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富山地鉄14722号 Last Run(2)まだ続くプロローグ [富山地方鉄道]

新ブログに移転して2個目の記事。

久々に仕事は公休日。朝から銀行に行って用事を...と、思ったよりも時間がかかって
アポは朝10時、時刻通りだったが、アレコレで説明を受けたり相談したり...
手続きもいろいろあって気づけば12時を回っていて。早朝には止むという予報だった
雨は、午後、少しだけ晴れ間もあったがほぼ1日中降り続いて。

帰宅してしばらくしたら大相撲中継、初日から「金星配給」が当たり前になっている
“世代交代”というか、何というか...大荒れの展開。それを見ながら...
そう、持ち帰っている仕事が全然進まないのである。

そんな中での“現実逃避”としてブログを...

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【2019年12月21日14時20分】 富山地鉄本線・電鉄黒部駅

昨日に引き続いて、富山地鉄14722編成のラストランイベントの話題。
2019年12月21日、「2枚窓、ちてつ顔」の電車、そのフィナーレである。

ということで、今日は、まず<変態鉄>が14722編成と出会う、その“なれそめ”を。
(う~ん、それにしてもキモチワルイ表現である。)
……  ……

いつも書いている通り、<変態鉄>の父の田舎が富山。だから、旅行とかでは無く
小さい頃から夏・冬の休みになると帰省していたのである。
まだ、北陸新幹線はおろか上越新幹線も無かった頃、信越本線経由の特急「白山」で
6時間以上かかっていた頃から、富山の街を訪れていたわけで。

でも、地鉄電車というのは富山市の東側から魚津・黒部、立山方面に向かっており。
同じ富山市でも旧市街の西にあたる地域に祖父母が暮らしていたので「地鉄電車」は
“近くて遠い存在”だった。

さらに<鉄>として...趣味活動の面でも金沢支社管内に多く残っていた“国鉄型”
が興味の対象で。

そう、つまり<富山鉄>などと曰いながら、地鉄電車というのは事実上、まったく
触れたことが無かったのである。でも、国鉄型車輌が引退し、そして新幹線工事で
富山駅も変貌を遂げて...

初めて富山地鉄を“趣味活動の対象”と見るようになったのが2012年の今頃。

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【2012年3月1日9時25分】 富山地鉄本線・越中荏原-越中三郷

14760形と10030形が“よく見かける形式”、でも、<乗り鉄>していて。

「湘南顔の...もっと古いタイプの地鉄電車が居たはずなのに...」と。
地鉄電車の車輌について全く知識も持っておらず。そんなとき、月岡駅ですれ違った
編成に目が釘付けになったのだった。

「あっ!! やっぱり、まだ“古いタイプの地鉄電車”も健在なんだ!!」
それが「14720形」であり、もう1本「10020形」があって...、そんなこと、全然
知らなかったのである。

「越中荏原と越中三郷の間にある鉄橋が有名撮影地らしい...」
と、初訪問。一種の“ビギナーズラック”だったのだろうか!?
最初にやって来た電車が、14722編成。でも、3月アタマにスニーカーで訪問。
川岸は除雪車の“雪捨て場”的な使われ方をしており、結局、鉄橋に近づく術を
見つけることができないまま、“撃沈”したのだった。

初めて...は、ちょっと苦い思い出だったのである。

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【2012年5月14日17時14分】 富山地鉄本線・越中荏原-越中三郷(後追い)

ちょうど拙ブログを始めていた時期でもあり。最初の頃に読者になっていただいた
富山在住の方から、いろいろ教えていただいたり、ちょうどこの時期に鉄道誌で
富山地鉄の特集記事が組まれていて。後に“撮影臨”でお世話になる方々の
お写真と解説記事。

だんだんと地鉄電車の魅力がわかり始めてきた時期だったのである。

常願寺川鉄橋での“リベンジ”も後追いで串パン写真とはいえ、一応成功。
この頃から休みの度に地鉄電車に通い詰めるようになっていき...

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【2012年6月27日14時05分】 富山地鉄上滝不二越線・稲荷町駅

だんだんと...、例えば地鉄電車の形式の付け方とか、車輌運用の基本的なこととか
(当時は“ダブルデッカーエキスプレス”が誕生する前の時期である)
「20形電車」は2連5編成があったのが、徐々に数を減らして2編成だけになっている
とか、そういったことも。

この頃は、まだ稲荷町に行けば、ボロボロではあったが廃車になっていた
10023-10024編成も残っており。“かぼちゃ色”の10020形も撮っていた。

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【2012年11月4日6時24分】 富山地鉄・稲荷町車両基地

11月の「ちてつ電車フェスティバル」も当然、訪れており。
このカットも撮っていたのである。奥に見えるのは、当時の“上滝朝3”で
10025-10026編成に増結車として繋がれていたクハ174・175号車である。

そして中央に見えるのが「クハ171号車」。

今回、ラストランを迎えたのは「モハ14722」と「クハ172」からなる2両編成。
そう“2”である。「モハ14720形」は2両製造された。そのもう1両、14721号車は
<変態鉄>が地鉄電車を撮るようになる直前の時期に、立山駅で車両火災を起こし
そのまま廃車になっていたのである。伴侶を失い走ることができなくなった
クハ171号車は、長い間、稲荷町車両基地の奥の方に止められていた。

クハ172号車とは違って、こちらは車体裾が丸いオリジナル版、でも“かぼちゃ”。

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【2012年11月4日13時23分】 富山地鉄本線・越中舟橋駅

このときは、10025-10026編成にクハ174号車を繋いだ3両編成が“ミステリー列車”
として日中、運行され。<変態鉄>も乗車したのである。

その途上、越中舟橋駅で交換した定期営業列車が、14722編成で。
この当時から、この2枚窓の“湘南フェイス”のすれ違いシーンは<鉄>にとっては
注目の被写体だった。

“上滝朝3”、早起きすれば必ず撮ることができた、10025-10026編成とは違って
京阪からきた“カボチャ電車”10030形と共通運用で全線を走り回る14722編成は
運用を掴むのが困難な存在。

「カメラを構えている時に来てくれたらラッキー」

という存在だったのである。
“廃車になるみたい”という<鉄>の間の“怪情報”は何度か耳にした。
でも、新幹線開業に伴う観光需要増で特急運用にも充てられるようになり...

そんな状況下で、東急からさらに車輌が譲渡される...という流れになり。

それで、とうとう2019年末限りで廃車となったのである。

<変態鉄>にとっても“来るべき時が来た”という感じだった。

……  ……

2019年12月21日(日)曇り

10時半から受付開始。
往復ハガキを提示して「参加証」を受け取り。そのあとは11時過ぎの列車入線まで
改札窓口ヨコに整列して待つことになっていた。

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【2019年12月21日11時07分】 富山地鉄・電鉄富山駅

11時、ホームへの入場が許可され。皆さん、めいめいのポジションで、
14722編成の最後の電鉄富山駅入線を。

もちろんホーム端でカメラを構えた<変態鉄>、約100名の参加者、たぶん4割ほど
の人たちは乗車位置に整列して、これから夕方まで過ごす車内、少しでも良い席を
確保しようと。<変態鉄>は“立ち”でも良いと思っていた。

そう、1枚でも撮りたかったのである。

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【2019年12月21日11時17分】 富山地鉄・電鉄富山駅

ホームに入ってくると、いつも通り、丸看板を交換しながらの撮影会である。
地鉄の方で準備したものだけでなく参加者が持ち込んだ古いタイプの表示も...

もちろん、<変態鉄>にとって初めて見るものも多くて。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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