列車の置換えで登場したバスだったため、JR時刻表でも予讃線の欄に
バスのマークとともに記載されていたような気がする。
高速バスで2時間少々で走りきる区間も、90年代初頭には夜行で1晩かけて行くところ
だったのである。
でも、それにしても...
…… ……
スキャンしてガッカリなのは、このネガの色の酷さ。
もちろん、撮影してから既に26年の日々が流れている。その間、ずっと...
こんな感じで“ネガアルバム”に入れて保管していたのだが...
別に温度・湿度をコントロールしながら気をつけて保存していた...訳がなく。
部屋の本棚にフツーに置いていただけだから、劣化が進むのは仕方の無いところ
なのだが、それでも...
当時使っていたのは量販店でまとめ買いした、フジのネガカラー。
ご丁寧に、そのネガアルバムの表紙に、そのとき、オマケに付いていたシールを
貼っている。ISO400のネガカラーである。
いや、<鉄>気取りだったら、ポジを使えよ!!
というツッコミは...所詮はガキのすることということで。
量販店でまとめ買いしたフィルムを持って高速バスで巡った四国。
東京に戻ったら、すぐに自宅近くの雑貨店に持っていって。3~4日で戻ってくる
のだが、そこまでずっと一緒だったはずなのに、この翌日に撮った高知の画像は
ここまで酷く荒れていないのである。
このあたり、フィルムの個体差が意外と激しいのか、あるいは保管状態のホンの
僅かな差が大きくなって現れるのか...
同じフィルムを使っていても、古いものが状態が悪くて新しいものは大丈夫...
ということもないみたいで。
伊予鉄を撮ったフィルムは、この前後のものと比べて、かなり劣化が目立つもの
だったのが残念なところ。
【2015年10月28日16時44分】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
5年前の訪問時に撮ったモハ2002号車。
トップ写真のモハ2005号車の僚車は、市電廃止時に京都市交通局から移籍してきた
グループだっただろうか。
実はその姿...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
電車のカラーだけでは無く、駅前の雰囲気もそれほど変わっていないだろうか。
“LRT”などというコトバが日本に入ってくるのは、90年台の末あたりだった
ような気がする。熊本に“超低床連接車”がデビューしたと聞いて撮りに行ったのは
<変態鉄>が大学生の頃、1998年のことだった。
当時は、多くの都市の路面電車が車齢の高い吊り掛け電車を大切に使っている状況
だった。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
伊予鉄市内線と言えばコレ、というくらいの主力車はモハ50形だった。
でも、このモハ50形というのが“くせ者”で。
私鉄でもJRでも...メンテナンスなどを考えると同一形式を大量増備した方が
合理的だが、それらを一斉に発注して、一斉に導入すると次の老朽取り替えも
一斉に訪れるわけで...。特にローカル私鉄では車両の置換えは時間をかけて
行われるのが一般的。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・古町駅付近
この電車、先ほどの写真、市駅前で撮った63号車と同じ姿の電車だが車番は1001号。
しかも、番号は「1001」でも形式は「50形」という...
実はこの車両、生え抜きでは無く呉市電からの移籍車だった。
【2017年8月30日15時42分】 広島県呉市・呉ポートピアパーク
この写真を撮って約10年後に引退、ぬぁんと、瀬戸内海を渡って呉市に“里帰り”。
瀬戸内海に面したレジャー施設内で静態保存されており。その姿を撮っている。
外観(塗色)は呉市のものに戻されているが、車内表示には伊予鉄のものが
残っていて...
さてさて。話題が逸れている。
当時の<変態ガキ鉄>。
「路面電車を撮るなら道路併用区間で撮るべき!!」
という、思えば意味不明なこだわりがあった。
そんな<変態ガキ鉄>が、専用軌道区間でわざわざカメラを構えたのは...
【1994年2月8日】 伊予鉄高浜線・古町駅付近
伊予鉄には市内電車の他に「郊外電車」というのも。
松山市駅をターミナルとして、郡中港・横河原・高浜の3方面の路線が。
そのうち、高浜線が市内電車と交差するのが、この古町駅なのである。
同じ線路を走るのは、もと京王5000形である。
この場所で振り返れば...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・古町駅付近
右に見えているのが市内電車のホーム、その左側、写真中央付近が郊外電車の
ホームで、その向こうが車庫である。
それにしても...
この写真の左側の車庫の郊外電車。この時期、京王からの譲渡車が主力だったが
それでも、よ~~く目を凝らせば、もっと古いタイプの電車が待機しているのが
見えている。このあたりにカメラを向けよう...とは全く思わなかったのが当時の
<変態鉄>だったのである。う~ん、悔やまれる!!
そして、市内電車と郊外電車の交差点と言えば...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停付近
もちろん、こちらも訪れたのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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90年台から2007年まで、<変態鉄>がフィルムカメラを持って駆けずり回った
時代のネガを一気にスキャナーで...
撮った筈の自分でも記憶が残っていないものもあれば、スキャンした画像を見て
古い記憶が一気に甦る...こともあって。
【2015年10月28日12時01分】 伊予鉄市内軌道線・西堀端電停付近
先日、「誠に遺憾だ!!」などと暴言を吐いてしまったのが伊予鉄の車体色。
やはり先代の標準カラーが好きなのだが、もうなくなってしまったのだろうか!?
