あの色だった頃の伊予鉄市内線を (1994年2月の撮影記)<後編> [アナログ写真保存庫]
今日は久々に歯医者だった。帰ってきてから、ブログを書いて...
さて、26年前の松山の市内電車を。
26年前の撮影だけあって、ネガを見ているとアレコレ、思い出せることもあるが
やはり記憶が不鮮明だったり、他の記憶と混ざってデタラメになっていたり。
【2015年10月28日13時13分】 伊予鉄市内軌道線・市役所前電停付近
松山の街は、このとき以来、何度か訪れ、そのたびに伊予鉄の市内電車にも
カメラを向けてきた。一番、最近の訪問は2015年10月だろうか。
そのときの撮影データと照合して、26年前のネガの撮影地点を“確定”させようと
思っていたら、ぬぁんと...
…… ……
歴史とか文学とか、そういう知的な話題には、めっぽう疎い<変態鉄>でも、
“坂の上の雲”は知っている。
そもそも、松山というのは、歴史のある城下町でもある。
お城をバックに市内軌道線電車を撮れるのは、市役所前電停付近。
高いところにお城が見えていて、その手前、電車のバックに見える風格のある
白い建物は県庁である。こちらも歴史を感じさせる建物で...
2015年の訪問時、<変態鉄>はこの電停の安全地帯の先端でカメラを構えた。
“お目当て”が来るまで、結構、長時間、ここでカメラを構えたのをハッキリと
覚えている。
そして、1994年の訪問時...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・南堀端-市役所前
当時、<変態ガキ鉄>は高いところから撮っていたのである。
市役所前電停は、現在では上屋の付いた立派なものになっているが、26年前は
道路中央に安全島があるだけの、ごくフツーの電停だったことがわかる。
それにしても...
「その割に上達してないじゃないか...」と言われそうだが、この26年間の間に
<変態鉄>も夥しい回数、線路際でカメラを構え...経験を積んで、そして、
カメラの性能が上がったこともあって、ちょっとはマシな写真を撮れるように...
2015年の再訪時、たぶん、この位置に歩道橋があれば、絶対に俯瞰撮影も試みた筈。
さらに...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・南堀端-市役所前
この区間、城下町らしく電車通りも鍵型に何度も曲がるよう形になっていて。
そこをゆく電車の姿を記録するのにも、この歩道橋はうってつけだったみたい。
写真の電車はモハ50形69号車。バスの車体技術などを応用して車体の軽量化を
目指したバージョンだったような気がする。その記録写真として、まぁ、当時の
<変態ガキ鉄>としては、よく撮れている1枚。
コレ、上の写真と同じ歩道橋...つまり、伊予銀銀行店と市役所のところの交差点に
歩道橋が“あった”と推定したのは、
・「道後温泉ゆき」の電車が左にカーブする交差点である
・電車の背後には、長~~い直線区間。その軌道敷はずっと複線の幅である。
それから、何と言っても...
・右端に(切れているが)「南堀端通り」の標識が出ていること
である。実は2015年の訪問時にも...
【2015年10月28日12時39分】 伊予鉄市内軌道線・南堀端-市役所前
ほぼ同じ地点で撮っていたのである。
たぶん、同じカーブをゆくシーン。やはり、後ろ。ホンのかすかに青い街路の名を
示す標識が見えており、最初の1文字は「南」と読める。
写っている電車は市駅ゆきの70号車と、向こう側、道後温泉ゆきは「坊ちゃん列車」
である。26年前、まさか、こういう観光列車が走るようになるとは思いもせず...。
全国的に老朽化が進んで、しかもバリアフリー化できず、鋼製の歩道橋は撤去が
進められている。いつの間にか路面電車の撮影好適地が消えている...というのは
全国的に起こっている現象でもある。
でも、26年前の訪問時も歩道橋だけでなく、市役所前電停でも撮っていたみたい。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・市役所前電停(後追い)
<変態鉄>が伊予鉄市内軌道線で一番好きなのは、このモハ50形の中でも、
屋根の深い若番のグループなのである。
そんな26年ぶりの“定点比較”。もう1つは、たぶん松山の市内電車を撮る<鉄>
だったら、必ず訪れるであろうこのポイント。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停付近
市街地を1周するようにさまざまな系統が交錯する伊予鉄の市内電車。
郊外電車は、その“輪”の中にいったん入って抜けていく。
昨日の記事でご紹介した、古町駅付近の平面交差ともう1箇所が大手町駅ヨコ。
しかも、ここは郊外電車(高浜線)が電車通りの踏切を通過し、ほぼ直角に
市内電車と交わるという珍しいシーンが見られる。
こういう感じで2つの路線が交わる地点自体が現在では非常に珍しく、しかも終日、
頻繁に両方の電車の並びシーンを撮るチャンスが訪れるのは、路面電車どうしでは
高知の播磨屋橋交差点、他にかつては阪堺の住吉交点などがあったが...
