2007年8月、暑く熱い、土佐の地で。 [アナログ写真保存庫]
なかなか思ったように“出撃”できないので、古いネガを掘り起こした画像から。
<変態鉄>が、初めてデジカメを買ったのは2007年夏の棒茄子が出たとき。
“初代EOS 5D”だった。ただし、それまでのフィルムカメラとは使い方が違って。
最初は“CFカードって何??”という感じだった。だから、操作を覚えるまで
“出撃”には引き続き、フィルムカメラのEOSくんを帯同させることになり。
9月になって、ようやく、西武線の電車で試し撮り。この年の9月末に行われた
大糸線キハ52形3連運行が事実上の“初戦”となった。
そういうことで、フィルムカメラ最後の“出撃”となった2007年8月の四国。
まだこの当時は少数ながら、松山と高知にキハ58系の配置が残っており、
そのキハたちが最大のお目当てだったのだが、土佐を走る路面電車も撮っていた。
その写真をご紹介したい。
実家に帰って自分の部屋の“大捜索”を行えば、詳細な日付も分かるのだろうが...
いま、なかなかそのチャンスが無いのである。
…… ……
もちろん、スタートはコレ。
土讃線の特急列車で高知入りしたはず。
ということで、「土電」の撮影、最初はココ。
90年代初め、高校生の頃に初めて訪れた時は「高知駅前」電停は駅正面の道路の
向かい側、ちょっと離れたところにある、垢抜けない感じの電停だった。
それが、直進してJRの高知駅に突き刺さるような感じに線路が付け替えられ。
まもなく、JR土讃線の高架化が行われ、高知駅自体も高架駅になったので、
土讃線が地平で「土電」のホームがこの位置にある...のは自分にとって
最初で最後の撮影だった。
日中でも比較的運転本数が多くて、あまり待たずに、さまざまな形式の電車を
撮ることができた。
そして、「土電」となれば、この場所で撮らないと...
そう、市内中心部の播磨屋橋交差点。高知駅前、伊野、後免、桟橋と4方向から来る
線路がここで直角に交わる。交差点の4方に線路が伸びているのは、当時でも
ここと阪堺の住吉交差点しかなかった。
でも...
当時の<変態鉄>、そんな貴重なシーンにも特に興味を示さなかったみたいで
そんな播磨屋橋でも、600形電車の記録写真を撮っている。
【2016年3月2日9時03分】 とさでん交通後免線・はりまや橋電停付近
この交差点を狙って撮りに行くのは、このときから9年あまりが経過してからだった。
ちなみに、この土佐の路面電車。
<変態鉄>にとって、ずっと「近々撮りに行きたい路線」のリスト入りしたまま
その実現の機会がなかなか訪れない路線なのである。
もちろん、<鉄>として、こういうカットもちゃんと撮っている。
桟橋車庫に並ぶ、多種多様な電車たち。この当時は動く機会が減ってはいたものの
「外国電車」の姿も入っている。
そして、この日。
<変態鉄>が一番、会いたかった電車が...
土佐の地にはちょっと不似合いな真紅の電車なのである。
そう、岐阜の路面電車。廃止後に...
連接車を含めた新型車は、名鉄との繋がりが強かった豊橋、福井の路面電車に移籍。
でも、意外にも車齢の高かった美濃町線モ590形は、遙か離れた土佐の地に移籍に
なったのである。
製造当初は岐阜市内線を走っていたと言うが、後に美濃町線専属になり。
90年台には新関-美濃の末端区間の折返し運用だけに充当されていた。
新岐阜-新関間は15分間隔、新関-美濃は60分間隔と、まさに“末端区間”。
岐阜側の区間には複電圧対応の、車齢の若い車輌が集中的に配置されており、
だから、全廃より少し早く新関-美濃間が廃止されたときに、このモ590形も
運命をともにするのだろう...とばかり思っていた。
【2010年6月25日10時48分】 岐阜県美濃市広岡町・旧名鉄美濃駅
でも、意外や意外。複電圧仕様の電車は機器構成が複雑になり、ただでさえ小型の
路面電車、冷房装置を設置するスペースがとれなかった。
ということで、冷房化改造をするために600V専従のモ590形が、一転、
徹明町運用で岐阜市内を走る区間運転用に転用され、モ590形よりも遙かに後輩の
モ600形が余剰車となったのである。
ということで、2005年の全廃時まで活躍することになり。
うち1両は最末期にスカレット塗り潰しになる前の緑色のツートンカラーに
戻されており、その姿で美濃駅に搬入されて、いまも展示されている。
【2010年6月25日10時45分】 岐阜県美濃市広岡町・旧名鉄美濃駅
「名鉄書体」の車番表示も健在。3扉だったのが後部扉の埋め込み改造が行われ
外観は少しだけ変わっているのだが、真紅の...スカーレットの“名鉄カラー”も
健在で、美濃町線時代と変わらぬスタイルで活躍していた。
聞くところでは、最近では名鉄書体の車番表示は撤去されてしまっているとか...
