南部縦貫鉄道「レールバス 夕暮れ撮影会」(2)七戸駅 [保存車・博物館・廃線跡]
そういえば、10年ほど前に“八戸”で泊まったことはあったが、“七戸”とは縁がなく。
“七戸駅”と言われても、今ひとつ、ピンとこないのだった。そう、七戸町域は青い森鉄道(旧東北本線)の線路がかかっているものの駅は無く、南部縦貫鉄道の廃止以降、東北新幹線の「七戸十和田」駅開業まで町域に鉄道駅が無かったとのこと。現在、「新幹線駅しか鉄道駅がない自治体」というのは佐賀県嬉野市と、この七戸町だけなのだそうで。
東北本線の野辺地駅から、そんな七戸へと至る鉄道路線の開業を目指す...のは、昭和の頃には当然の流れだったのかも知れない。
【2023年10月8日16時36分】 旧南部縦貫鉄道・七戸駅
南部縦貫鉄道は、沿線開発を目的に沿線自治体などが出資する形で設立された。ただ、特に大きな産業もなく自治体の財政も厳しく直後に資金は底をつき。線路の敷設までには紆余曲折あったみたいで。
結局、沿線の天間林村の砂鉄を使った製鉄の計画が持ち上がり、その貨物輸送を見込んで「むつ製鉄」が出資する形で1962年(昭和37年)、東北本線の野辺地から七戸までの21 kmほどの全線が開業する。
そのターミナル駅が、この七戸駅だったという。2面2線のホーム、2階建ての駅舎は南部縦貫鉄道本社も併設されて。構内には売店もあったとか。
ホームの向かい側には機関庫があって。
そんな七戸駅。撮影会の開始が迫り、どんどん人が集まってくる中...
…… ……
2023年10月8日(日)曇り一時晴れ
鉄道線の営業休止が1997年、旧国鉄東北本線の線路付け替え後の路盤を“間借り”して線路を敷いていた区間の用地買い取りを求められたことが直接の引き金だったという。結局、その休止の期間に鉄道設備の荒廃が進み、2002年に正式に廃止となる。
鉄道がなくなっても会社自体は存続し、現在は「南部縦貫」という社名になって。
そういえば、往き帰りに乗ったタクシーも「南部縦貫」だった。
【2023年10月8日12時31分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
旧七戸駅舎は南部縦貫鉄道の本社を兼ねており。
コンクリート造りの立派な建物である。むしろ、あの小さなレールバスには不釣り合いな位。
【2023年10月8日12時31分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
ただ、冬の気候は厳しいのだろうか、長年の風雪に晒され、社名の「部」の字は失われてしまっている。
旧出札口・待合室だったと思われる部分で、グッズ類の販売が行われており。そこを通り抜けて...
【2023年10月8日12時42分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
かつて、この駅からレールバスに乗り込んだ乗客もそうだったのだろう。
駅舎を通り抜け、線路際の未舗装の通路を歩いてホームへと。ホームに立てば、いまにも列車がやってきそうな感じで...
