「飯田線」なんて「言い出せん」!? <前編> [アナログ写真保存庫]
最近、全然、皆さんのブログを訪問できていない。
別に「緊急事態宣言」が出たからブログ巡回を自粛している...わけではない。
<変態鉄>の仕事、実は休業要請業種の中に名前が挙がっていた1つなのである。
だからといって、休みになる訳ではなく。その分のさまざまな対応に追われており、
公休日もなく連日、出社しているのである。土曜も朝早くから会議。
人通りも疎らな新宿の街で、あいかわらず仕事なのである。
まぁ、言いたいことはいろいろあるけれど...、でも。
まぁ、つまり普段以上に忙しくて、もう記事を書くだけでいっぱいいっぱい。
古い写真を探し出して。でも、それが、いつ、どこで、どうやって撮ったのか??
を調べる余裕もなく。テキトーに並べただけ...の、しょうもない記事を
アップし続けている、そんな<変態鉄>なのである。
昨日に続いて、あまり<変態鉄>らしくない、学生時代の写真から。
【2009年8月23日19時36分】 飯田線・豊橋駅
昨日の記事でEOSくんのオートフォーカスの追従性の「進化」に驚いているという
ことを書いたが、そういえば、パソコンの日本語変換システム...
<変態鉄>は“IME”が嫌いで、昔から“ATOK”を愛用している。
この進化にも時折、驚かされる。「言い出せん」と言われてしまった頃の写真を。
飯田線は、豊橋駅と諏訪湖に近い辰野駅(長野県)を結ぶ長大ローカル線。
ちょっと変わり種だが、いわゆる買収国電。風光明媚な車窓とともに90年台は
車輌のラインナップが何とも言えなくて...
高校生から大学生にかけて、ちょっとハマっていた時代があって。
…… ……
あの岐阜の頃。生まれて初めて「大垣夜行」というのを経験したのである。
1991年頃の話、当時は下り375M、上り372Mという名も無い普通電車だった。
【1991年頃】 東海道本線・東京駅
初めて乗ったとき。まだ「急行型電車」などというものを知らなかった<ガキ鉄>。
てっきり、他の普通電車と同じ湘南色の113系がくるものとばかりに思っていたら...
2扉デッキ付き、ズラッと4人掛けボックスシートが並んだ電車が入ってきて。
オデコのところが全部オレンジ色なのが、近郊型電車との違い。
この「165系直流急行型電車」というのに、すっかり魅せられてしまった。
急行型とはいえ、すでに急行としての運用は数えるほどになっていた。
大垣夜行は、実は静岡所の165系11両編成。中間にはグリーン車を組み込んだ
急行型電車の最後の輝き...だった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
廃止は96年、その急行「東海」号に<葬式鉄>で乗りに行ったときの車内放送。
カセットテープで録音したので、音質は酷いものだが、前のブログのときに
ご紹介した。自分と同じ<車内放送マニア>の方の目にとまるのを期待して一応。
(音質がかなり悪い点はご了承下さい)
「急流・天竜川に沿った美しい車窓」ではなく「直流急行型電車が残る路線」
ということで撮りに訪れたのは96年、大学生になった頃。
鉄道誌で見つけた撮影地、どこの駅だったかも思い出せないのだが...
歩道橋のようなところからプチ俯瞰で。
こうして改めてみてみれば、スッキリした感じの好撮影地である。
当時の飯田線は、119系電車が「当たり前の存在」だった。
白地にオレンジと緑帯の「東海色」も上品な感じの落ち着いた車体塗色。
でも...
当時は、それくらいしか思わなかったのだが、四半世紀ぶりに見直してみれば
この119系、屋根上のクーラーが103系などで見られた集中型クーラー
(「AU75」だったっけ???)
ということは...
もしかしたら、これは貴重な「するがシャトル」編成だったのかも。
当時は単なる試し撮りに過ぎなかったのだが...
そして、お目当てはこの編成。
国鉄末期まで飯田線には、中央本線からの直通の急行列車の設定があって。
もちろん、165系をはじめとした直流急行型電車の運用。
高速バスとの争いに完膚なきまでに敗れた国鉄の急行列車、快速に格下げになって。
快速「みすず」の名前で長野から乗り入れてきていた。
(長野-飯田間だったような気がする...)
JR東海に属する飯田線だが、JR東日本・長野所の169系が快速列車として
乗り入れており。
3両が基本単位の直流急行型電車、でも、この長野所の編成はサハ165形という
付随車を挟んで4両編成になっており。ちなみに、この169系編成が中間サハを
抜いた3両で、後年、しなの鉄道に転じたのである。
「直流急行型を撮りたい」の一心で訪れた<変態ガキ鉄>、大満足で引き上げたら...
「ええええ~~~~~~~~っ」
駅の近くまで戻ってきて。あのときのショックは、いまも忘れない。
169系の快速に続いてやって来たのは、ぬぁんと...
これまた飯田線にしか走っていなかったED62型電気機関車の牽く貨物列車。
こんな中途半端な写真だけで...
う~ん、これで終わるわけにはいかない。
169系を撮りに行ったはずが、「貨物が、寸でのところで撮れなくてショック」と
今度はED62牽引の貨物列車が撮りたい...と。
リベンジの機会を窺うことになったのである。
幸い、96年中だっただろうか?
