2006年8月 猛暑の大糸線にキハ52を追って <前編> [アナログ写真保存庫]
(※ 当時の旅行メモを見つけて確認したところ、2006年8月5日の撮影だと判明しました。
各撮影の詳細についてもわかった範囲で補足しました。(赤文字の部分)
= 2023年10月3日 追記)
昨日の記事で書いた通り、2006年8月、自分にとっては今の会社への就職が決まっていて。
忙しくなるのは必至な情勢だったので、その前に...ということで、真夏の中部地方へ。既に“青春”という齢ではなかったが「青春18きっぷ」で。
名古屋から満員の中央西線、夕方の大糸線を乗り継いで糸魚川のホテルに入って。
【2009年8月13日10時28分】 大糸線・糸魚川駅
翌朝から2日間に渡ってキハ52形を追ったのだった。
当時、糸魚川地域鉄道部に居た3両のキハ52形、115号車は朱色ツートン、156号車はタラコ色...首都圏色になっていたが、125号車は白地に緑のストライプ、大糸色で残っていた。夢中で追いかけたのだった。
夕方、そのフィルムをスキャンしてみた。
とはいえ、まぁ、それにしても、酷い写真ばかり。17年前の自分に会いに行くことができたら、思いっきり殴り倒してやりたい...と思うくらい、構図取りもメチャクチャなら、逆光側から撮っている写真が多く。ホント、何を考えていたのか分からない。
…… ……
不鮮明ながら記憶は残っており。
朝6時台に、列車が続行で出ていく時間帯があって。それに合わせて、早朝の出発でやってきたのは頸城大野駅の少し先の地点。
集落を離れれば、田んぼと木立が広がるだけ。ジュースの自販機すら見つけることができないような...
糸魚川駅 6:19発の初発で頸城大野へ、そのキハ52 125号車の車内は満員だったとのこと。続行の平岩ゆき(糸魚川 6:36発)は「平沢第2踏切」付近で見送り、第421D列車(頸城大野駅 7:39発 = 125号車)、第423D列車(同 8:40発 = 156号車)まで撮影。つまり、掲載した2枚の写真は順番が逆になっている。
【2006年8月】 大糸線・根知-頸城大野
目の前に姿を現したのは、タラコ色のキハ52 156号車。自分の世代だと朱色ツートンのディーゼル動車というのは、リバイバル塗装が中心で。
そういう意味で首都圏色は一番、しっくり来る塗装だった。それにしても、国鉄の塗装というのは緑の木々によく映えるのである。
あまり待つことなく...
【2006年8月】 大糸線・根知-頸城大野
続いて、キハ52 125号車。いま、大多喜に居るのである。このとき、まさか、この17年後に現役の姿を撮れるとは思っていなかった。
この塗色、大糸線の風景によく似合っていて好きだったのだが...
この少し後、黄褐色と紺色の旧一般型気動車色に変更されてしまう。
【2006年8月】 大糸線・姫川-頸城大野
朝の列車を撮った後は、キハに乗って平岩へ向かったような。
頸城大野駅に戻り、同駅 10:10発、第425D列車は「榎田踏切」近くで。光線状態の悪さと近くの産廃処分場(?)に出入りするダンプカーの往来の激しさに困った、と。このあと、第426D列車で北小谷駅(11:34着)、近くのトンネル付近でのカットが鉄道誌の表紙を飾っていたので、それが撮りたくて。でも、現地に行っても場所が分からず、折返しの第427D列車で平岩駅。
平岩駅で降りるとすぐ目の前に姫川にかかる鉄橋があって。
【2006年8月】 大糸線・小滝-平岩
そこでキハ52 115号車を撮っている。う〜ん、何だか構図も...もうあとちょっと右に動いて、対岸の、橋台の下あたりのゴチャゴチャをカットして撮った方が...。しかも、キハの顔には光が回っていない。う〜ん...
