15年前のモノサクにて。 [アナログ写真保存庫]
いま、当たり前のものも、いつかは当たり前で無い日が来るはず...
今日もコレを書き上げたら、会社に行かないといけない。たぶん、今日の夕方、
安倍ちゃんが記者会見して「緊急事態宣言」の延長を発表するのだろうが...
補償を求める声の高まり、経済活動の再開はどうなるのだろうか。
自分としては自宅勤務が長引くのは、悪くはないのだが。ただ、趣味活動が
行えないことだけが非常に残念で。1年の中でも<撮り鉄>に最高のシーズンを
棒に振ることになり...
【2015年10月26日15時47分】 高松琴平電鉄琴平線・琴電琴平駅
そう、本当は今日もココにいるはずだったのである。
ケーキを食べているのは、ことでん...高松琴平電鉄のイルカ駅員“ことちゃん”の
奥様、ことみちゃんである。
23号車のお別れイベント...きっと大盛況だったはず。
ということで、今日は5月4日。
ゴーヨンの日である。
四国の鉄道シーン、魅力的なのは、ことでんだけというわけでは無い。
…… ……
ゴーヨンといえば、<鉄>にとっては???
箱形ボディのディーゼル機関車もいたような気がするが、何と言っても
キハ54形である。ある意味、“最後の国鉄型”。
【2015年10月26日15時47分】 土讃線・大歩危駅
「国鉄型」といえば、数百両とか1,000両以上の同系車がつくられ、
北海道から九州までに幅広く配置されるイメージだが、こちらは「国鉄型」でも...
すでに分割民営化が正式に決まっていて。その際に、やはり当初から話題になった
のが、いわゆる「三島会社」、いやいや、“新幹線で熱海の次”とか言っては
いけない。ミシマではなくサントウである。
旅客鉄道会社をエリア別に6つにした場合、北海道、四国、九州の「島」の会社は
経営基盤が厳しくなりそう...ということで。
(30年後、北海道はかなり大変な状況、四国も苦戦が目立っている。九州は...)
そんな民営化後の経営状態に不安があった各社に対して、国鉄の“解体前夜”に
取り急ぎ、老朽化したローカル用ディーゼル動車の置換え用として導入された、
いわば、国鉄の“置き土産”的な形式の1つがキハ54形なのである。
だから、配置は四国と北海道。
四国車はキハ54形0番台、北海道車が500番台に区別される点などは国鉄型らしさ。
他形式でも“北海道耐寒耐雪仕様”に500番台の番号を割り振る例はあって。
【1996年9月】 石北本線・網走駅
メンテナンスが容易なステンレス車体も、分割民営化が決まっていたからこそ。
諸説あるが、ステンレス車体は普通鋼製と違って塗装工程が不要なため、
労使間で揉める原因となり、私鉄では進んでいても、国鉄ではなかなか難しかった
のだとか。国鉄末期まで、あまり導入例が無かった。
両運転台車はディーゼル動車ではフツーであっても、客扉を運転台ヨコ...
つまり車両の両端に持ってきたのは内地では意外と珍しく。
これも国鉄時代には実現しなかったワンマン運転を、民営化後には早晩、行うことに
なることが考えられたための構造だと言われている。
実際、ほどなく北海道も四国もワンマン化されている。
四国車は高知方面を中心にもうしばらく走りそうだが、北海道車はまもなく使命を
終えそうなのだとか...
自分は、何度か乗ることはあったが、それほど楽しみにしていた形式でも無く。
だから、あまり写真も撮っていない車両である。
…… ……
さて、今日の話題。
2004年暮れか2005年1月...たぶん、“青春18きっぷ”の“消化試合”だと思うが...
当時、少しだけフツーの、真っ当な<鉄>になろうと志したことがあったみたい。
なぜか朝早く起きて“モノサク”に向かっている。
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
日付も記憶に無いようないい加減な話だが、でも、ネガを見ているとだんだん
記憶が甦ってくるもので。
この日は、大して珍しい列車も無かったが“モノサク”には“同業者さん”が数名。
だから撮影地を見つけるのには苦労しなかった記憶がある。
さて、この“モノサク”というのは関東の<鉄>には当たり前過ぎるような
そんな撮影ポイント。総武本線の物井と佐倉の間にあるので“モノサク”。
確か物井駅から歩いたような記憶がある。
ということで、東京-銚子間(総武本線まわり)を結ぶ特急「しおさい」号。
総武本線の特急電車といえばNEX以外は、ほぼ183系が来るとみて間違いなかった
そんな時代である。正面貫通式の、たぶん千葉生え抜きの編成である。
天気が良くなかったのか、思いっきり露出アンダーになっているが...
