高岡、夜明け前。<前編> [<鉄>な撮影記・旅行記録]
自分がデジカメを初めて手にしたのは、2007年の夏のこと。そして、それが契機になって自分の鉄道趣味の方向性が「車内放送の録音」というマイナー分野から「鉄道写真の撮影」というメジャーなところへと移っていったのである。
その際、最初に手にしたのは「EOS 5D」だった。初代...である。
フィルムカメラで手軽にスナップするだけだった自分にとって、どう扱ってよいのか...。
試行錯誤しながらも、駅のホームで軽く撮るだけ...から撮影地近くにホテルを確保して撮りに出かけるようになるまでに長くはかからなかった。
【2010年3月4日23時41分】 東北本線・上野駅
そんな中、北陸本線を走る夜行列車を撮りに通った時期があった。
高岡駅前のホテルに部屋をとって、早朝、駅前で客待ちしているタクシーに。西高岡駅との間にある陸橋がいつもの撮影地だった。
フィルム時代末期(2006~2007年頃)にも何度も通ったが、そのペースがあがるのはデジカメになってからだった。
朝5時ごろ、誰もいない駅前のタクシー乗り場で止まっているタクシーのドアをノックすれば...
…… ……
2009年5月1日(金)晴れ
早朝5時、季節によってはまだまだ真っ暗な時間帯。カメラをもってタクシーに乗り込めば、運転手さんの方から
「あぁ、陸橋の下ね。いまも、行ってきたところだよ」と。
何も言わなくても北陸本線の夜行列車を撮りに来た<鉄>であることは分かるくらいだった。
歩けば30分ほど、でも、タクシーだとあっさりと。
【2009年5月1日5時28分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
陸橋上から撮ることもできたが、自分はその下から撮るケースが多かった。
いまでは「あいの風とやま鉄道」になって、ワンマンのローカル電車と貨物しか来ない路線になったが、当時は早朝から頻繁に列車が。
EF510電気機関車が牽引する貨物列車。5月の連休、朝5時半ではまだまだ周囲は暗いのである。
当時は“jpeg派”だった。自分のような下手くそが“RAW”などというのはおこがましい...と。
でも、初代EOS 5D、感度(ISO値)は400でギリギリ、800などとしたら、自宅のインクジェットプリンターでL判プリントで出力しても、ザラザラな画像になっているのが目立つくらいで。
とはいえ、JRの“本線”を疾走する列車。シャッター速度を稼がないと被写体ブレ必至。暗い画が、この当時の...
富山の水田は5月の大型連休が田植えのピーク。水の張られた水田に列車の姿が。
架線柱が左隅に見えているのが、当時の自分の技量の水準。
そして、いよいよ...
ここから“夜行列車3連発”。
【2009年5月1日5時51分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
先陣を切ってやってくるのは青森から日本海縦貫線を駆け抜けてきた特急寝台「日本海」である。
JR東日本持ちの編成だろうか。機関車次位のオハネフ25系は“金帯車”。そこに朝の光が当たって。
【2009年5月1日5時58分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
そして、特急寝台「北陸」号である。
自分にとっては生まれて初めて乗った寝台列車が幼稚園の頃の「北陸」号だった。
間違いなく3段式B寝台だったが、14系だったか20系だったかの記憶はない。
でも、3段寝台車というのは...あの梯子に大コーフンだったのである。
特急寝台列車の中では最も短い距離を走る部類で。走行写真を撮れるのは日の長い時期だけに限られており。
そして、“しんがり”こそが...
【2009年5月1日6時02分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
489系急行「能登」号だった。
少しずつ陽が高くなってくる時間帯、ボンネット部分に光がギラリと。
まぁ、誰の目にも「露出アンダーの失敗写真」だろうが、自分にとっては嬉しかった1枚だった。
【2009年5月1日6時06分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
もちろん優等列車だけではない。ローカル列車も塗装は変われど急行型電車の比較的長い編成も見られて。
前照灯は“大目玉”、北陸本線にはシールドビーム化されずに大きな白熱灯のまま残っている車両が多くて。
いまより増して、遥かに拙い...、お恥ずかしい限りのレベルの写真だが、1枚1枚を見直していると、12年前の自分が...
この陸橋の手前(南側)にコンビニがあったように記憶している。撮り終えた後は、そこに立ち寄って、30分ほどかけて高岡駅まで歩いて戻れば、ホテルの朝食の時間にぴったりだったと記憶している。
…… ……
このあとも、何度かこの撮影地を訪れて...
