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「飯田線」なんて「言い出せん」!? <後編> [アナログ写真保存庫]

それにしても、ふざけたタイトルだが...

90年台、キーボードから「いいだせん」と入力すると、ほぼ間違いなく。
あと「つるみせん」とか「ただみせん」とかも無理だった。
「いいだせん」が「飯田線」と変換されることに時の流れを感じる<変態鉄>である。

そんな<変態鉄>が飯田線に撮りに通ったのは96年前後のしばらくの時期。

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【2013年4月14日11時08分】 しなの鉄道・戸倉-坂城

そのときに一番、撮りたかったのは「直流急行型電車」による快速列車。
基幹形式は「165系」、それに信越本線の碓氷峠通過対応の装備を付けたのが169系。
飯田線に乗り入れていたのは東日本・長野支社の編成だったから、その169系。
後に、JRで引退、しなの鉄道に移籍した。その最末期に撮りに通って、ようやく
20年越しに“納得の1枚”を収めることができた...のは前ブログでご紹介の通り。

90年台当時、飯田線で撮りたかったのは、その169系と
それからED62形電気機関車が牽引する貨物列車。
だから、その当時の<変態鉄>は豊橋口ではなく、長野県側で撮ることが多かった。

そんな写真の中から。たった一度だけ“七久保のカーブ”を訪れた時の...
ネガの前後のコマから考えて、たぶん、96年秋頃の撮影。

……  ……

信州の山々をバックに飯田線をゆく列車を撮れる有名撮影地が「七久保のカーブ」、

でも、そんなこと知ることなく、生まれて初めてここを通過したのは91年夏休み。
そう、ちょうど岐阜の路面電車で<撮り鉄>デビューを果たした翌月である。
これまた、生まれて初めて手にした「青春18きっぷ」で“上諏訪夜行”から
乗り継いだ飯田線を下って豊橋経由で岐阜に向かったとき。

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【1991年8月11日】 飯田線・中部天竜駅

駅撮りのスナップながら、いろいろ残っている。

中学2年生の<変態ガキ鉄>。まだネガカラーで撮っていた頃。
現像代は中学生のガキには高くて。1コマ1コマ、ケチケチしながら撮っていた時代。
でも、こんなカットを残しているあたり、この当時から<変態野郎>の素質は
開花し始めていたのかも知れない。

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【1991年8月11日】 飯田線・中部天竜駅

まだ日本経済も順調だった頃。分割民営化直後のJR各社...国鉄から承継した
古い車輌が中心ながらも、各社競い合うように意欲的なイベント列車を設定して
“脱国鉄”を進めていた。

12系客車と無蓋貨車改造の“トロッコ車”を併結した「トロッコファミリー」号が
中部天竜駅に到着。それにしても、12系客車にカメラを向けているのは...

ちなみに、よ~~く、目を凝らせば先頭には青いEF58電気機関車。
つまり、青色時代の157号機である。そちらには、全く目を向けなかった<変態鉄>。

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【1991年8月11日】 飯田線・中部天竜駅

そして、乗り込んだのはこの電車だった。
「クモハ12形」というのは鶴見線に残っていた旧型国電と同じ。
でも、全然外観も違って...、不自然なまでの“改造顔”が何だか許せなかった。

でも、“吊り掛け電車”の渋さに気づくには当時の<変態鉄>は幼すぎた。
「冷房がない暑苦しい電車」という印象しか残っていない。

それから数年。車輌の老朽化もあって、そうした色とりどりのイベント列車も
だいぶ整理されて...

中学生だった<変態ガキ鉄>も大学に入って...

1996年秋のある日。「169系の快速列車を撮りたい」という一心で。
ネット検索など一般的で無かった当時、鉄道雑誌のバックナンバーを漁って
見つけた撮影地ガイドが、ここ“七久保のカーブ”だった。

ネガのコマを節約するため、往復の経路など撮ることは絶対になかった。
撮影地に着くまではカメラを出すこともなく。たぶん、新宿駅を日付が変わる頃に
発つ中央線の夜行列車に揺られての出発だったはず。

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【1996年頃】 飯田線・飯田駅

当時の飯田線電車は基本的に119系。飯田線専用車として国鉄末期に製造された
電車だった。分割民営化前後には静岡地区のサービス向上の一環で静岡所で
東海道線ローカルに充当されたグループもあったが、
当時は、それらも飯田線に復帰、冷房化改造も一段落していた時期。

まだワンマン化は行われず、私鉄買収の短い駅間。ドア扱いを運転士に任せて
車掌さんは車内改札に専念する...という独特の形態がとられていた時代。
車掌さんは客室に居て乗務員室に戻らないので、車内放送も、まとめて数駅分
アナウンスされる独自のスタイルだった。

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【1996年頃】 飯田線・七久保-伊那本郷

さて、翌朝、念願の“七久保のカーブ”に立って。

時系列がしっかりとは掴めないのだが...
たぶん、最初のカットが。僅かなながら湘南色の115系電車の運用もあった。
国鉄時代の急行列車の名残で、JR東日本長野支社の169系がJR東海の飯田線に
乗り入れていた代わりに、その“お返し”で静岡所の115系も快速列車として
松本・長野への乗り入れ運用があり。
たぶん、車輌賃貸借料の精算のために組まれていた運用だと思うのだが...

飯田線で115系を撮れるのも意外と珍しかった。
尤も、当時の<変態鉄>は、「なぜ、この快速だけ169系じゃないんだ!!」と
憤っていたのだが...

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【1996年頃】 飯田線・七久保-伊那本郷

119系のローカル列車は比較的頻繁に設定されていて。
それにしても、背後の山々には雲がかかっていて。

だんだん列車の正面に光が回らない時間帯に入ってきたみたい。
どう考えても、このポイントで撮る理由は失われているはずだが...

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【1996年頃】 飯田線・七久保-伊那本郷

ギリギリ、機関車の“顔”が見える時間帯にED62型電気機関車が牽く貨物列車。
タンク車4両という短編成もなかなか渋いのである。

そして、いよいよ...

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【1996年頃】 飯田線・七久保-伊那本郷

それにしても残念な1枚である。
背後の山々は雲に覆われており。

これだけ電車の“顔”が真っ黒に写っているということは、光線状態はかなり
悪かったと思われる。

そして、写真奥には踏切が写っている。
あの付近から正面がちに撮れば、169系の“顔”がキレイな形で記録できたはず。

JR東日本管内は各所に波動輸送用として多数が残っていた165・167・169系といった
直流急行型電車たちも、2000年が近づくと徐々に運用が減って引退していくものが
増えてきて。

「何とか“納得の1枚”を...」
その思いで、アレコレ、撮ってはみたのだが...

そう、ギリギリセーフで間に合ったのは、しなの鉄道に転じていた169系たちの
引退間近のシーンだけだったのである。

ということで、<変態鉄>の若かりし頃の失敗写真の話題で。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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