【2023年10月8日12時42分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
七戸駅を挟んで十和田方面へと延伸され、これまた廃線となった十和田観光電鉄と接続する計画もあったのだとか。
結局、七戸駅の駅名標、左側は終始、空白だったはずだが。
ちなみに、七戸駅を出て七戸川橋梁を渡って盛田牧場前、その次が営農大学校前駅だったが、それが今の新幹線の七戸十和田駅至近だったという。
この路線は、東北新幹線の青森延伸計画に翻弄され続けてきたものの、その姿を見ること無く力尽きたわけで。
【2023年10月8日12時42分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
それにしても、この七戸駅、注目は足元の線路である。
駅構内のレールは維持されており、こちら側の線路はバラストも新しくレールもしっかりしている。
そう、「南部縦貫レールバス愛好会」の皆さんの手により、展示運転ができるよう、いまも地道な保存活動が続けられているわけで、その線路、よく見ればPC枕木化されており、現役のローカル私鉄より保線状態は良さそう(笑)。
【2023年10月8日12時34分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
そして、このホーム後ろの階段を下りて線路に入れば、目の前には機関庫。普段は、庫内の保存車を見学できるそうだが、この日はそれらを出庫させての撮影会なのである。
すでに13時の“出発”に備えて、エンジンがかかった状態で点検作業が進められており。もちろん、その姿も公開されていて。
80年代以降、廃線まで、ディーゼル機関車3機、ディーゼル動車(キハ)3両の陣容だったという。特筆すべきは、ぬぁんと、その6両全てが維持されているということ。
【2023年10月8日12時33分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
1962年(昭和37年)開業に合わせて富士重工業宇都宮で製造されたキハ101・102の2両の「レールバス」は、まさにこの小さな私鉄のシンボルでもあったわけで。2両とも走行可能な状態で保存されているのは、嬉しい限り。
ちなみに、その前年、1961年に新潟鐵工所で小湊鐵道キハ200形の1号機が落成しており、つまり、小湊キハの方が“先輩”。
しかも、当時の国鉄は横型機関のDMH17Hエンジンに移行している時期で。そんな時期に南部縦貫鉄道は機械式ディーゼルカーを新製しているのである。何だかアタマが混乱してくるのだが...
【2023年10月8日12時43分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
もちろん、この日の“主役”は2両のレールバス。
でも、<変態鉄>が注目していたのはレールバスだけではない。キハ104号車も動くということで...
そう、国鉄キハ17系の最後の生き残りなのである。混雑対策に国鉄から譲り受けたという車両、キハ17系が動態で残っているのは全国でもココだけ。
こちらも生まれはレールバスの先輩である。
ちょうど“駅裏”にあたる、構内外れの雑木林との境界付近には三脚の列ができており。
急ぎ、<変態鉄>もポジションを固めたのだった。前の日は大雨だったとのことで、足元はぬかるんでおり、気づけばスニーカーもジーンズの裾も泥だらけ。でも、そんなのは仕方ない。後は転ばないように...、それだけ注意して、三脚を置くポジションを探して...
【2023年10月8日13時00分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
まもなく13時、あの機関庫の扉が開けられ、レールバスの前に張られていたロープが外されて...
(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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“七戸駅”と言われても、今ひとつ、ピンとこないのだった。そう、七戸町域は青い森鉄道(旧東北本線)の線路がかかっているものの駅は無く、南部縦貫鉄道の廃止以降、東北新幹線の「七戸十和田」駅開業まで町域に鉄道駅が無かったとのこと。現在、「新幹線駅しか鉄道駅がない自治体」というのは佐賀県嬉野市と、この七戸町だけなのだそうで。
東北本線の野辺地駅から、そんな七戸へと至る鉄道路線の開業を目指す...のは、昭和の頃には当然の流れだったのかも知れない。
【2023年10月8日16時36分】 旧南部縦貫鉄道・七戸駅
南部縦貫鉄道は、沿線開発を目的に沿線自治体などが出資する形で設立された。ただ、特に大きな産業もなく自治体の財政も厳しく直後に資金は底をつき。線路の敷設までには紆余曲折あったみたいで。
結局、沿線の天間林村の砂鉄を使った製鉄の計画が持ち上がり、その貨物輸送を見込んで「むつ製鉄」が出資する形で1962年(昭和37年)、東北本線の野辺地から七戸までの21 kmほどの全線が開業する。
そのターミナル駅が、この七戸駅だったという。2面2線のホーム、2階建ての駅舎は南部縦貫鉄道本社も併設されて。構内には売店もあったとか。
ホームの向かい側には機関庫があって。
そんな七戸駅。撮影会の開始が迫り、どんどん人が集まってくる中...