<変態鉄>が好きだった、以前の、ツートンカラーの時代の姿。
生まれて初めて撮ったのは、1994年2月のこと。
この年、高校1年生だった<変態ガキ鉄>、4月の江ノ電、豊橋、岐阜からスタート、
1年間で全国20数都市の路面電車を“制覇”するという公約を達成。
その際、最後の最後まで残ったのが四国の2都市だった。
高松をベースに、夜行バス(一般道経由)の「いよじ」号で往復したのだった。
確か、夜行列車の置換えで登場したバスだったため、JR時刻表でも予讃線の欄に
バスのマークとともに記載されていたような気がする。
高速バスで2時間少々で走りきる区間も、90年代初頭には夜行で1晩かけて行くところ
だったのである。
でも、それにしても...
…… ……
スキャンしてガッカリなのは、このネガの色の酷さ。
もちろん、撮影してから既に26年の日々が流れている。その間、ずっと...
こんな感じで“ネガアルバム”に入れて保管していたのだが...
別に温度・湿度をコントロールしながら気をつけて保存していた...訳がなく。
部屋の本棚にフツーに置いていただけだから、劣化が進むのは仕方の無いところ
なのだが、それでも...
当時使っていたのは量販店でまとめ買いした、フジのネガカラー。
ご丁寧に、そのネガアルバムの表紙に、そのとき、オマケに付いていたシールを
貼っている。ISO400のネガカラーである。
いや、<鉄>気取りだったら、ポジを使えよ!!
というツッコミは...所詮はガキのすることということで。
量販店でまとめ買いしたフィルムを持って高速バスで巡った四国。
東京に戻ったら、すぐに自宅近くの雑貨店に持っていって。3~4日で戻ってくる
のだが、そこまでずっと一緒だったはずなのに、この翌日に撮った高知の画像は
ここまで酷く荒れていないのである。
このあたり、フィルムの個体差が意外と激しいのか、あるいは保管状態のホンの
僅かな差が大きくなって現れるのか...
同じフィルムを使っていても、古いものが状態が悪くて新しいものは大丈夫...
ということもないみたいで。
伊予鉄を撮ったフィルムは、この前後のものと比べて、かなり劣化が目立つもの
だったのが残念なところ。
【2015年10月28日16時44分】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
5年前の訪問時に撮ったモハ2002号車。
トップ写真のモハ2005号車の僚車は、市電廃止時に京都市交通局から移籍してきた
グループだっただろうか。
実はその姿...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
電車のカラーだけでは無く、駅前の雰囲気もそれほど変わっていないだろうか。
“LRT”などというコトバが日本に入ってくるのは、90年台の末あたりだった
ような気がする。熊本に“超低床連接車”がデビューしたと聞いて撮りに行ったのは
<変態鉄>が大学生の頃、1998年のことだった。
当時は、多くの都市の路面電車が車齢の高い吊り掛け電車を大切に使っている状況
だった。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
伊予鉄市内線と言えばコレ、というくらいの主力車はモハ50形だった。
でも、このモハ50形というのが“くせ者”で。
私鉄でもJRでも...メンテナンスなどを考えると同一形式を大量増備した方が
合理的だが、それらを一斉に発注して、一斉に導入すると次の老朽取り替えも
一斉に訪れるわけで...。特にローカル私鉄では車両の置換えは時間をかけて
行われるのが一般的。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・古町駅付近
この電車、先ほどの写真、市駅前で撮った63号車と同じ姿の電車だが車番は1001号。
しかも、番号は「1001」でも形式は「50形」という...
実はこの車両、生え抜きでは無く呉市電からの移籍車だった。
【2017年8月30日15時42分】 広島県呉市・呉ポートピアパーク
この写真を撮って約10年後に引退、ぬぁんと、瀬戸内海を渡って呉市に“里帰り”。
瀬戸内海に面したレジャー施設内で静態保存されており。その姿を撮っている。
外観(塗色)は呉市のものに戻されているが、車内表示には伊予鉄のものが
残っていて...
さてさて。話題が逸れている。
当時の<変態ガキ鉄>。
「路面電車を撮るなら道路併用区間で撮るべき!!」
という、思えば意味不明なこだわりがあった。
そんな<変態ガキ鉄>が、専用軌道区間でわざわざカメラを構えたのは...
【1994年2月8日】 伊予鉄高浜線・古町駅付近
伊予鉄には市内電車の他に「郊外電車」というのも。
松山市駅をターミナルとして、郡中港・横河原・高浜の3方面の路線が。
そのうち、高浜線が市内電車と交差するのが、この古町駅なのである。
同じ線路を走るのは、もと京王5000形である。
この場所で振り返れば...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・古町駅付近
右に見えているのが市内電車のホーム、その左側、写真中央付近が郊外電車の
ホームで、その向こうが車庫である。
それにしても...
この写真の左側の車庫の郊外電車。この時期、京王からの譲渡車が主力だったが
それでも、よ~~く目を凝らせば、もっと古いタイプの電車が待機しているのが
見えている。このあたりにカメラを向けよう...とは全く思わなかったのが当時の
<変態鉄>だったのである。う~ん、悔やまれる!!
そして、市内電車と郊外電車の交差点と言えば...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停付近
もちろん、こちらも訪れたのである。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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