平岩駅は駅員さんがいて乗車券を販売(資料では当時、既に無人駅)。駅前の雑貨店でパンと飲み物。簡易郵便局付近から鉄橋上の第428D列車(平岩駅 12:52発)を撮影。
【2010年3月8日11時23分】 大糸線・小滝-平岩
4年後、キハ52形終焉間近の時期に同じ鉄橋で“リベンジ”している。
このあたり、姫川の両岸に千国街道と大糸線の線路が通っており。地図で見てみると大糸線の線路は長野県小谷村、千国街道は新潟県糸魚川市になるようで...。
ホントに小さい、平岩の集落を抜けると、そこを抜けてきた道は千国街道に合流し。そこからしばらく進むと、姫川の流れに直角に交わってくる支流が合流する地点があって。その支流に架かる小さな鉄橋付近を千国街道から撮るのが鉄道誌でも紹介されており...
暑いし遠かったし、周囲には何も無くて。列車待ちの間、千国街道を通過していくクルマの台数をカウントして退屈を紛らわせていたのを覚えている。
【2006年8月】 大糸線・小滝-平岩
それにしても酷い1枚である。列車を止める位置も中途半端なら、右上に木の枝が写り込んでいて...
う〜ん、せっかくのキハ52 115号車の走行シーンなのに...。
【2010年5月5日13時16分】 大糸線・小滝-平岩
ここも、2010年5月のイベント運転のときに“リベンジ”を果たしている。この時点で既に115号車は津山に搬入されており、残っていた156号車と125号車の2両で。このときは、奮発してタクシーをチャーターして、平岩から糸魚川まで“追っかけ”しながら往復したのだった。
【2006年8月】 大糸線・平岩駅
そんなことをしていると、あっという間に時間が経つもので。平岩駅からキハ52 125号車に乗り込んで。
糸魚川駅近くのホテルに戻ったのだった。(つづく)
撮影後、平岩駅に16:10頃、駅員さんは片付けの最中。16:35発の第431D列車はキハ52 115号車。根知駅で上りの遅れを待って5分遅れで糸魚川駅。この写真は12時過ぎに北小谷から到着した際の第427D列車のスナップと思われる。
…… ……
本当は今日の記事は<速報版>にしたいと思っていた。でも、早朝、目が覚めるとカラダが重くて。昼ごろまで布団の中で。体調がおかしかった。
“微熱”という程度だが、ちょっと体温も高くて。自宅でゴロゴロしながら時間を過ごしたのだった。月曜の朝、もう一度、体温を測ってみないと...
仕事、天気、そして、体調。<変態鉄>の行く手を阻むものは思いの外、強敵ばかりなのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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各撮影の詳細についてもわかった範囲で補足しました。(赤文字の部分)
= 2023年10月3日 追記)
昨日の記事で書いた通り、2006年8月、自分にとっては今の会社への就職が決まっていて。
忙しくなるのは必至な情勢だったので、その前に...ということで、真夏の中部地方へ。既に“青春”という齢ではなかったが「青春18きっぷ」で。
名古屋から満員の中央西線、夕方の大糸線を乗り継いで糸魚川のホテルに入って。
【2009年8月13日10時28分】 大糸線・糸魚川駅
翌朝から2日間に渡ってキハ52形を追ったのだった。
当時、糸魚川地域鉄道部に居た3両のキハ52形、115号車は朱色ツートン、156号車はタラコ色...首都圏色になっていたが、125号車は白地に緑のストライプ、大糸色で残っていた。夢中で追いかけたのだった。
夕方、そのフィルムをスキャンしてみた。
とはいえ、まぁ、それにしても、酷い写真ばかり。17年前の自分に会いに行くことができたら、思いっきり殴り倒してやりたい...と思うくらい、構図取りもメチャクチャなら、逆光側から撮っている写真が多く。ホント、何を考えていたのか分からない。
…… ……
不鮮明ながら記憶は残っており。
朝6時台に、列車が続行で出ていく時間帯があって。それに合わせて、早朝の出発でやってきたのは頸城大野駅の少し先の地点。
集落を離れれば、田んぼと木立が広がるだけ。ジュースの自販機すら見つけることができないような...
糸魚川駅 6:19発の初発で頸城大野へ、そのキハ52 125号車の車内は満員だったとのこと。続行の平岩ゆき(糸魚川 6:36発)は「平沢第2踏切」付近で見送り、第421D列車(頸城大野駅 7:39発 = 125号車)、第423D列車(同 8:40発 = 156号車)まで撮影。つまり、掲載した2枚の写真は順番が逆になっている。
【2006年8月】 大糸線・根知-頸城大野
目の前に姿を現したのは、タラコ色のキハ52 156号車。自分の世代だと朱色ツートンのディーゼル動車というのは、リバイバル塗装が中心で。
そういう意味で首都圏色は一番、しっくり来る塗装だった。それにしても、国鉄の塗装というのは緑の木々によく映えるのである。
あまり待つことなく...