この日は市内を東西に貫く伊野線の運用に入っていたみたい。
何とか、お目当ての電車を撮ることができて。
電停に停車中の姿とはいえ、順光で記録写真を残すことができて。
でも、実はこの日、もう1両、気になっている電車があった。(つづく)
(※)詳細な撮影日時、撮影地点が不明な写真が多いため、一部、記載を省略しました。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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<変態鉄>が、初めてデジカメを買ったのは2007年夏の棒茄子が出たとき。
“初代EOS 5D”だった。ただし、それまでのフィルムカメラとは使い方が違って。
最初は“CFカードって何??”という感じだった。だから、操作を覚えるまで
“出撃”には引き続き、フィルムカメラのEOSくんを帯同させることになり。
9月になって、ようやく、西武線の電車で試し撮り。この年の9月末に行われた
大糸線キハ52形3連運行が事実上の“初戦”となった。
そういうことで、フィルムカメラ最後の“出撃”となった2007年8月の四国。
まだこの当時は少数ながら、松山と高知にキハ58系の配置が残っており、
そのキハたちが最大のお目当てだったのだが、土佐を走る路面電車も撮っていた。
その写真をご紹介したい。
実家に帰って自分の部屋の“大捜索”を行えば、詳細な日付も分かるのだろうが...
いま、なかなかそのチャンスが無いのである。
…… ……
もちろん、スタートはコレ。
土讃線の特急列車で高知入りしたはず。
ということで、「土電」の撮影、最初はココ。
90年代初め、高校生の頃に初めて訪れた時は「高知駅前」電停は駅正面の道路の
向かい側、ちょっと離れたところにある、垢抜けない感じの電停だった。
それが、直進してJRの高知駅に突き刺さるような感じに線路が付け替えられ。
まもなく、JR土讃線の高架化が行われ、高知駅自体も高架駅になったので、
土讃線が地平で「土電」のホームがこの位置にある...のは自分にとって
最初で最後の撮影だった。
日中でも比較的運転本数が多くて、あまり待たずに、さまざまな形式の電車を
撮ることができた。
そして、「土電」となれば、この場所で撮らないと...
そう、市内中心部の播磨屋橋交差点。高知駅前、伊野、後免、桟橋と4方向から来る
線路がここで直角に交わる。交差点の4方に線路が伸びているのは、当時でも
ここと阪堺の住吉交差点しかなかった。
でも...
当時の<変態鉄>、そんな貴重なシーンにも特に興味を示さなかったみたいで
そんな播磨屋橋でも、600形電車の記録写真を撮っている。
【2016年3月2日9時03分】 とさでん交通後免線・はりまや橋電停付近
この交差点を狙って撮りに行くのは、このときから9年あまりが経過してからだった。
ちなみに、この土佐の路面電車。
<変態鉄>にとって、ずっと「近々撮りに行きたい路線」のリスト入りしたまま
その実現の機会がなかなか訪れない路線なのである。
もちろん、<鉄>として、こういうカットもちゃんと撮っている。
桟橋車庫に並ぶ、多種多様な電車たち。この当時は動く機会が減ってはいたものの
「外国電車」の姿も入っている。
そして、この日。
<変態鉄>が一番、会いたかった電車が...
土佐の地にはちょっと不似合いな真紅の電車なのである。
そう、岐阜の路面電車。廃止後に...
連接車を含めた新型車は、名鉄との繋がりが強かった豊橋、福井の路面電車に移籍。
でも、意外にも車齢の高かった美濃町線モ590形は、遙か離れた土佐の地に移籍に
なったのである。
製造当初は岐阜市内線を走っていたと言うが、後に美濃町線専属になり。
90年台には新関-美濃の末端区間の折返し運用だけに充当されていた。
新岐阜-新関間は15分間隔、新関-美濃は60分間隔と、まさに“末端区間”。
岐阜側の区間には複電圧対応の、車齢の若い車輌が集中的に配置されており、
だから、全廃より少し早く新関-美濃間が廃止されたときに、このモ590形も
運命をともにするのだろう...とばかり思っていた。
【2010年6月25日10時48分】 岐阜県美濃市広岡町・旧名鉄美濃駅
でも、意外や意外。複電圧仕様の電車は機器構成が複雑になり、ただでさえ小型の
路面電車、冷房装置を設置するスペースがとれなかった。
ということで、冷房化改造をするために600V専従のモ590形が、一転、
徹明町運用で岐阜市内を走る区間運転用に転用され、モ590形よりも遙かに後輩の
モ600形が余剰車となったのである。
ということで、2005年の全廃時まで活躍することになり。
うち1両は最末期にスカレット塗り潰しになる前の緑色のツートンカラーに
戻されており、その姿で美濃駅に搬入されて、いまも展示されている。
【2010年6月25日10時45分】 岐阜県美濃市広岡町・旧名鉄美濃駅
「名鉄書体」の車番表示も健在。3扉だったのが後部扉の埋め込み改造が行われ
外観は少しだけ変わっているのだが、真紅の...スカーレットの“名鉄カラー”も
健在で、美濃町線時代と変わらぬスタイルで活躍していた。
聞くところでは、最近では名鉄書体の車番表示は撤去されてしまっているとか...
この日は市内を東西に貫く伊野線の運用に入っていたみたい。
何とか、お目当ての電車を撮ることができて。
電停に停車中の姿とはいえ、順光で記録写真を残すことができて。
でも、実はこの日、もう1両、気になっている電車があった。(つづく)
(※)詳細な撮影日時、撮影地点が不明な写真が多いため、一部、記載を省略しました。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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