90年台の「嵐電」を。<後編> [アナログ写真保存庫]
鉄道車輌の車体形状にも塗色にも流行廃りみたいなものがある。
戦前の“流線型”、戦後の“湘南顔”、塗色だってそう。“金太郎塗り”は
いまでは路面電車の旧型車に残るくらいだが、広い意味では国鉄80系電車もそう、
ディーゼル動車にも多く見られた塗り方である。
長らく一般的だったのが、上半・下半で塗り分けたツートンカラー。
これも、焦げ茶色塗り潰しだったものが鮮やかなカラーで塗られるようになった
昭和30年代前半から増え、ずっと一般的だった。
でも、この傾向もここ数年、大きな変化が見られる。
都市部の路線では、車体はアルミなどの銀色のままで屋根肩の部分に路線ごとの
ラインカラーのラインを入れるデザインが増殖中。これは駅のホームドア設置で
従来の車体腰部に入れていた帯の色が見えなくなることに伴うもの。
「見えにくい部分は塗り分けない」という合理的発想。
それと同時に“単色塗り潰し”がブームになりつつあるのは謎な流れ。
赤字がたまり、財政難に苦しんだ国鉄末期に登場した“首都圏色”がその走り
だったのだろうか。「塗料の在庫を減らす」とコスト削減効果を前面に打ち出した
のはJR西日本の“末期色”は、その流れが復活したもの。
【2015年10月28日12時01分】 伊予鉄市内軌道線・西堀端電停付近
でも、なぜかその流れが路面電車にも普及してしまったのが、
<変態鉄>としては誠に遺憾なのである。
特に、それまで“落ち着いた上品な塗色”と多くの<鉄>から評価されてきた
塗色の事業者ほどビビッドなカラーで塗り潰そうとしており...
撮る側としてはイライラの連続なのである。
その<変態鉄>のイライラ度が最高に上がっているのが、愛媛県は松山市を走る
伊予鉄市内軌道線。でも、それと...
…… ……
伊予鉄が運行する松山市内の路面電車。
【2015年10月28日16時44分】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
窓周りにみかん色を入れたこのツートンカラー。
ここは車体広告車も導入せず、長い間、全部の車輌がこのカラーリングだった。
郊外電車も同じ塗り分けだった(最近は井の頭線から移籍したステンレス車主体)が
それが...
冒頭にあるオレンジ色塗り潰しになってしまって。
まぁ、こちらは電車もバスも。バスタ新宿まで乗り入れてくる高速夜行バスは
昼間は永福町の京王バスの車庫に居るのだが、その車両も冒頭の、あのカラー。
バスも電車も徹底してオレンジ色で塗り潰す...という、これまた一貫性があり。
そして、「嵐電」。
【2014年9月2日12時02分】 京福電鉄北野線・御室仁和寺駅
ダークグリーンの落ち着いた塗色は京都の街によく似合っていると思っていたが...
「京紫色」の塗り潰し塗色に変更が進められて。
レトロ調の焦げ茶色、あとは数台のイベント塗装車を除いて、いつの間にか
京紫色に席巻されてしまって。
何でも創業100周年を記念して、専門家に依頼して決めてもらったのだとか...
ひとりの<鉄>として、まことに遺憾なのである。
そろそろ「110周年記念で昔の塗色に戻してみます」くらい、言ってくれないか??
そんなことを期待している。
さて、その嵐電。
1993年に訪れた時には、まだ旧型電車が多く残っていた。
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・西大路三条-山ノ内
このタイプの車両が一番、撮りたかったのだが(うまく撮れていない)。
さて、この写真にある車両、よ~く見て欲しい。
嵐電も路面電車。普段は1両で走っているが、土休日などを中心に2連で走る機会も
多く、路面電車でありながら連結器を備えている。
かつては、高知やそれから阪堺など、路面電車タイプの電車が連結運転するのは
フツーに見られた光景らしいが、それがいまも残っているのが「嵐電」。
単行運転可能が原則の路面電車を2両繋いだなら、走行システム上は1両ずつで
完結するわけで、つまり、屋根上のパンタグラフ(当時の嵐電はZパンタ)も
2基上がっているはずで。背景の街路樹と重なって見づらいが2基のZパンタが...
