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98年6月 特急寝台「出雲2号」の車内放送を...(1) [車内放送]

自宅に居る時間が長い割には、なかなかはかどらない趣味活動。
今月いっぱい、いまのような生活が続きそうな気配だが、なかなか...

ブログも夕方までに何とか記事を書いてアップするので、いっぱいいっぱい。

そんな中、なぜか分からないが、最近、拙ブログでよく読まれている(?)のが、
車内放送ネタ。<鉄>の中でも、かなりマニアックな部類に入ると思うのだが
PV数が増えているみたい。

そんなわけで、今日も録りだめた車内放送のコレクションから。
<変態鉄>にしては珍しい特急寝台列車での収録、しかも、出雲市駅を17時に出て
翌朝の6時半に到着するという長距離での乗車だったのは、1998年6月10日の
特急「出雲2号」である。

でも、今日の話題に入る前に。

5月8日は「ゴハチの日」。ということで...

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【2010年5月6日8時31分】 高山本線・婦中鵜坂-速星

あの電気機関車の写真...の筈がない。<変態鉄>にとっての“ゴハチ”とは、
もちろん、こちらである。キハ58系急行型ディーゼル動車は昭和30~40年台に
傍系車を含めて1,800両以上が製造され、非電化区間の代名詞的存在になった
ディーゼル動車である。2000年台に入っても、ローカル運用を中心に少なからず
残っていたが、その後は急速に淘汰が進み、1基エンジン車のキハ28形が1両、
いすみ鉄道に残るだけになっているのは、拙ブログでは何度も...

JR線上での最後の定期運用は2011年3月まで残った富山の高山本線。
富山平野では、5月の連休翌週頃の田植えが推奨されていたはず。いまごろは、
水田に水が入って、車両は変われど、こんな景色が広がっているのだろうか。
……  ……

ついでなので...

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【2011年2月8日13時16分】 高山本線・千里-越中八尾

東京はそろそろ「シャツを半袖にしようか...」と考える陽気になってきた。
ということで、逆に涼しいシーンを。

雪景色にもよく映える“国鉄急行色”だったのである。

富山には何度も撮りに通ったのだが...

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【2000年8月14日】 花輪線・鹿角花輪駅(??)

もちろん、全国に投入された車両だけに全国、いろいろなところで撮っていた。
その中から1枚。山岳区間と言うことで2基エンジンのキハ58形が集中配置
されていたのが盛岡支社。

キハ52+キハ58という2基エンジン車で固めた編成だったのが花輪線。

盛岡車には後期のパノラミックウィンドウ車が多かったのも特徴。
国鉄時代の製造時から「冷房改造準備車」として落成しているが...
そう、2基エンジン車では冷房電源が確保できず。廃車になるまで非冷房車だった。

JR東日本車は、いわゆる「アルカディア事故」以来、DMH17系エンジンの使用が
事実上できなくなり、エンジン換装が進んだこと、さらに、何と言ってもこの車両...
盛岡工場で定期検査を受けるキハは、早々に車内放送装置が交換されてしまって。
あの白いタイプに交換されるとオルゴールがないのである。

「撮っておけば良かった」と思う割に、盛岡車を撮ったことはほとんど無かった。

さて、そのしばらく前に録ったのが、特急寝台「出雲2号」の車内放送。


1998年6月10日(水)曇一時晴れ

前日は...、まだおとずれる人も僅かだった「石見銀山」を見学に行って。

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山陰旅行の最後の楽しみにしていたのが、特急寝台「出雲」号だった。
もともと東京出身で、東京の大学に進んだので、ずっと実家で暮らしていた。
そして、大学にはほとんど行かずにアルバイトに明け暮れていたので...

自分の人生の中で一番“バブリー”な生活ができていた時期でもある。

「領収額 16,650円」とあるのは、あくまで「寝台・特急券」である。
乗車券は別に買っていた。そちらには「学割」の文字が入っているから、
何だかアンバランスだが...

A個室寝台「シングル・デラックス」を利用したのである。
<変態鉄>の人生で、A寝台...“ロネ”に乗ったのは、これが最初で最後???
(いまからでも、その気になれば「サンライズ」で乗るのは不可能ではないが...)



その車内放送。

確か、当日、出雲市駅と隣の直江駅との間で踏切故障が発生し、午後から山陰線の
ダイヤはちょっと乱れがちだった。

こういうとき、単線区間では遅れがどんどん波及するもので、この「出雲2号」も
「踏切機故障のため、8分ほど遅れて発車しています」と断りが入っている。

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【1998年6月10日】 山陰本線・出雲市駅

この日の「出雲2号」、米子車掌区のベテランの車掌さんによる好放送。
いまの“サンライズ”と違って、米子の車掌さんが東京までの通し乗務だった。

喫煙・禁煙の案内があるのも“いまはむかし”だが、それと同時にこの録音の
2分半あたりのところ。

「自由席特急券...特定特急券でご乗車の方は4号車、5号車に...」と言っている。

いまでは見られなくなった“ヒルネ”扱いである。
所要時間の長い特急寝台列車の場合、深夜帯にかからない時間帯も長かった。
その時間帯、他の特急列車の代わりとして、自由席特急券(と同額の立席特急券)で
特急寝台に乗ることができた。知ってはいたが、<変態鉄>はコレで乗ったことは
ないのだが...

「寝台用品の枕、毛布などはお使いにならないように...」と注意が入る。

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そもそも「2号」と号数がつく寝台列車は、90年代以降、非常に珍しかった。
1往復なら名称だけで大丈夫。同じ列車が2往復以上あるから1号、2号...と付ける
ことになる訳である。

この当時、特急寝台「出雲」号は2往復。つまり、下りが1号、3号、上りが2号、4号。
浜田乗り入れは中止になっていたのだろうか?? 記憶が定かで無い。

この「2号~3号」はJR西日本米子支社(出雲)の14系寝台車、
「1号~4号」はJR東日本(尾久)の24系25型寝台客車で運転されていた。
号数ごとに客車の受け持ちが違うのも、何だか国鉄時代からの伝統の列車らしさ。

客車らしく“ハイケンスのセレナーデ”のオルゴールだが、残念ながら出雲車は
電子チャイム版だった。それでも、当時の米子の車掌さん、普通列車でも放送には
オルゴールを鳴らすのが通常で、一般には特急列車でも始発・終着の放送以外には
鳴らさないはずのオルゴール、米子担当だと途中駅でも全部の放送に入れる方が
多かった。当時、<車内放送マニア>として、とても嬉しい存在だったのである。

松江、安来...と日付が変わる直前の京都まで山陰線の主な駅に停車して。
その車内放送は、鳥取駅あたりで“おやすみ放送”が入って。

翌朝は横浜駅到着直前に“おはよう放送”だったが、不覚にも...
その放送を聞いて目覚めるという...爆睡してしまって録り逃したのである。

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【2019年6月9日11時38分】 東北本線・尾久駅

そうこうしているうちに「寝台列車」自体が“歴史上の事実”へと変わっていった
のだった。

ということで、東京都民の<変態鉄>には“出撃自粛”期間がもう少し長引きそう。
古いネタを探してきて、このシリーズを続けていきたい。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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