たぶん18年くらい前。深夜の300系「こだま595号」車内放送。 [車内放送]
今朝は久々に...
今年は梅雨明けが遅れている東京、晴れた朝はいつ以来か...くらいの感覚。
元気に騒ぐ(← 何だそりゃ??)セミの声に目が覚めた。まさに夏だが...
長引く梅雨、コロナと母の入院もあって、近場ですら出かけていない。
会社に行くのも必要最低限にしており、自宅でダラダラと仕事を続けている。
阿炎の突然の休場に驚きつつ、大相撲中継を視るのが楽しみといったところ。
今日は夕方、大相撲が終わってから会社へ少しだけ顔を出していた。
ということで、出かけなければ<鉄>ブログがネタ切れになるのは必然の流れ。
となれば...
【2008年10月30日8時49分】 山陽新幹線・相生駅
久々に車内放送のコレクションの中から。
たぶん...2000年台に入ってすぐの頃だろうが、深夜、岡山駅を最後に出発する
「こだま595号」三原ゆきの車内放送。
現役時代は興味関心を持てない形式だった“初代「のぞみ」”こと300系。
N700系も廃車が始まったと聞いて...時の流れを感じてしまうが、まだこの当時...
いまから18年ほど前の東海道・山陽新幹線で300系は、特に狙って待っていなくても
当たり前に乗れる形式だった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
今日はちょっと長めに、その岡山駅発車から新倉敷駅に向かって...
5分程度の模様をご紹介したい。
実は<変態鉄>が<車内放送マニア>になったキッカケは...
…… ……
車内放送に初めて興味を持ったのは小学5年生の頃。
父の単身赴任がキッカケで、毎月、東海道新幹線に乗るようになって。
当時は100系の増備が進んでいた時期だっただろうか。
途中駅は ♪ド・ミ・ソ・ド の4打点チャイムだったが、東京駅を出発した直後と
終着駅に到着する直前だけは短めのメロディが流れるのを知って...
新幹線に乗る度に、このメロディを聞くのが楽しみになっていった。
そんな小学6年生。中学生になると携帯用のカセットレコーダーを持って行っては...
【2008年10月30日9時06分】 山陽新幹線・相生駅
それがMDに変わったのは大学に入った97年のこと。写真よりもさらに難しいのが
この車内放送の録音。クリアな音を撮ろうと思えば、やはり、他のお客さんが
いない列車が“狙い目”。しかも、冷房の音を拾わない夏以外が...
でも、苦労したのが、その<車内放送マニア>の“出発点”ともなった新幹線。
東京にいた<変態鉄>、山陽まで乗ることは少なくて...
東海道新幹線は16両編成であっても、まぁ、必ずお客さんが乗っていて。
しかも、気密構造の新幹線車両の場合、いつも車内の空調が作動しているのも
録音の難しさなのだった。
【2008年10月30日14時44分】 山陽新幹線・岡山駅
とはいえ、“こだわりのチャイム”だけに何度も録音には挑戦しており。
念願の0系車両でも何度か録音を成功させている。
https://gohachinihachi0309.blog.ss-blog.jp/2011-11-10
退役間近の0系「こだま」で録った車内放送を前のブログの最初の頃にご紹介
しているのだが...
さて、話が逸れている。
日付の記憶も確かでないものの、断片的に記憶が残っており。
このときは、九州に向かっていたはず。ただ、当日、バイトが夜遅くまであって、
京都からの特急寝台「あかつき」号に間に合わなかった。
だから、夜、仕事を終えて東京駅に直行、最終の岡山ゆき...いや、広島ゆき??