余談だが、バックの白い建物は島津製作所らしい。(記憶にございません)
でも、もう1枚。
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・西大路三条-山ノ内
この電車は...
電気代の節約のために片方の車両を...ではない。
【2018年8月25日16時15分】 富山地鉄本線・寺田-越中舟橋
また、富山地鉄のように冬だけ2丁パンタ、夏場は片方だけ使用...という
雪国仕様というわけでも無い。
(8月の撮影だと前側のモハ14767号車のパンタが畳まれているのが見える)
写真としてはメチャクチャだが...
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・西大路三条駅付近
車体側面がよくわかる画も撮っていた。
この電車、「202号車」は、ぬぁんと片運転台なのである。
しかも扉配置も嵐電では珍しい前中2扉。つまり、制御車。
鉄道線でいうところの「クハ」なのである。(「ク202」だったのだろうか???)
手前の車両は増結専用車でモーターを備えておらず、自分だけでは走れない。
そんな路面電車では珍しいタイプの車両が生き残っていた。
札幌だと「親子電車」と呼ばれて珍しがられて(いまも保存されている...筈)、
でも、嵐電だとそれが当たり前に走っていた。その末期に近い姿。
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・太秦(当時)-帷子ノ辻
この編成、この日は日中運用に入っていたようで。あの広隆寺前でもこの編成を
撮っていたのである。
でも、残念ながら京都バスの路線バスが広隆寺山門を隠してしまい...
珍しかった路面電車の制御車を撮ったのは、これが最初で最後のことだった。
インバウンドが減って、落ち着きを取り戻している...とされる京都の街。
落ち着いた風景の中で、路面電車を撮りたい...と思うのだが、この気候の良い
時期に外出できないというストレスのたまる毎日なのである。
さぁ、いまから仕事。今日はお昼から会議のため出社なのである。
あ~~~~~、早く撮りに行きたい!!!!
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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戦前の“流線型”、戦後の“湘南顔”、塗色だってそう。“金太郎塗り”は
いまでは路面電車の旧型車に残るくらいだが、広い意味では国鉄80系電車もそう、
ディーゼル動車にも多く見られた塗り方である。
長らく一般的だったのが、上半・下半で塗り分けたツートンカラー。
これも、焦げ茶色塗り潰しだったものが鮮やかなカラーで塗られるようになった
昭和30年代前半から増え、ずっと一般的だった。
でも、この傾向もここ数年、大きな変化が見られる。
都市部の路線では、車体はアルミなどの銀色のままで屋根肩の部分に路線ごとの
ラインカラーのラインを入れるデザインが増殖中。これは駅のホームドア設置で
従来の車体腰部に入れていた帯の色が見えなくなることに伴うもの。
「見えにくい部分は塗り分けない」という合理的発想。
それと同時に“単色塗り潰し”がブームになりつつあるのは謎な流れ。
赤字がたまり、財政難に苦しんだ国鉄末期に登場した“首都圏色”がその走り
だったのだろうか。「塗料の在庫を減らす」とコスト削減効果を前面に打ち出した
のはJR西日本の“末期色”は、その流れが復活したもの。
【2015年10月28日12時01分】 伊予鉄市内軌道線・西堀端電停付近
でも、なぜかその流れが路面電車にも普及してしまったのが、
<変態鉄>としては誠に遺憾なのである。
特に、それまで“落ち着いた上品な塗色”と多くの<鉄>から評価されてきた
塗色の事業者ほどビビッドなカラーで塗り潰そうとしており...
撮る側としてはイライラの連続なのである。
その<変態鉄>のイライラ度が最高に上がっているのが、愛媛県は松山市を走る
伊予鉄市内軌道線。でも、それと...