実際、撮ってみると撮影チャンスが多くても市内中心部だけあって、クルマに
被られたり、道路を横切る人が写り込んでしまったり...
なかなか辛抱と忍耐を強いられる撮影地でもあって。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停付近
それでも、こうやって、この当時の<変態鉄>としては“上出来”な写真を。
市内電車と郊外電車で車体塗色を揃えているのも、伊予鉄の良いところ。
オレンジのツートンカラーの郊外電車は、もと京王の“グリーン車”。
現在は自社発注の新車と井の頭線3000系で置き換えられ、見ることができない。
(確か、このグループが“第3の人生”で銚子電鉄に行った...だっただろうか)
ネガには何枚か残っているが、全部、郊外電車は京王の“グリーン車”だった
編成が写っている。当時の高浜線には京王5000形のグループも居たはずだが...
【2015年10月28日11時53分】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停
逆に、2015年の訪問時には快晴だったからか、影が落ちるのに悩まされて、
アレコレ試しているが、“会心の1枚”は残せなかったのである。
【2015年10月28日15時53分】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停
夕方、再挑戦してまで...
でも、ガッカリ。この地点、もしかしたら曇りの日を狙ったほうが良いのか...。
この大手町のショットを撮り直すべく、“アフター・コロナ”の「出撃先候補」に
松山も加えておきたい。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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さて、26年前の松山の市内電車を。
26年前の撮影だけあって、ネガを見ているとアレコレ、思い出せることもあるが
やはり記憶が不鮮明だったり、他の記憶と混ざってデタラメになっていたり。
【2015年10月28日13時13分】 伊予鉄市内軌道線・市役所前電停付近
松山の街は、このとき以来、何度か訪れ、そのたびに伊予鉄の市内電車にも
カメラを向けてきた。一番、最近の訪問は2015年10月だろうか。
そのときの撮影データと照合して、26年前のネガの撮影地点を“確定”させようと
思っていたら、ぬぁんと...
…… ……
歴史とか文学とか、そういう知的な話題には、めっぽう疎い<変態鉄>でも、
“坂の上の雲”は知っている。
そもそも、松山というのは、歴史のある城下町でもある。
お城をバックに市内軌道線電車を撮れるのは、市役所前電停付近。
高いところにお城が見えていて、その手前、電車のバックに見える風格のある
白い建物は県庁である。こちらも歴史を感じさせる建物で...
2015年の訪問時、<変態鉄>はこの電停の安全地帯の先端でカメラを構えた。
“お目当て”が来るまで、結構、長時間、ここでカメラを構えたのをハッキリと
覚えている。
そして、1994年の訪問時...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・南堀端-市役所前
当時、<変態ガキ鉄>は高いところから撮っていたのである。
市役所前電停は、現在では上屋の付いた立派なものになっているが、26年前は
道路中央に安全島があるだけの、ごくフツーの電停だったことがわかる。
それにしても...
「その割に上達してないじゃないか...」と言われそうだが、この26年間の間に
<変態鉄>も夥しい回数、線路際でカメラを構え...経験を積んで、そして、
カメラの性能が上がったこともあって、ちょっとはマシな写真を撮れるように...
2015年の再訪時、たぶん、この位置に歩道橋があれば、絶対に俯瞰撮影も試みた筈。
さらに...
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・南堀端-市役所前
この区間、城下町らしく電車通りも鍵型に何度も曲がるよう形になっていて。
そこをゆく電車の姿を記録するのにも、この歩道橋はうってつけだったみたい。
写真の電車はモハ50形69号車。バスの車体技術などを応用して車体の軽量化を
目指したバージョンだったような気がする。その記録写真として、まぁ、当時の
<変態ガキ鉄>としては、よく撮れている1枚。
コレ、上の写真と同じ歩道橋...つまり、伊予銀銀行店と市役所のところの交差点に
歩道橋が“あった”と推定したのは、
・「道後温泉ゆき」の電車が左にカーブする交差点である
・電車の背後には、長~~い直線区間。その軌道敷はずっと複線の幅である。
それから、何と言っても...
