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15年前のモノサクにて。 [アナログ写真保存庫]

いま、当たり前のものも、いつかは当たり前で無い日が来るはず...
今日もコレを書き上げたら、会社に行かないといけない。たぶん、今日の夕方、
安倍ちゃんが記者会見して「緊急事態宣言」の延長を発表するのだろうが...

補償を求める声の高まり、経済活動の再開はどうなるのだろうか。
自分としては自宅勤務が長引くのは、悪くはないのだが。ただ、趣味活動が
行えないことだけが非常に残念で。1年の中でも<撮り鉄>に最高のシーズンを
棒に振ることになり...

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【2015年10月26日15時47分】 高松琴平電鉄琴平線・琴電琴平駅

そう、本当は今日もココにいるはずだったのである。

ケーキを食べているのは、ことでん...高松琴平電鉄のイルカ駅員“ことちゃん”の
奥様、ことみちゃんである。

23号車のお別れイベント...きっと大盛況だったはず。

ということで、今日は5月4日。

ゴーヨンの日である。

四国の鉄道シーン、魅力的なのは、ことでんだけというわけでは無い。

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90年台の「嵐電」を。<後編> [アナログ写真保存庫]

鉄道車輌の車体形状にも塗色にも流行廃りみたいなものがある。
戦前の“流線型”、戦後の“湘南顔”、塗色だってそう。“金太郎塗り”は
いまでは路面電車の旧型車に残るくらいだが、広い意味では国鉄80系電車もそう、
ディーゼル動車にも多く見られた塗り方である。

長らく一般的だったのが、上半・下半で塗り分けたツートンカラー。
これも、焦げ茶色塗り潰しだったものが鮮やかなカラーで塗られるようになった
昭和30年代前半から増え、ずっと一般的だった。

でも、この傾向もここ数年、大きな変化が見られる。
都市部の路線では、車体はアルミなどの銀色のままで屋根肩の部分に路線ごとの
ラインカラーのラインを入れるデザインが増殖中。これは駅のホームドア設置で
従来の車体腰部に入れていた帯の色が見えなくなることに伴うもの。
「見えにくい部分は塗り分けない」という合理的発想。

それと同時に“単色塗り潰し”がブームになりつつあるのは謎な流れ。
赤字がたまり、財政難に苦しんだ国鉄末期に登場した“首都圏色”がその走り
だったのだろうか。「塗料の在庫を減らす」とコスト削減効果を前面に打ち出した
のはJR西日本の“末期色”は、その流れが復活したもの。

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【2015年10月28日12時01分】 伊予鉄市内軌道線・西堀端電停付近

でも、なぜかその流れが路面電車にも普及してしまったのが、
<変態鉄>としては誠に遺憾なのである。

特に、それまで“落ち着いた上品な塗色”と多くの<鉄>から評価されてきた
塗色の事業者ほどビビッドなカラーで塗り潰そうとしており...
撮る側としてはイライラの連続なのである。

その<変態鉄>のイライラ度が最高に上がっているのが、愛媛県は松山市を走る
伊予鉄市内軌道線。でも、それと...

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90年台の「嵐電」を。<前編> [アナログ写真保存庫]

「自宅勤務」扱いになっている期間が長くなって。
当初、5月7日から通常勤務に戻る予定だった、<変態鉄>の勤務先。
やはり...というか、とりあえず、この形があと1ヶ月続くことが決定して。

「コレは、ホントに洒落にならない事態になってきたぞ...」
と、今さらながらに。

自宅での仕事はPCを使った作業が中心。その作業の傍らで、スキャナーを起動させ
古いネガの取り込み作業を並行して行っており。

90年台から2000年台前半の懐かしい記憶が、
時に断片的に、時に鮮やかに甦る...のである。

なお、

  ♪ あざやかに よみがえ~~る

と歌ったのは、ばんばんである。(「『いちご白書』をもう一度」より)

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【2014年9月2日12時27分】 京福電鉄嵐山本線・帷子ノ辻-太秦広隆寺(後追い)