…… ……
2023年10月8日(日)曇り一時晴れ
鉄道線の営業休止が1997年、旧国鉄東北本線の線路付け替え後の路盤を“間借り”して線路を敷いていた区間の用地買い取りを求められたことが直接の引き金だったという。結局、その休止の期間に鉄道設備の荒廃が進み、2002年に正式に廃止となる。
鉄道がなくなっても会社自体は存続し、現在は「南部縦貫」という社名になって。
そういえば、往き帰りに乗ったタクシーも「南部縦貫」だった。
【2023年10月8日12時31分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
旧七戸駅舎は南部縦貫鉄道の本社を兼ねており。
コンクリート造りの立派な建物である。むしろ、あの小さなレールバスには不釣り合いな位。
【2023年10月8日12時31分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
ただ、冬の気候は厳しいのだろうか、長年の風雪に晒され、社名の「部」の字は失われてしまっている。
旧出札口・待合室だったと思われる部分で、グッズ類の販売が行われており。そこを通り抜けて...
【2023年10月8日12時42分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
かつて、この駅からレールバスに乗り込んだ乗客もそうだったのだろう。
駅舎を通り抜け、線路際の未舗装の通路を歩いてホームへと。ホームに立てば、いまにも列車がやってきそうな感じで...
【2023年10月8日12時42分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
七戸駅を挟んで十和田方面へと延伸され、これまた廃線となった十和田観光電鉄と接続する計画もあったのだとか。
結局、七戸駅の駅名標、左側は終始、空白だったはずだが。
ちなみに、七戸駅を出て七戸川橋梁を渡って盛田牧場前、その次が営農大学校前駅だったが、それが今の新幹線の七戸十和田駅至近だったという。
この路線は、東北新幹線の青森延伸計画に翻弄され続けてきたものの、その姿を見ること無く力尽きたわけで。
【2023年10月8日12時42分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
それにしても、この七戸駅、注目は足元の線路である。
駅構内のレールは維持されており、こちら側の線路はバラストも新しくレールもしっかりしている。
そう、「南部縦貫レールバス愛好会」の皆さんの手により、展示運転ができるよう、いまも地道な保存活動が続けられているわけで、その線路、よく見ればPC枕木化されており、現役のローカル私鉄より保線状態は良さそう(笑)。
【2023年10月8日12時34分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
そして、このホーム後ろの階段を下りて線路に入れば、目の前には機関庫。普段は、庫内の保存車を見学できるそうだが、この日はそれらを出庫させての撮影会なのである。
すでに13時の“出発”に備えて、エンジンがかかった状態で点検作業が進められており。もちろん、その姿も公開されていて。
80年代以降、廃線まで、ディーゼル機関車3機、ディーゼル動車(キハ)3両の陣容だったという。特筆すべきは、ぬぁんと、その6両全てが維持されているということ。
【2023年10月8日12時33分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
1962年(昭和37年)開業に合わせて富士重工業宇都宮で製造されたキハ101・102の2両の「レールバス」は、まさにこの小さな私鉄のシンボルでもあったわけで。2両とも走行可能な状態で保存されているのは、嬉しい限り。
ちなみに、その前年、1961年に新潟鐵工所で小湊鐵道キハ200形の1号機が落成しており、つまり、小湊キハの方が“先輩”。
しかも、当時の国鉄は横型機関のDMH17Hエンジンに移行している時期で。そんな時期に南部縦貫鉄道は機械式ディーゼルカーを新製しているのである。何だかアタマが混乱してくるのだが...
【2023年10月8日12時43分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
もちろん、この日の“主役”は2両のレールバス。
でも、<変態鉄>が注目していたのはレールバスだけではない。キハ104号車も動くということで...
そう、国鉄キハ17系の最後の生き残りなのである。混雑対策に国鉄から譲り受けたという車両、キハ17系が動態で残っているのは全国でもココだけ。
こちらも生まれはレールバスの先輩である。
ちょうど“駅裏”にあたる、構内外れの雑木林との境界付近には三脚の列ができており。
急ぎ、<変態鉄>もポジションを固めたのだった。前の日は大雨だったとのことで、足元はぬかるんでおり、気づけばスニーカーもジーンズの裾も泥だらけ。でも、そんなのは仕方ない。後は転ばないように...、それだけ注意して、三脚を置くポジションを探して...
【2023年10月8日13時00分】 旧 南部縦貫鉄道線・七戸駅
まもなく13時、あの機関庫の扉が開けられ、レールバスの前に張られていたロープが外されて...
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