【2009年8月16日6時03分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
稲が大きく育って緑色のカーペットのようになったシーズンにも...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
その際、最初に手にしたのは「EOS 5D」だった。初代...である。
フィルムカメラで手軽にスナップするだけだった自分にとって、どう扱ってよいのか...。
試行錯誤しながらも、駅のホームで軽く撮るだけ...から撮影地近くにホテルを確保して撮りに出かけるようになるまでに長くはかからなかった。
【2010年3月4日23時41分】 東北本線・上野駅
そんな中、北陸本線を走る夜行列車を撮りに通った時期があった。
高岡駅前のホテルに部屋をとって、早朝、駅前で客待ちしているタクシーに。西高岡駅との間にある陸橋がいつもの撮影地だった。
フィルム時代末期(2006~2007年頃)にも何度も通ったが、そのペースがあがるのはデジカメになってからだった。
朝5時ごろ、誰もいない駅前のタクシー乗り場で止まっているタクシーのドアをノックすれば...
…… ……
2009年5月1日(金)晴れ
早朝5時、季節によってはまだまだ真っ暗な時間帯。カメラをもってタクシーに乗り込めば、運転手さんの方から
「あぁ、陸橋の下ね。いまも、行ってきたところだよ」と。
何も言わなくても北陸本線の夜行列車を撮りに来た<鉄>であることは分かるくらいだった。
歩けば30分ほど、でも、タクシーだとあっさりと。
【2009年5月1日5時28分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
陸橋上から撮ることもできたが、自分はその下から撮るケースが多かった。
いまでは「あいの風とやま鉄道」になって、ワンマンのローカル電車と貨物しか来ない路線になったが、当時は早朝から頻繁に列車が。
EF510電気機関車が牽引する貨物列車。5月の連休、朝5時半ではまだまだ周囲は暗いのである。
当時は“jpeg派”だった。自分のような下手くそが“RAW”などというのはおこがましい...と。
でも、初代EOS 5D、感度(ISO値)は400でギリギリ、800などとしたら、自宅のインクジェットプリンターでL判プリントで出力しても、ザラザラな画像になっているのが目立つくらいで。
とはいえ、JRの“本線”を疾走する列車。シャッター速度を稼がないと被写体ブレ必至。暗い画が、この当時の...
富山の水田は5月の大型連休が田植えのピーク。水の張られた水田に列車の姿が。
架線柱が左隅に見えているのが、当時の自分の技量の水準。
そして、いよいよ...
ここから“夜行列車3連発”。
【2009年5月1日5時51分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
先陣を切ってやってくるのは青森から日本海縦貫線を駆け抜けてきた特急寝台「日本海」である。
JR東日本持ちの編成だろうか。機関車次位のオハネフ25系は“金帯車”。そこに朝の光が当たって。
【2009年5月1日5時58分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
そして、特急寝台「北陸」号である。
自分にとっては生まれて初めて乗った寝台列車が幼稚園の頃の「北陸」号だった。
間違いなく3段式B寝台だったが、14系だったか20系だったかの記憶はない。
でも、3段寝台車というのは...あの梯子に大コーフンだったのである。
特急寝台列車の中では最も短い距離を走る部類で。走行写真を撮れるのは日の長い時期だけに限られており。
そして、“しんがり”こそが...
【2009年5月1日6時02分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
489系急行「能登」号だった。
少しずつ陽が高くなってくる時間帯、ボンネット部分に光がギラリと。
まぁ、誰の目にも「露出アンダーの失敗写真」だろうが、自分にとっては嬉しかった1枚だった。
【2009年5月1日6時06分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
もちろん優等列車だけではない。ローカル列車も塗装は変われど急行型電車の比較的長い編成も見られて。
前照灯は“大目玉”、北陸本線にはシールドビーム化されずに大きな白熱灯のまま残っている車両が多くて。
いまより増して、遥かに拙い...、お恥ずかしい限りのレベルの写真だが、1枚1枚を見直していると、12年前の自分が...
この陸橋の手前(南側)にコンビニがあったように記憶している。撮り終えた後は、そこに立ち寄って、30分ほどかけて高岡駅まで歩いて戻れば、ホテルの朝食の時間にぴったりだったと記憶している。
…… ……
このあとも、何度かこの撮影地を訪れて...
【2009年8月16日6時03分】 北陸本線・高岡-西高岡(当時)
稲が大きく育って緑色のカーペットのようになったシーズンにも...(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
コメント 0