SSブログ

弁当の中の特急列車(さよなら特急白鳥号 特製記念弁当) [<鉄>な撮影記・旅行記録]

昨日の「雷鳥」号は北陸本線の富山電化開業に合わせて、前のオリンピック、1964年(昭和39年)に誕生した、まさに北陸本線の象徴ともいえる特急だった。
そして、自分が知っている時代には、富山駅に日中上下各1本だけ発着していた「日本海縦貫線のヌシ」的な特急列車こそが「白鳥」号だった。
こちらは一足早く、1961年(昭和36年)に大阪-上野・青森間のディーゼル特急としてスタートした。
その後、電化の進捗に合わせ、485系特急型電車に置き換えられ、新潟(上沼垂)が担当していた時代もあったが、末期はJR西日本に移管されて京都の485系が青森まで走っていた。

大阪-青森間を日本海沿いに走る特急列車として、距離にして1,040 km、大阪を朝10時に経って青森に23時前、青森を朝6時に経って大阪に19時、所要13時間というのは名実ともに、間違いなく最長の昼行特急電車だった。
「雷鳥」よりも10年ほど早く、日本海縦貫「白鳥」の終焉は2001年3月。富山-長岡など部分的には利用したことがあったが、さすがに大阪-青森を乗りとおすようなことはなく。
まさに絵にかいたような“葬式鉄”だが、お別れイベントがスタートしていた2001年2月27日に大阪 → 青森、3月1日に青森 → 大阪と乗りとおしたのだった。

1_msi00001871.JPG
【2018年8月10日10時13分】 石川県小松市土居原町・土居原ボンネット広場

いまや、新幹線開業で「北陸本線」もバラバラに切り刻まれて。全国どこでも走れるような国鉄型の車両も姿はなく。
20年前まで「半日かけて走り続ける列車」があった...といっても、もはや経験したのはオッサンの域に入る世代だけになってきて。

もちろん、そんな長距離列車なら途中で一度か二度、弁当で食事をとることになる。
お別れを前に、「白鳥号」の記念弁当も登場して...

往路、復路とも、もちろんその白鳥号の弁当を...

……  ……

当時、大学生だった自分。2月はバイトが忙しい時期で。
一段落して、新宿駅前の旅行会社で「白鳥」号の指定券を買ったのだった。

2_IMG_20210824_0008.jpg
【2001年2月27日】 東海道本線・大阪駅

朝の大阪駅、北陸特急が発着する11番のりば(当時)は、大勢の駅員さんが整列して群衆の整理にあたっており。入線前からホームは混乱気味だった。
大阪駅に「特急 白鳥 10:12 青森」の表示。いまでは絶対に見られない。

すでに引退を目前にして自分も含めた“葬式鉄”のほか、ツアーなども組まれ。
これに合わせて、普段は9両編成だった京都所の485系編成にモハのユニットを1組増結した11両編成、“写真映え”を意識してか、JR西日本も編成を組み替えて両端がボンネット型のクハ481形で揃った編成を用意しての運用だったと記憶している。

「2号車、3号車と“増結の2号車”“増結の3号車”が...」
「“マシ(増)の2号車”“マシ(増)の3号車”の指定席特急券は...」
と車内放送でも告げていたのを覚えている。

確か、その増結ユニット、金沢から京都に転属予定だったか借り入れだったか...雨樋がクリーム色のモハユニットが充当されていた記憶がある。

3_IMG_20210824_0084.jpg
【2001年3月1日】 信越本線・新潟駅

当時、「白鳥」と「雷鳥」の京都受け持ちの列車、485系は共通運用になっていたような。
だから、大阪から湖西線、北陸本線を経て富山、直江津...と、いつもよりも車内が賑やかである以外は、いつもの北陸特急と変わらず。

もちろん、特急列車だから途中駅の停車時間は短いが、それでも進行方向が変わる新潟駅など何箇所かの駅では数分の停車時間があって。
ちょうど改良工事が進んでいた新潟駅のホームにも人だかりができて。

4_IMG_20210824_0075.jpg
【2001年3月1日】 信越本線・新潟駅

当時の京都車、前面スカートのところに白文字で編成番号を表示しており。
往路(27日:大阪→青森)は「A07」、復路(1日:青森→大阪)は「A04」だったので、この写真は復路のものだが...