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
そして普通電車は、これまた当たり前に113系が来た。この“スカ色”も当然!!
ちょっと注目は電車の屋根上。車体中央付近に大きなカマボコ状の塊が載っている。
クーラーの...いわば室外機である。
集中型冷房装置が載っているのが、113系の“本来の姿”。
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
寒い時期だったのは間違いないのに、この日、<変態鉄>は結構長い時間、ここに
佇んでいたみたい。次の「しおさい」号も撮っている。
「何だよ~、どうせ同じイッパーサンじゃねぇ~か!!」
と、怒ることなかれ。2枚上の最初の「しおさい」号と比べて欲しい。
同じ183系でもコチラは正面非貫通。整った顔立ちで<変態鉄>はこちらの方が
好きだった。
それだけではない。
車体側面。クリーム色と臙脂色の“国鉄特急色”は変わらないのだが、こちらは
窓上部の赤い部分が妙に間延びした感じで広く見えるのである。
これは90年台まで長野支社にいた車両ということ。分割民営化直後から90年台まで
“ハイデッカー構造”というのが流行った。床面を数センチ嵩上げして同時に
窓サイズを上方向に拡張すると窓が大きくて眺めが良くなる...と。
それを列車の愛称として“ワイドビュー”などと付ける会社も出てきたが、
座席部と通路部に段差が生じるので、最近のバリアフリーの流れに対応できず、
見られなくなった。長野支社では、183・189系を90年代初頭に積極的にハイデッカー
構造に改造した名残で、窓が高くなっている車両があって、その関係で赤い部分が
広がっているのである。房総では過渡期的な姿だったかも...
そして...
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
いま、ネガを見返して、<変態鉄>がコーフンしていたのがコレ。
やはり113系ローカルだが、屋根上のクーラーがゴチャゴチャ感があって。
国鉄時代から行われてきた集中型クーラーによる冷房化は、改造に当たって
屋根の構造を大幅に弄るため、工期が延びてコストもかかる。
そのため、JRでは国鉄から引き継いだ非冷房の通勤・近郊型に対して、
独自改造の「簡易冷改車」を登場させた。車体の両端に冷房装置が鎮座するような
感じになって。このゴチャゴチャ感が堪らなく好きだった。
当時、<模型鉄>にも手を出していて、たしか、このタイプの冷房装置のパーツを
買った覚えがあるのだが...
もうちょっとマニアックなことを言っておくと、このタイプは「窓隅R付き車」。
座るとシートピッチが狭いのだが、非ユニットサッシ車が好きなのが<変態鉄>
である。
最後は...
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
もしかしたら、これが“お目当て”だったのかも。
鹿島線経由の特急「あやめ」号である。房総も総武も高速バスに“惨敗”で。
房総・北総地区自体があまり景気が良いエリアで無くなったこと、マイカーと
高速バスが主流になって旅客が流れたことで、千葉支社の特急電車も退潮傾向に
あった時期。この183系「あやめ」号もまもなく見られなくなった。
「メモが残っていない」と安倍ちゃんみたいな事を言いながら、なぜ、これが
2004年-2005年冬シーズンの“青春18きっぷ”だろうと分かったのか!?
その根拠は同じネガにあった。1枚目は...
【2005年1月頃】 外房線・撮影地不詳
モノサクのカットに続くのがコレだった。
つまり、朝、モノサクで撮ってから房総半島を1周したみたい。
外房特急「わかしお」号も183系が当たり前だった。
それから...
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・競輪場前電停
このネガの最後にあったのが、このカット。
そう、岐阜の路面電車の電停である。競輪場前電停の標識に掲示されていたのは
その全廃の告知だった。知っては居たが、岐阜に着いて、コレを撮ったときは
やはり寂しかった。この瞬間はよく覚えている。
...と...