「のぞみ」号に乗ったのである。
同じ時間帯に京都駅を出発したであろう、長崎ゆきの特急寝台。
岡山ではダメでも、広島県内に入る前に、この晩の最後の停車駅である三原までに
追いつけるのだった。確か福山駅で降りて駅前のコンビニで買い物して、
深夜の誰もいないホームから「あかつき」号に乗ったような気がする。
岡山駅に到着する、最終の「のぞみ」の接続を受けて、わずかな乗客を乗せて
福山駅に向かう“最終列車”が、この「こだま595号」だったのである。
【1999年7月31日】 東海道新幹線・新大阪駅
だからこそ、日中の「こだま」とは違った特徴が。
山陽新幹線の「ひかり」「こだま」は分割民営化直後から短編成化が進み、
“ウエストひかり”などという専用編成まで登場した。
さらに2000年台に入ると4両編成というあり得ない短さの列車まで登場して。
たしか、当時の「こだま」は6両編成がスタンダードだったはず。
だからグリーン車は非連結が基本。
【2008年10月30日8時49分】 山陽新幹線・相生駅
でも、この「こだま595号」は岡山発着の「のぞみ」の間合い運用だったのか、
珍しく300系16両編成での運転だった。
自分と同様に「のぞみ」からの乗り換え客が多少居たものの、それでも疎らな乗客。
このときは、車掌さんに頼み込んで「イスには腰掛けない」という条件で
グリーン車内で録音させてもらったのである。もちろん、乗客はゼロ。
「グリーン車を除き、普通車はすべて自由席です」
「サービスコーナーと車内販売の営業はいたしておりません」
チャイムの後は、自動放送をカットして若い車掌さんが肉声のアナウンス。
山陽区間には珍しい16連「こだま」の案内である。
よく聞いていると、いまとは大きく異なっている。
例えば、禁煙車の号車案内があるのは、当時は喫煙車と禁煙車があるのが
当たり前だったから。
「電話はテレホンカード専用で偶数号車のデッキに...」
これも、いまの若い人たちには分からないことかも知れないが...
2両に1箇所くらい必要なだけの需要があったと言うことでもあり。
テロ対策の案内が入らないのも、いまとの大きな違い。思えば良き時代だった。
【2008年10月30日12時51分】 山陽新幹線・岡山駅
いつしか、後継の700系も東海道からは引退しており。
そういえば、最近はイベント時の記録目的以外に車内録音をしなくなった。
そう、東北の震災をキッカケに、オトナの事情もあって合成音声の自動放送装置が
ローカル線まで普及、車掌さんによる肉声での名調子のアナウンスは...
写真もなく、まとまりのない文章だけダラダラと綴るブログ...
これでは、読まれないのも無理はないのである。
最近ではヒコーキの機内放送も、CAのお姉さんに替わって合成音声になり。
着陸時に聴くことができた季節ごとの挨拶も省略されることが多くなったみたいで。
やはり、アナウンスは無味乾燥な自動放送ではなく乗務員さんの肉声が良い...
と、相変わらずヘンなことにこだわる<変態鉄>なのだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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今年は梅雨明けが遅れている東京、晴れた朝はいつ以来か...くらいの感覚。
元気に騒ぐ(← 何だそりゃ??)セミの声に目が覚めた。まさに夏だが...
長引く梅雨、コロナと母の入院もあって、近場ですら出かけていない。
会社に行くのも必要最低限にしており、自宅でダラダラと仕事を続けている。
阿炎の突然の休場に驚きつつ、大相撲中継を視るのが楽しみといったところ。
今日は夕方、大相撲が終わってから会社へ少しだけ顔を出していた。
ということで、出かけなければ<鉄>ブログがネタ切れになるのは必然の流れ。
となれば...
【2008年10月30日8時49分】 山陽新幹線・相生駅
久々に車内放送のコレクションの中から。
たぶん...2000年台に入ってすぐの頃だろうが、深夜、岡山駅を最後に出発する
「こだま595号」三原ゆきの車内放送。
現役時代は興味関心を持てない形式だった“初代「のぞみ」”こと300系。
N700系も廃車が始まったと聞いて...時の流れを感じてしまうが、まだこの当時...
いまから18年ほど前の東海道・山陽新幹線で300系は、特に狙って待っていなくても
当たり前に乗れる形式だった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
今日はちょっと長めに、その岡山駅発車から新倉敷駅に向かって...
5分程度の模様をご紹介したい。
実は<変態鉄>が<車内放送マニア>になったキッカケは...
…… ……
車内放送に初めて興味を持ったのは小学5年生の頃。
父の単身赴任がキッカケで、毎月、東海道新幹線に乗るようになって。
当時は100系の増備が進んでいた時期だっただろうか。
途中駅は ♪ド・ミ・ソ・ド の4打点チャイムだったが、東京駅を出発した直後と
終着駅に到着する直前だけは短めのメロディが流れるのを知って...
新幹線に乗る度に、このメロディを聞くのが楽しみになっていった。
そんな小学6年生。中学生になると携帯用のカセットレコーダーを持って行っては...