・右端に(切れているが)「南堀端通り」の標識が出ていること
である。実は2015年の訪問時にも...
【2015年10月28日12時39分】 伊予鉄市内軌道線・南堀端-市役所前
ほぼ同じ地点で撮っていたのである。
たぶん、同じカーブをゆくシーン。やはり、後ろ。ホンのかすかに青い街路の名を
示す標識が見えており、最初の1文字は「南」と読める。
写っている電車は市駅ゆきの70号車と、向こう側、道後温泉ゆきは「坊ちゃん列車」
である。26年前、まさか、こういう観光列車が走るようになるとは思いもせず...。
全国的に老朽化が進んで、しかもバリアフリー化できず、鋼製の歩道橋は撤去が
進められている。いつの間にか路面電車の撮影好適地が消えている...というのは
全国的に起こっている現象でもある。
でも、26年前の訪問時も歩道橋だけでなく、市役所前電停でも撮っていたみたい。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・市役所前電停(後追い)
<変態鉄>が伊予鉄市内軌道線で一番好きなのは、このモハ50形の中でも、
屋根の深い若番のグループなのである。
そんな26年ぶりの“定点比較”。もう1つは、たぶん松山の市内電車を撮る<鉄>
だったら、必ず訪れるであろうこのポイント。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停付近
市街地を1周するようにさまざまな系統が交錯する伊予鉄の市内電車。
郊外電車は、その“輪”の中にいったん入って抜けていく。
昨日の記事でご紹介した、古町駅付近の平面交差ともう1箇所が大手町駅ヨコ。
しかも、ここは郊外電車(高浜線)が電車通りの踏切を通過し、ほぼ直角に
市内電車と交わるという珍しいシーンが見られる。
こういう感じで2つの路線が交わる地点自体が現在では非常に珍しく、しかも終日、
頻繁に両方の電車の並びシーンを撮るチャンスが訪れるのは、路面電車どうしでは
高知の播磨屋橋交差点、他にかつては阪堺の住吉交点などがあったが...
実際、撮ってみると撮影チャンスが多くても市内中心部だけあって、クルマに
被られたり、道路を横切る人が写り込んでしまったり...
なかなか辛抱と忍耐を強いられる撮影地でもあって。
【1994年2月8日】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停付近
それでも、こうやって、この当時の<変態鉄>としては“上出来”な写真を。
市内電車と郊外電車で車体塗色を揃えているのも、伊予鉄の良いところ。
オレンジのツートンカラーの郊外電車は、もと京王の“グリーン車”。
現在は自社発注の新車と井の頭線3000系で置き換えられ、見ることができない。
(確か、このグループが“第3の人生”で銚子電鉄に行った...だっただろうか)
ネガには何枚か残っているが、全部、郊外電車は京王の“グリーン車”だった
編成が写っている。当時の高浜線には京王5000形のグループも居たはずだが...
【2015年10月28日11時53分】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停
逆に、2015年の訪問時には快晴だったからか、影が落ちるのに悩まされて、
アレコレ試しているが、“会心の1枚”は残せなかったのである。
【2015年10月28日15時53分】 伊予鉄市内軌道線・大手町電停
夕方、再挑戦してまで...
でも、ガッカリ。この地点、もしかしたら曇りの日を狙ったほうが良いのか...。
この大手町のショットを撮り直すべく、“アフター・コロナ”の「出撃先候補」に
松山も加えておきたい。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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大手町の平面交差、2月末に松山を訪れた際に、行ってきました。
https://ho-blog.blog.ss-blog.jp/2020-02-28
電車の通過音を聞いているうちに、四条京阪を思い出してちょっと泣きそうに・・・。なつかしい。
by hideta-o (2020-05-08 11:36)
hideta-oさん
コメントありがとうございます。
松山は、(電車だけでなく)街を歩くだけでも
楽しいところですね。再訪してみたいと思います。
四条京阪...残念ながら、自分が訪れた時は京阪電車も
地下化されていて。写真で見るだけでも羨ましく思います。
by ferrum_queserasera (2020-05-08 14:15)