…… ……
伊予鉄が運行する松山市内の路面電車。
【2015年10月28日16時44分】 伊予鉄市内軌道線・松山市駅前電停
窓周りにみかん色を入れたこのツートンカラー。
ここは車体広告車も導入せず、長い間、全部の車輌がこのカラーリングだった。
郊外電車も同じ塗り分けだった(最近は井の頭線から移籍したステンレス車主体)が
それが...
冒頭にあるオレンジ色塗り潰しになってしまって。
まぁ、こちらは電車もバスも。バスタ新宿まで乗り入れてくる高速夜行バスは
昼間は永福町の京王バスの車庫に居るのだが、その車両も冒頭の、あのカラー。
バスも電車も徹底してオレンジ色で塗り潰す...という、これまた一貫性があり。
そして、「嵐電」。
【2014年9月2日12時02分】 京福電鉄北野線・御室仁和寺駅
ダークグリーンの落ち着いた塗色は京都の街によく似合っていると思っていたが...
「京紫色」の塗り潰し塗色に変更が進められて。
レトロ調の焦げ茶色、あとは数台のイベント塗装車を除いて、いつの間にか
京紫色に席巻されてしまって。
何でも創業100周年を記念して、専門家に依頼して決めてもらったのだとか...
ひとりの<鉄>として、まことに遺憾なのである。
そろそろ「110周年記念で昔の塗色に戻してみます」くらい、言ってくれないか??
そんなことを期待している。
さて、その嵐電。
1993年に訪れた時には、まだ旧型電車が多く残っていた。
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・西大路三条-山ノ内
このタイプの車両が一番、撮りたかったのだが(うまく撮れていない)。
さて、この写真にある車両、よ~く見て欲しい。
嵐電も路面電車。普段は1両で走っているが、土休日などを中心に2連で走る機会も
多く、路面電車でありながら連結器を備えている。
かつては、高知やそれから阪堺など、路面電車タイプの電車が連結運転するのは
フツーに見られた光景らしいが、それがいまも残っているのが「嵐電」。
単行運転可能が原則の路面電車を2両繋いだなら、走行システム上は1両ずつで
完結するわけで、つまり、屋根上のパンタグラフ(当時の嵐電はZパンタ)も
2基上がっているはずで。背景の街路樹と重なって見づらいが2基のZパンタが...
余談だが、バックの白い建物は島津製作所らしい。(記憶にございません)
でも、もう1枚。
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・西大路三条-山ノ内
この電車は...
電気代の節約のために片方の車両を...ではない。
【2018年8月25日16時15分】 富山地鉄本線・寺田-越中舟橋
また、富山地鉄のように冬だけ2丁パンタ、夏場は片方だけ使用...という
雪国仕様というわけでも無い。
(8月の撮影だと前側のモハ14767号車のパンタが畳まれているのが見える)
写真としてはメチャクチャだが...
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・西大路三条駅付近
車体側面がよくわかる画も撮っていた。
この電車、「202号車」は、ぬぁんと片運転台なのである。
しかも扉配置も嵐電では珍しい前中2扉。つまり、制御車。
鉄道線でいうところの「クハ」なのである。(「ク202」だったのだろうか???)
手前の車両は増結専用車でモーターを備えておらず、自分だけでは走れない。
そんな路面電車では珍しいタイプの車両が生き残っていた。
札幌だと「親子電車」と呼ばれて珍しがられて(いまも保存されている...筈)、
でも、嵐電だとそれが当たり前に走っていた。その末期に近い姿。
【1993年5月】 京福電鉄嵐山本線・太秦(当時)-帷子ノ辻
この編成、この日は日中運用に入っていたようで。あの広隆寺前でもこの編成を
撮っていたのである。
でも、残念ながら京都バスの路線バスが広隆寺山門を隠してしまい...
珍しかった路面電車の制御車を撮ったのは、これが最初で最後のことだった。
インバウンドが減って、落ち着きを取り戻している...とされる京都の街。
落ち着いた風景の中で、路面電車を撮りたい...と思うのだが、この気候の良い
時期に外出できないというストレスのたまる毎日なのである。
さぁ、いまから仕事。今日はお昼から会議のため出社なのである。
あ~~~~~、早く撮りに行きたい!!!!
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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