次の訪問時に元善光寺駅で待ち構えて、このシーンを撮ることができたのである。
でも、やっぱり... (つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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別に「緊急事態宣言」が出たからブログ巡回を自粛している...わけではない。
<変態鉄>の仕事、実は休業要請業種の中に名前が挙がっていた1つなのである。
だからといって、休みになる訳ではなく。その分のさまざまな対応に追われており、
公休日もなく連日、出社しているのである。土曜も朝早くから会議。
人通りも疎らな新宿の街で、あいかわらず仕事なのである。
まぁ、言いたいことはいろいろあるけれど...、でも。
まぁ、つまり普段以上に忙しくて、もう記事を書くだけでいっぱいいっぱい。
古い写真を探し出して。でも、それが、いつ、どこで、どうやって撮ったのか??
を調べる余裕もなく。テキトーに並べただけ...の、しょうもない記事を
アップし続けている、そんな<変態鉄>なのである。
昨日に続いて、あまり<変態鉄>らしくない、学生時代の写真から。
【2009年8月23日19時36分】 飯田線・豊橋駅
昨日の記事でEOSくんのオートフォーカスの追従性の「進化」に驚いているという
ことを書いたが、そういえば、パソコンの日本語変換システム...
<変態鉄>は“IME”が嫌いで、昔から“ATOK”を愛用している。
この進化にも時折、驚かされる。「言い出せん」と言われてしまった頃の写真を。
飯田線は、豊橋駅と諏訪湖に近い辰野駅(長野県)を結ぶ長大ローカル線。
ちょっと変わり種だが、いわゆる買収国電。風光明媚な車窓とともに90年台は
車輌のラインナップが何とも言えなくて...
高校生から大学生にかけて、ちょっとハマっていた時代があって。
…… ……
あの岐阜の頃。生まれて初めて「大垣夜行」というのを経験したのである。
1991年頃の話、当時は下り375M、上り372Mという名も無い普通電車だった。
【1991年頃】 東海道本線・東京駅
初めて乗ったとき。まだ「急行型電車」などというものを知らなかった<ガキ鉄>。
てっきり、他の普通電車と同じ湘南色の113系がくるものとばかりに思っていたら...
2扉デッキ付き、ズラッと4人掛けボックスシートが並んだ電車が入ってきて。
オデコのところが全部オレンジ色なのが、近郊型電車との違い。
この「165系直流急行型電車」というのに、すっかり魅せられてしまった。
急行型とはいえ、すでに急行としての運用は数えるほどになっていた。
大垣夜行は、実は静岡所の165系11両編成。中間にはグリーン車を組み込んだ
急行型電車の最後の輝き...だった。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
廃止は96年、その急行「東海」号に<葬式鉄>で乗りに行ったときの車内放送。
カセットテープで録音したので、音質は酷いものだが、前のブログのときに
ご紹介した。自分と同じ<車内放送マニア>の方の目にとまるのを期待して一応。
(音質がかなり悪い点はご了承下さい)
「急流・天竜川に沿った美しい車窓」ではなく「直流急行型電車が残る路線」
ということで撮りに訪れたのは96年、大学生になった頃。
鉄道誌で見つけた撮影地、どこの駅だったかも思い出せないのだが...
歩道橋のようなところからプチ俯瞰で。
こうして改めてみてみれば、スッキリした感じの好撮影地である。
当時の飯田線は、119系電車が「当たり前の存在」だった。
白地にオレンジと緑帯の「東海色」も上品な感じの落ち着いた車体塗色。
でも...
当時は、それくらいしか思わなかったのだが、四半世紀ぶりに見直してみれば
この119系、屋根上のクーラーが103系などで見られた集中型クーラー
(「AU75」だったっけ???)
ということは...
もしかしたら、これは貴重な「するがシャトル」編成だったのかも。
当時は単なる試し撮りに過ぎなかったのだが...
そして、お目当てはこの編成。
国鉄末期まで飯田線には、中央本線からの直通の急行列車の設定があって。
もちろん、165系をはじめとした直流急行型電車の運用。
高速バスとの争いに完膚なきまでに敗れた国鉄の急行列車、快速に格下げになって。
快速「みすず」の名前で長野から乗り入れてきていた。
(長野-飯田間だったような気がする...)
JR東海に属する飯田線だが、JR東日本・長野所の169系が快速列車として
乗り入れており。
3両が基本単位の直流急行型電車、でも、この長野所の編成はサハ165形という
付随車を挟んで4両編成になっており。ちなみに、この169系編成が中間サハを
抜いた3両で、後年、しなの鉄道に転じたのである。
「直流急行型を撮りたい」の一心で訪れた<変態ガキ鉄>、大満足で引き上げたら...
「ええええ~~~~~~~~っ」
駅の近くまで戻ってきて。あのときのショックは、いまも忘れない。
169系の快速に続いてやって来たのは、ぬぁんと...
これまた飯田線にしか走っていなかったED62型電気機関車の牽く貨物列車。
こんな中途半端な写真だけで...
う~ん、これで終わるわけにはいかない。
169系を撮りに行ったはずが、「貨物が、寸でのところで撮れなくてショック」と
今度はED62牽引の貨物列車が撮りたい...と。
リベンジの機会を窺うことになったのである。
幸い、96年中だっただろうか?
次の訪問時に元善光寺駅で待ち構えて、このシーンを撮ることができたのである。
でも、やっぱり... (つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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