「中途半端に懐かしい」、15年前の総武本線の朝の様子を。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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今日もコレを書き上げたら、会社に行かないといけない。たぶん、今日の夕方、
安倍ちゃんが記者会見して「緊急事態宣言」の延長を発表するのだろうが...
補償を求める声の高まり、経済活動の再開はどうなるのだろうか。
自分としては自宅勤務が長引くのは、悪くはないのだが。ただ、趣味活動が
行えないことだけが非常に残念で。1年の中でも<撮り鉄>に最高のシーズンを
棒に振ることになり...
【2015年10月26日15時47分】 高松琴平電鉄琴平線・琴電琴平駅
そう、本当は今日もココにいるはずだったのである。
ケーキを食べているのは、ことでん...高松琴平電鉄のイルカ駅員“ことちゃん”の
奥様、ことみちゃんである。
23号車のお別れイベント...きっと大盛況だったはず。
ということで、今日は5月4日。
ゴーヨンの日である。
四国の鉄道シーン、魅力的なのは、ことでんだけというわけでは無い。
…… ……
ゴーヨンといえば、<鉄>にとっては???
箱形ボディのディーゼル機関車もいたような気がするが、何と言っても
キハ54形である。ある意味、“最後の国鉄型”。
【2015年10月26日15時47分】 土讃線・大歩危駅
「国鉄型」といえば、数百両とか1,000両以上の同系車がつくられ、
北海道から九州までに幅広く配置されるイメージだが、こちらは「国鉄型」でも...
すでに分割民営化が正式に決まっていて。その際に、やはり当初から話題になった
のが、いわゆる「三島会社」、いやいや、“新幹線で熱海の次”とか言っては
いけない。ミシマではなくサントウである。
旅客鉄道会社をエリア別に6つにした場合、北海道、四国、九州の「島」の会社は
経営基盤が厳しくなりそう...ということで。
(30年後、北海道はかなり大変な状況、四国も苦戦が目立っている。九州は...)
そんな民営化後の経営状態に不安があった各社に対して、国鉄の“解体前夜”に
取り急ぎ、老朽化したローカル用ディーゼル動車の置換え用として導入された、
いわば、国鉄の“置き土産”的な形式の1つがキハ54形なのである。
だから、配置は四国と北海道。
四国車はキハ54形0番台、北海道車が500番台に区別される点などは国鉄型らしさ。
他形式でも“北海道耐寒耐雪仕様”に500番台の番号を割り振る例はあって。
【1996年9月】 石北本線・網走駅
メンテナンスが容易なステンレス車体も、分割民営化が決まっていたからこそ。
諸説あるが、ステンレス車体は普通鋼製と違って塗装工程が不要なため、
労使間で揉める原因となり、私鉄では進んでいても、国鉄ではなかなか難しかった
のだとか。国鉄末期まで、あまり導入例が無かった。
両運転台車はディーゼル動車ではフツーであっても、客扉を運転台ヨコ...
つまり車両の両端に持ってきたのは内地では意外と珍しく。
これも国鉄時代には実現しなかったワンマン運転を、民営化後には早晩、行うことに
なることが考えられたための構造だと言われている。
実際、ほどなく北海道も四国もワンマン化されている。
四国車は高知方面を中心にもうしばらく走りそうだが、北海道車はまもなく使命を
終えそうなのだとか...
自分は、何度か乗ることはあったが、それほど楽しみにしていた形式でも無く。
だから、あまり写真も撮っていない車両である。
…… ……
さて、今日の話題。
2004年暮れか2005年1月...たぶん、“青春18きっぷ”の“消化試合”だと思うが...
当時、少しだけフツーの、真っ当な<鉄>になろうと志したことがあったみたい。
なぜか朝早く起きて“モノサク”に向かっている。
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
日付も記憶に無いようないい加減な話だが、でも、ネガを見ているとだんだん
記憶が甦ってくるもので。
この日は、大して珍しい列車も無かったが“モノサク”には“同業者さん”が数名。
だから撮影地を見つけるのには苦労しなかった記憶がある。
さて、この“モノサク”というのは関東の<鉄>には当たり前過ぎるような
そんな撮影ポイント。総武本線の物井と佐倉の間にあるので“モノサク”。
確か物井駅から歩いたような記憶がある。
ということで、東京-銚子間(総武本線まわり)を結ぶ特急「しおさい」号。
総武本線の特急電車といえばNEX以外は、ほぼ183系が来るとみて間違いなかった
そんな時代である。正面貫通式の、たぶん千葉生え抜きの編成である。
天気が良くなかったのか、思いっきり露出アンダーになっているが...