【2008年10月30日9時06分】 山陽新幹線・相生駅
それがMDに変わったのは大学に入った97年のこと。写真よりもさらに難しいのが
この車内放送の録音。クリアな音を撮ろうと思えば、やはり、他のお客さんが
いない列車が“狙い目”。しかも、冷房の音を拾わない夏以外が...
でも、苦労したのが、その<車内放送マニア>の“出発点”ともなった新幹線。
東京にいた<変態鉄>、山陽まで乗ることは少なくて...
東海道新幹線は16両編成であっても、まぁ、必ずお客さんが乗っていて。
しかも、気密構造の新幹線車両の場合、いつも車内の空調が作動しているのも
録音の難しさなのだった。
【2008年10月30日14時44分】 山陽新幹線・岡山駅
とはいえ、“こだわりのチャイム”だけに何度も録音には挑戦しており。
念願の0系車両でも何度か録音を成功させている。
https://gohachinihachi0309.blog.ss-blog.jp/2011-11-10
退役間近の0系「こだま」で録った車内放送を前のブログの最初の頃にご紹介
しているのだが...
さて、話が逸れている。
日付の記憶も確かでないものの、断片的に記憶が残っており。
このときは、九州に向かっていたはず。ただ、当日、バイトが夜遅くまであって、
京都からの特急寝台「あかつき」号に間に合わなかった。
だから、夜、仕事を終えて東京駅に直行、最終の岡山ゆき...いや、広島ゆき??
「のぞみ」号に乗ったのである。
同じ時間帯に京都駅を出発したであろう、長崎ゆきの特急寝台。
岡山ではダメでも、広島県内に入る前に、この晩の最後の停車駅である三原までに
追いつけるのだった。確か福山駅で降りて駅前のコンビニで買い物して、
深夜の誰もいないホームから「あかつき」号に乗ったような気がする。
岡山駅に到着する、最終の「のぞみ」の接続を受けて、わずかな乗客を乗せて
福山駅に向かう“最終列車”が、この「こだま595号」だったのである。
【1999年7月31日】 東海道新幹線・新大阪駅
だからこそ、日中の「こだま」とは違った特徴が。
山陽新幹線の「ひかり」「こだま」は分割民営化直後から短編成化が進み、
“ウエストひかり”などという専用編成まで登場した。
さらに2000年台に入ると4両編成というあり得ない短さの列車まで登場して。
たしか、当時の「こだま」は6両編成がスタンダードだったはず。
だからグリーン車は非連結が基本。
【2008年10月30日8時49分】 山陽新幹線・相生駅
でも、この「こだま595号」は岡山発着の「のぞみ」の間合い運用だったのか、
珍しく300系16両編成での運転だった。
自分と同様に「のぞみ」からの乗り換え客が多少居たものの、それでも疎らな乗客。
このときは、車掌さんに頼み込んで「イスには腰掛けない」という条件で
グリーン車内で録音させてもらったのである。もちろん、乗客はゼロ。
「グリーン車を除き、普通車はすべて自由席です」
「サービスコーナーと車内販売の営業はいたしておりません」
チャイムの後は、自動放送をカットして若い車掌さんが肉声のアナウンス。
山陽区間には珍しい16連「こだま」の案内である。
よく聞いていると、いまとは大きく異なっている。
例えば、禁煙車の号車案内があるのは、当時は喫煙車と禁煙車があるのが
当たり前だったから。
「電話はテレホンカード専用で偶数号車のデッキに...」
これも、いまの若い人たちには分からないことかも知れないが...
2両に1箇所くらい必要なだけの需要があったと言うことでもあり。
テロ対策の案内が入らないのも、いまとの大きな違い。思えば良き時代だった。
【2008年10月30日12時51分】 山陽新幹線・岡山駅
いつしか、後継の700系も東海道からは引退しており。
そういえば、最近はイベント時の記録目的以外に車内録音をしなくなった。
そう、東北の震災をキッカケに、オトナの事情もあって合成音声の自動放送装置が
ローカル線まで普及、車掌さんによる肉声での名調子のアナウンスは...
写真もなく、まとまりのない文章だけダラダラと綴るブログ...
これでは、読まれないのも無理はないのである。
最近ではヒコーキの機内放送も、CAのお姉さんに替わって合成音声になり。
着陸時に聴くことができた季節ごとの挨拶も省略されることが多くなったみたいで。
やはり、アナウンスは無味乾燥な自動放送ではなく乗務員さんの肉声が良い...
と、相変わらずヘンなことにこだわる<変態鉄>なのだった。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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