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紅い丸窓電車、最後の日々(2005年2月 名鉄岐阜線撮影記)(5=最終回) [思い出の名鉄岐阜線]

“営業自粛”になったので「ヒマなんでしょ」と言われるのだが、実際は逆。
表のシャッターが下りている...からと言って休みとはならないのが難しさ。

実際には、その対策の協議のための会議が連続して。「3密」を断つことが大事...
とエラいのが挨拶しながら、室内で延々と話を...う~ん。
そのせいで仕事は遅れて...、結局、今週末も出社になっているわけで。
そんな訳で深夜に帰宅する日々が続いている。

だから、ブログ更新もままならない状況が続いている訳で。

ということで、昨日はお休みをいただいた拙ブログ。

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【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・早田-西野町

岐阜の電車の話題もとりあえず今日で最終回。

ただ、このモ510形の団臨の日だけで無く、その前後に何度も岐阜を訪れたときの
ネガもスキャナーで取り込んだので、近々、続編を書く予定。乞うご期待。


……  ……

忠節橋の架橋の関係もあって、揖斐線と岐阜市内線の線路が繋がるまでにも
時間を要し、さらに「鉄道線」と「軌道線」の直通運転に関する認可に...
昭和40年台、ようやく揖斐線の電車が岐阜市内線を経由して岐阜駅前までの
乗り入れが実現、その際に両線を走れる装備を持った電車として抜擢されたのが
すでに車齢50年に近づきつつあった(“寿命”に近づいていると思われた)
モ510形が紅白塗装で、その直通の任を与えられた。

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【2005年2月頃】 名鉄美濃町線(当時)・白金駅

最初期は2両連結で市内線を走るのが認められず、忠節駅で分割併合があった...
らしいのだが、後に木製車(車体表面に鋼板を貼った“ニセ鋼製車”)モ520形を
併結して岐阜市内線を駆け抜けたようなのだが...

<変態鉄>が小さい頃に見た<鉄>な本の中の写真では、名鉄らしく(?)
スカーレット塗り潰しの塗色だったが、90年代初めに初めて見たときには
すでに紅白のツートンカラーになっており、モ510形2両で岐阜の街を走っていた。

初めての出会いから約15年。とうとう、その最後のチャンスがやって来たのだった。

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【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・徹明町電停付近

大混乱の徹明町交差点の通過シーンを撮ったら、思いっきり走ってタクシーの営業所。

「忠節橋の手前まで!!」
タクシーに飛び乗った<変態鉄>、電車通りをタクシーで急いだ先は忠節橋。

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【2005年2月頃】 岐阜県岐阜市真砂町付近

そう、このシリーズの最初でご紹介した、<変態鉄>が生まれて初めて走っている
電車にカメラを向けた、あの歩道橋へと急いだのだった。

幸い...

大学鉄研の貸切電車だった、この日のモ510形。“フォトラン”(→ 撮影臨)
だったのか、徹明町 - 忠節 - 新岐阜駅前(?) - 忠節、と、市内線区間を
1.5往復する運用になっていた。

岐阜の中心部、南北に走っている3本の通りには長良川に架かる橋の名前が
通りの愛称になっていて。「長良橋通り」はお城や大仏(!!)のあるエリアを通る
メインストリート。(といっても城下町特有の狭い街路だが...)
真ん中が「金華橋通り」、そして一番西側が「忠節橋通り」、電車通りである。

順不同で、そのときの写真を。

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【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・早田-西野町

上り電車は歩道橋の下から撮ったみたい。(← 記憶に無い)
クルマに被られるリスクが高いのに、わざわざ、下から撮ったのがなぜなのかは
いまとなっては知るよしも無い。

でも、なかなか(当時の自分としては)良い感じに撮れており。

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【2005年2月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・西野町-早田

下りは、この構図で撮っている。
そう、歩道橋から。ほとんど同じ立ち位置だろうか。

でも、手前で捉えており、後追いにはなっていないのが15年間の進歩か??

これを撮ってから、歩いた...と思う。

そして、向かった先は忠節駅だった。

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【2005年2月頃】 名鉄揖斐線(当時)・忠節駅

すでに1番ホーム(揖斐線電車の行き止まり式ホーム)に転線されており。

ちなみに、90年台までは揖斐線は鉄道線の高床式電車、岐阜市内線は路面電車用の
ステップを備えた電車で、忠節駅で乗換が基本だった。
そのうち、1時間に2~3本が直通急行として運転されており。

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【1991年10月22日】 名鉄揖斐線(当時)・旦ノ島-尻毛(後追い)

「電車の墓場」などと口さがない<鉄>から揶揄されていた、当時の揖斐線。
各線から車齢50年、60年を超える戦前製の電車が集結しており。

でも、だんだん、そんな味わい深い鉄道線専用の電車は淘汰が進められ。

末期には、この揖斐線ホームは事実上の使用中止になっていた。
改札口からの通路にはホーム入口のところにタイガーロープが渡されており。

ここで、この日のネガは終わって居た。

考えてみれば、尻毛でも北方でも...、揖斐線沿いの撮影地でモ510形を撮ろうと
思わなかったのだろうか!?

それに、モ510形以外の市内線電車を、この日の午後から継続して撮ろうと
思わなかったのか??

この日の<変態鉄>の行動には謎が残るのだった。

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【2005年春】 大糸線・南小谷-中土

同じネガ、忠節駅のコマの続きはコレだった。
岐阜の電車の最後の日は、現地に行くことはできず、東京で忙しい日々に忙殺
されている間に過ぎていって。

これ以降、<変態鉄>の興味の中心は国鉄型ディーゼル動車へと急速に変化して
いったのである。

ちなみに、写真の緑色のディーゼル動車、車番はキハ52 125号車。
そう、いすみ鉄道で再会することになる、あのキハのJRでの時代。

……  ……

91年7月に初めて撮って以来、約15年。

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【1991年4月頃】 名鉄岐阜市内線(当時)・新岐阜駅前電停

<変態鉄>の“原点”はこうして消えていったのだった。(おわり)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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