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
そして普通電車は、これまた当たり前に113系が来た。この“スカ色”も当然!!
ちょっと注目は電車の屋根上。車体中央付近に大きなカマボコ状の塊が載っている。
クーラーの...いわば室外機である。
集中型冷房装置が載っているのが、113系の“本来の姿”。
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
寒い時期だったのは間違いないのに、この日、<変態鉄>は結構長い時間、ここに
佇んでいたみたい。次の「しおさい」号も撮っている。
「何だよ~、どうせ同じイッパーサンじゃねぇ~か!!」
と、怒ることなかれ。2枚上の最初の「しおさい」号と比べて欲しい。
同じ183系でもコチラは正面非貫通。整った顔立ちで<変態鉄>はこちらの方が
好きだった。
それだけではない。
車体側面。クリーム色と臙脂色の“国鉄特急色”は変わらないのだが、こちらは
窓上部の赤い部分が妙に間延びした感じで広く見えるのである。
これは90年台まで長野支社にいた車両ということ。分割民営化直後から90年台まで
“ハイデッカー構造”というのが流行った。床面を数センチ嵩上げして同時に
窓サイズを上方向に拡張すると窓が大きくて眺めが良くなる...と。
それを列車の愛称として“ワイドビュー”などと付ける会社も出てきたが、
座席部と通路部に段差が生じるので、最近のバリアフリーの流れに対応できず、
見られなくなった。長野支社では、183・189系を90年代初頭に積極的にハイデッカー
構造に改造した名残で、窓が高くなっている車両があって、その関係で赤い部分が
広がっているのである。房総では過渡期的な姿だったかも...
そして...
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
いま、ネガを見返して、<変態鉄>がコーフンしていたのがコレ。
やはり113系ローカルだが、屋根上のクーラーがゴチャゴチャ感があって。
国鉄時代から行われてきた集中型クーラーによる冷房化は、改造に当たって
屋根の構造を大幅に弄るため、工期が延びてコストもかかる。
そのため、JRでは国鉄から引き継いだ非冷房の通勤・近郊型に対して、
独自改造の「簡易冷改車」を登場させた。車体の両端に冷房装置が鎮座するような
感じになって。このゴチャゴチャ感が堪らなく好きだった。
当時、<模型鉄>にも手を出していて、たしか、このタイプの冷房装置のパーツを
買った覚えがあるのだが...
もうちょっとマニアックなことを言っておくと、このタイプは「窓隅R付き車」。
座るとシートピッチが狭いのだが、非ユニットサッシ車が好きなのが<変態鉄>
である。
最後は...
【2005年1月頃】 総武本線・物井-佐倉
もしかしたら、これが“お目当て”だったのかも。
鹿島線経由の特急「あやめ」号である。房総も総武も高速バスに“惨敗”で。
房総・北総地区自体があまり景気が良いエリアで無くなったこと、マイカーと
高速バスが主流になって旅客が流れたことで、千葉支社の特急電車も退潮傾向に
あった時期。この183系「あやめ」号もまもなく見られなくなった。
「メモが残っていない」と安倍ちゃんみたいな事を言いながら、なぜ、これが
2004年-2005年冬シーズンの“青春18きっぷ”だろうと分かったのか!?
その根拠は同じネガにあった。1枚目は...
【2005年1月頃】 外房線・撮影地不詳
モノサクのカットに続くのがコレだった。
つまり、朝、モノサクで撮ってから房総半島を1周したみたい。
外房特急「わかしお」号も183系が当たり前だった。
それから...
【2005年2月頃】 名鉄美濃町線・競輪場前電停
このネガの最後にあったのが、このカット。
そう、岐阜の路面電車の電停である。競輪場前電停の標識に掲示されていたのは
その全廃の告知だった。知っては居たが、岐阜に着いて、コレを撮ったときは
やはり寂しかった。この瞬間はよく覚えている。
...と...
「中途半端に懐かしい」、15年前の総武本線の朝の様子を。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
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