【2006年8月】 大糸線・根知-頸城大野
続いて、キハ52 125号車。いま、大多喜に居るのである。このとき、まさか、この17年後に現役の姿を撮れるとは思っていなかった。
この塗色、大糸線の風景によく似合っていて好きだったのだが...
この少し後、黄褐色と紺色の旧一般型気動車色に変更されてしまう。
【2006年8月】 大糸線・姫川-頸城大野
朝の列車を撮った後は、キハに乗って平岩へ向かったような。
頸城大野駅に戻り、同駅 10:10発、第425D列車は「榎田踏切」近くで。光線状態の悪さと近くの産廃処分場(?)に出入りするダンプカーの往来の激しさに困った、と。このあと、第426D列車で北小谷駅(11:34着)、近くのトンネル付近でのカットが鉄道誌の表紙を飾っていたので、それが撮りたくて。でも、現地に行っても場所が分からず、折返しの第427D列車で平岩駅。
平岩駅で降りるとすぐ目の前に姫川にかかる鉄橋があって。
【2006年8月】 大糸線・小滝-平岩
そこでキハ52 115号車を撮っている。う〜ん、何だか構図も...もうあとちょっと右に動いて、対岸の、橋台の下あたりのゴチャゴチャをカットして撮った方が...。しかも、キハの顔には光が回っていない。う〜ん...
平岩駅は駅員さんがいて乗車券を販売(資料では当時、既に無人駅)。駅前の雑貨店でパンと飲み物。簡易郵便局付近から鉄橋上の第428D列車(平岩駅 12:52発)を撮影。
【2010年3月8日11時23分】 大糸線・小滝-平岩
4年後、キハ52形終焉間近の時期に同じ鉄橋で“リベンジ”している。
このあたり、姫川の両岸に千国街道と大糸線の線路が通っており。地図で見てみると大糸線の線路は長野県小谷村、千国街道は新潟県糸魚川市になるようで...。
ホントに小さい、平岩の集落を抜けると、そこを抜けてきた道は千国街道に合流し。そこからしばらく進むと、姫川の流れに直角に交わってくる支流が合流する地点があって。その支流に架かる小さな鉄橋付近を千国街道から撮るのが鉄道誌でも紹介されており...
暑いし遠かったし、周囲には何も無くて。列車待ちの間、千国街道を通過していくクルマの台数をカウントして退屈を紛らわせていたのを覚えている。
【2006年8月】 大糸線・小滝-平岩
それにしても酷い1枚である。列車を止める位置も中途半端なら、右上に木の枝が写り込んでいて...
う〜ん、せっかくのキハ52 115号車の走行シーンなのに...。
【2010年5月5日13時16分】 大糸線・小滝-平岩
ここも、2010年5月のイベント運転のときに“リベンジ”を果たしている。この時点で既に115号車は津山に搬入されており、残っていた156号車と125号車の2両で。このときは、奮発してタクシーをチャーターして、平岩から糸魚川まで“追っかけ”しながら往復したのだった。
【2006年8月】 大糸線・平岩駅
そんなことをしていると、あっという間に時間が経つもので。平岩駅からキハ52 125号車に乗り込んで。
糸魚川駅近くのホテルに戻ったのだった。(つづく)
撮影後、平岩駅に16:10頃、駅員さんは片付けの最中。16:35発の第431D列車はキハ52 115号車。根知駅で上りの遅れを待って5分遅れで糸魚川駅。この写真は12時過ぎに北小谷から到着した際の第427D列車のスナップと思われる。
…… ……
本当は今日の記事は<速報版>にしたいと思っていた。でも、早朝、目が覚めるとカラダが重くて。昼ごろまで布団の中で。体調がおかしかった。
“微熱”という程度だが、ちょっと体温も高くて。自宅でゴロゴロしながら時間を過ごしたのだった。月曜の朝、もう一度、体温を測ってみないと...
仕事、天気、そして、体調。<変態鉄>の行く手を阻むものは思いの外、強敵ばかりなのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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