今日は、そんなネガの中から高校1年生だった1993年、京都の京福電車“嵐電”を
訪れた時のものをご紹介したい。でも、その話題に入る前に。

12_1000nice.png

いつの間にか、「1,000 nice!」に到達しており。
皆さま、本当にありがとうございます。こんなマニアックな...しかも、何の役にも
立たない話ばかりのブログですが、多くの方に支えられて続けております。

例の事業譲渡の件で、このソネブロ独特の「nice!」もどうなるのか...
尤も、自分の方が皆さんのブログを“巡回”する余裕がない状況がずっと続いており
押してないのに、押していただいていて...
何だか申し訳ない限りなのですが...

さてさて...

では、27年前、1993年5月の「嵐電」を。

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「飯田線」なんて「言い出せん」!? <後編> [アナログ写真保存庫]

それにしても、ふざけたタイトルだが...

90年台、キーボードから「いいだせん」と入力すると、ほぼ間違いなく。
あと「つるみせん」とか「ただみせん」とかも無理だった。
「いいだせん」が「飯田線」と変換されることに時の流れを感じる<変態鉄>である。

そんな<変態鉄>が飯田線に撮りに通ったのは96年前後のしばらくの時期。

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【2013年4月14日11時08分】 しなの鉄道・戸倉-坂城

そのときに一番、撮りたかったのは「直流急行型電車」による快速列車。
基幹形式は「165系」、それに信越本線の碓氷峠通過対応の装備を付けたのが169系。
飯田線に乗り入れていたのは東日本・長野支社の編成だったから、その169系。
後に、JRで引退、しなの鉄道に移籍した。その最末期に撮りに通って、ようやく
20年越しに“納得の1枚”を収めることができた...のは前ブログでご紹介の通り。

90年台当時、飯田線で撮りたかったのは、その169系と
それからED62形電気機関車が牽引する貨物列車。
だから、その当時の<変態鉄>は豊橋口ではなく、長野県側で撮ることが多かった。

そんな写真の中から。たった一度だけ“七久保のカーブ”を訪れた時の...
ネガの前後のコマから考えて、たぶん、96年秋頃の撮影。

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「飯田線」なんて「言い出せん」!? <前編> [アナログ写真保存庫]

最近、全然、皆さんのブログを訪問できていない。
別に「緊急事態宣言」が出たからブログ巡回を自粛している...わけではない。
<変態鉄>の仕事、実は休業要請業種の中に名前が挙がっていた1つなのである。
だからといって、休みになる訳ではなく。その分のさまざまな対応に追われており、
公休日もなく連日、出社しているのである。土曜も朝早くから会議。

人通りも疎らな新宿の街で、あいかわらず仕事なのである。
まぁ、言いたいことはいろいろあるけれど...、でも。

まぁ、つまり普段以上に忙しくて、もう記事を書くだけでいっぱいいっぱい。
古い写真を探し出して。でも、それが、いつ、どこで、どうやって撮ったのか??
を調べる余裕もなく。テキトーに並べただけ...の、しょうもない記事を
アップし続けている、そんな<変態鉄>なのである。

昨日に続いて、あまり<変態鉄>らしくない、学生時代の写真から。

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【2009年8月23日19時36分】 飯田線・豊橋駅

昨日の記事でEOSくんのオートフォーカスの追従性の「進化」に驚いているという
ことを書いたが、そういえば、パソコンの日本語変換システム...
<変態鉄>は“IME”が嫌いで、昔から“ATOK”を愛用している。

この進化にも時折、驚かされる。「言い出せん」と言われてしまった頃の写真を。

飯田線は、豊橋駅と諏訪湖に近い辰野駅(長野県)を結ぶ長大ローカル線。
ちょっと変わり種だが、いわゆる買収国電。風光明媚な車窓とともに90年台は
車輌のラインナップが何とも言えなくて...

高校生から大学生にかけて、ちょっとハマっていた時代があって。

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秩父の地にSLを追った頃 [アナログ写真保存庫]

線路脇でカメラを構えていると、“観光鉄道”として定着しているローカル線でも
無い限り、通りかかった地元の方から、必ず受ける質問が...