5_IMG_20210824_0054.jpg
【2001年2月27日】 奥羽本線・秋田駅

往路は新潟を過ぎて東北地方を北上していく段階で日が暮れて周囲が暗くなってくる時間帯で。
秋田駅でまとまった停車時間があって、ホームに降りて写真を撮ったことは覚えているが、やはり、同じ座席に13時間座り続けるとあっては、終盤は車窓も見えず“耐える”時間が続くのだった。

6_IMG_20210824_0069.jpg
【2001年2月27日】 奥羽本線・青森駅

そして、ようやく23時前の青森駅に到着して。

ここから急行「はまなす」号が接続しており、翌朝には札幌に着けるのだが、この日は多くの人が改札をでたように覚えている。

翌日は津軽鉄道のストーブ列車を楽しんで...

7_hakutyou2_ticket.jpeg

3月1日に復路、朝6時の青森駅からスタート。

「18番」という車端に近い席、青森県内から秋田県内にかけて3月1日の朝は寒かった。途中、車内を巡回していた車掌さんに暖房を強めていただけるようお願いした記憶がある。
この日はよく晴れて、鳥海山だろうか、頂に白い雪をたくわえた山容を見ながら...

8_IMG_20210824_0086.jpg
【2001年3月1日】 信越本線・新潟駅

新潟駅を過ぎて、乗りなれた区間に入ってから、ワゴン販売のお姉さんに声をかけて。
「さよなら特急白鳥号 特製記念弁当」、沿線の各駅弁事業者で統一の掛け紙を使うという形式だったかと。

9_hakutyoubento.jpeg

復路(青森 → 大阪)で自分が購入したのは、糸魚川の「たかせ」さんのもの。
もしかしたら、実家の部屋を漁ったらこの日のメモが“発掘”されるかもしれないが、メニューは...
さすがに20年前に食べた弁当の中身は覚えていない。

往路は、富山の「源」のものだったと思う。いずれも中身は標準的な幕の内弁当で、掛け紙を統一していた...と記憶している。13時間の長旅の中で何度か売りに来ていたが、やはり、飛ぶような勢いで売れていて。
このころから、全国で列車の引退に合わせて、沿線の駅弁業者が「さよなら弁当」みたいな商品を出すことが多くなった気がする。
(乗らなかったが)特急寝台「日本海」のお別れ記念駅弁なども買った記憶が。

駅弁を食べながら車窓を楽しむ...、また、そんなことをしてみたいと思っている。

……  ……

大阪には19時着、それなら新幹線で当日中に東京に戻れるわけで。当初はそうするつもりだったが...
どうしても、この翌朝の「白鳥」号を撮ってみたいと。急遽、大阪市内のホテルに電話して。東淀川駅近くの跨線橋で撮るしかなかったのである。

  https://gohachinihachi1978.blog.ss-blog.jp/2020-04-29

探してみたら、その話題。昨年4月の、あの最初の「緊急事態宣言」でネタがなくなったときに書いていた。

「白鳥」は別格としても、在来線で長距離を走る列車はいつの間にかほぼ消滅して。長らく残っていた「大阪しなの」が消えたいま、在来線の昼行最長距離は「にちりんシーガイア」号だろうか??
まもなく長崎も新幹線になり、そして北陸新幹線も延伸される。北海道新幹線に至っては延伸に際して並行在来線の旅客廃止まで取りざたされ。
明治期から長らくかかって全国に張り巡らされた鉄道網も、ここ20年ほどで寸断されてきた印象が強いのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。