「SLが来るんですか??」

一般の方からすれば、「<鉄>が居る」=「SL(蒸気機関車)が来る」という
図式ができあがっているみたい。でも、基本的にSLをあまり撮らない<変態鉄>...
とはいうものの、学生時代には、ちょっとの間だけ「正統派<鉄>」の真似事の
ようなことをしていたことがある。

ただ、どれだけ変態ぶりを隠していても、やはり、<変態野郎>はヘンなのである。
しばらくすると、いまに続く変態路線に復帰していくのだが...

高校生の頃、興味の対象は広がっていくのだが、とにかくおカネが無くて、どこも
行けないという日々が続いていた。

「東京近郊で魅力的な被写体は...!?」

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当時、毎月購読していた鉄道誌に秩父鉄道のSL列車「パレオエクスプレス」の
撮影地ガイドが載っていた。

池袋駅から西武線経由で現地入りすると、高校生のビンボー<鉄>でも往復の
交通費が出せそう...と。大学生になる頃まで、つまり、1994年頃から96年頃まで
何度かに渡って、なぜか同じ撮影地を訪れた。

記録もなければ、記憶も曖昧。そんな、どうしようもない撮影記。

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続・2007年8月、暑く熱い、土佐の地で。 [アナログ写真保存庫]

在宅で仕事ができる...ということになっていて、でも、実際には会社に行かないと
何もできないという自分。自宅で勤務するために各種の“設備投資”が必要で
まとまった出費ばかり続いた挙げ句、不慣れな業務が増えて、何もはかどらない。

というわけで、土日は会社に行っていたのである。
今回の「緊急事態宣言」で、むしろ、あちこち、出かけないといけない用事が増え
寝る時間もとれないような忙しさなのである。
ちなみに、うちの職場、昨日もほぼ皆さん揃っていた。やはり、自宅では無理。

そういうことで、ブログの方は滞り気味。

“ネタ切れ”というわけではないのだが、古い写真で記事を書くには、アレコレ
調べないといけないことがでてきて。ということで、今日は安直に。

昨日に続いて、2007年8月の「土電」の話題。
社名も変わり、長らく続いてきた車体塗色も変わり...
当時は、単なるショボい写真だったはずだが、13年経って貴重な記録に変わりつつある
そんなネタをご紹介したい。

今日の話題の前に。

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【2020年1月10日17時22分】 阪神電鉄神戸高速線・西元町駅

今年の“撮り初め”は阪堺電車、続いて、翌週に神戸を訪れて撮ったのが
山陽電車だったのである。正式には山陽電気鉄道株式会社。
一部では「山電(さんでん)」と略される。

そして、その起源は兵庫電気軌道と神戸姫路電気鉄道。
兵庫-明石間は路面電車に端を発する。そして...

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2007年8月、暑く熱い、土佐の地で。 [アナログ写真保存庫]

なかなか思ったように“出撃”できないので、古いネガを掘り起こした画像から。
<変態鉄>が、初めてデジカメを買ったのは2007年夏の棒茄子が出たとき。

“初代EOS 5D”だった。ただし、それまでのフィルムカメラとは使い方が違って。
最初は“CFカードって何??”という感じだった。だから、操作を覚えるまで
“出撃”には引き続き、フィルムカメラのEOSくんを帯同させることになり。

9月になって、ようやく、西武線の電車で試し撮り。この年の9月末に行われた
大糸線キハ52形3連運行が事実上の“初戦”となった。
そういうことで、フィルムカメラ最後の“出撃”となった2007年8月の四国。

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まだこの当時は少数ながら、松山と高知にキハ58系の配置が残っており、
そのキハたちが最大のお目当てだったのだが、土佐を走る路面電車も撮っていた。

その写真をご紹介したい。
実家に帰って自分の部屋の“大捜索”を行えば、詳細な日付も分かるのだろうが...
いま、なかなかそのチャンスが無いのである。

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