SSブログ

青梅鉄道公園お別れ訪問記 2023.8.22(5) [保存車・博物館・廃線跡]

この拙ブログの...、保存館や展示施設に行ったときの記事、必ず書いている「保存車各車紹介」のシリーズ。ただ、説明板とネットの情報を頼りにテキトーにまとめただけの、何だか出来の悪い大学生のレポートみたいな記事。まさに「何の需要があるんだ??」という感じではあるものの、書いている側としては、過去の車両についてアレコレ、調べながら書くというのは楽しいものなのである。

特に、過去の車両、自分が生まれる以前の時代の話を調べることが多くなるので、知らない話ばかりの連続で。ついついブログ記事を書くという当初の目的を忘れて、いろいろと読み耽ってしまうのである。

051_msi00007021.JPG
【2023年8月22日10時25分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

開園から61年、今月限りでいったん休園、2025年度のリニューアルオープンが予定されている青梅鉄道公園。今度は地元の中央線・青梅線を中心とした展示内容にすることが発表されており。そのために「展示車両の見直し」というのも挙げられていて。

でも、現在のラインナップは蒸気機関車中心。中央線と深い縁のある車両の方が少ないくらいで。60年前に廃車になっているということは、現役時代を知る世代はだんだん少なくなっているはずで。そうなると中央線と縁が薄い古い蒸気機関車は、展示から外れる?? そんな余計な心配をしている<変態鉄>なのである。

ということで、引き続き、大正時代に機関車の国産化の目処がたって。旅客用、貨物用に大量増備され全国各地で働いたのが、8620形と9600形、そのトップナンバーと初期車が展示されている。

……  ……

2023年8月22日(火)曇り時々雨

青梅鉄道公園の一番奥に保存されているのが、大正時代の名機「ハチロク」と「キューロク」。
手前側、2221号機の後ろに展示されているのが、8620形8620号機。つまり、トップナンバー機である。付番ルールが複雑で(?)、81番目からは一万の位を増やして...となるのだが、鉄道省分だけで672両が製造された。

052_msi00007022.JPG
【2023年8月22日10時27分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

明治時代末期に輸入した機関車を使って、東海道本線に特別急行列車を設定、その使用実績に基づき、その当時の日本の急行列車用として、少しボイラーを小型化して誕生。国産での機関車量産の技術を確立した時期の機関車でもあって。

当初は設計に参画した汽車会社が製造を担い。(後に他メーカーも参入)
この8620号機は、1914年(大正3年)4月に汽車製造会社大阪工場で新製、新製配置は鳥栖(佐賀県)だったとされる。
1922年には若松(福岡県)に移動し、筑豊地区を走ったのだろうか。第2次世界大戦が勃発する頃、備前十日市を経て四国に配置換え。終戦は松山機関区で迎え、戦後も一貫して松山配置。

053_msi00007023.JPG
【2023年8月22日10時27分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

1956年(昭和31年)頃から国鉄職員による保存の呼びかけが行われ、それが実って、1958年(昭和33年)9月に松山で廃車後、多度津で保管、整備の上、開園に合わせて青梅に搬入されたという。

054_msi00007066.JPG
【2023年8月22日10時40分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

館内にも写真パネルが展示されており。屋根設置前なので写真自体はスッキリしている。
こちらの説明文には「687両」と書かれており、機関車の前にある説明板の「670両」と一致しない。別に調べたネット上の資料では、鉄道省向けに「672両」とあったので、拙ブログはそれを参考にしている。ちなみに、鉄道省向け以外には樺太庁鉄道向け(15機)、北海道拓殖鉄道向け(2機)のほか、台湾総督府鉄道にも43機が導入されており。

・ 説明板の「670」と樺太「15」と北海道拓殖「2」で、パネルの説明の「687」
・ 鉄道省「672」と樺太「15」で、パネルの説明の「687」

なのか、ちょっと謎な数なのである。

055_msi00007026.JPG
【2023年8月22日10時29分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

青梅にトップナンバーを譲ってしまったから...だろうか、この8620号機から遅れること2ヶ月、同じ汽車製造会社大阪工場製の8630号機が京都梅小路で動態保存されている。

そして、その後ろに居る、胴長短足の独特の形態こそ「キューロク」、9600形は<変態鉄>が一番好きな蒸気機関車なのである。

056_msi00007024.JPG
【2023年8月22日10時29分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

う〜ん、このアンバランスさが堪らない。
こちらは、9600形9608号機。1914年(大正3年)1月川崎重工業兵庫工場で新製されている。
当時の機関車は鉄道省と車両メーカーの“共同設計”のような形をとることが多かったようで、「ハチロク」は汽車会社、一方、「キューロク」は川崎重工が同時期に手掛けている。

057_msi00007027.JPG
【2023年8月22日10時27分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

ボイラーを巨大化するために、台枠上に火室を載せるという独特の設計で火室面積を最大化し、「狭軌」というハンディを補って、強力な引張力を実現。
その代わり、重心位置が異様に高く、径の小さい動輪も相まって、この愛らしい“胴長短足”のスタイルになった。しかも、最高速度は65キロに制限され、“同期”のハチロクが急行旅客用として華々しい活躍を見せる中、こちらは勾配線・貨物用という、どちらかと言えば地味な役回り。

058_msi00007025.JPG
【2023年8月22日10時28分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

一方で、力が強い割に軸重が軽く線路規格の低いローカル線でも使用できたこと、試験では3,000トンクラスの貨物列車の引き出しに成功したなど使い勝手の良さと牽引力は評価されていたようで、本来の除雪や入換など(速度は不要でも)粘着力や牽引力を必要とされる場面にも重宝されたという。770機という製造数の多さも使い勝手の良さの証だろうか。1976年に北海道の追分機関区で最後の入換運用に就き、国鉄の蒸気機関車として最後まで現役で使われたのもキューロクだった。

<変態鉄>としては、この形式が非常に好きなのだが、残念ながら動態で残されているものは無く。

059_msi00007063.JPG
【2023年8月22日10時39分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

「ハチロク」はトップナンバー車が保存されているが、こちらは8号機。というのも、トップナンバーの9600号機は1938年に陸軍に供出されて中国大陸に渡っているから。770両中の250両あまりが軍に供出されて大陸に渡っており、残念ながら帰還したものは無かったという。(その代わり、現地で1980年頃まで生きながらえた個体はあったとか...)

さて、この9608号機、前述の通り、新製は1914年(大正3年)1月川崎重工業兵庫工場、新製配置は地元神戸だったという。岡山、姫路、亀山(三重県)、加茂(奈良県)、鷹取(兵庫県)、鳥取、吹田、福知山と短い間に転属を重ねており。終戦は吹田機関区の入換機として迎えたとされる。
この個体にとっては吹田での活躍が長かったようで、1942年から58年まで16年間(休車期間も長かったようだが...)、吹田の入換作業に当たっていた。
1958年に竜華(大阪府)に異動、さらに、1962年(昭和37年)7月に大宮に転属となり、保存整備を受けて。10月に廃車、年明けに青梅に搬入されたと記録されている。なお、一部、資料ではその保存整備までの大宮での3ヶ月の在籍期間の間、大宮で運用入りしていたという話もあって。何だか不思議な個体である。

060_199302_ome_noto_1_01.jpeg
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

大陸供出分を除いても500機以上あって、石炭列車などで長らく活躍した分、保存機も多く、最近では富山駅近くの公園に保存された個体を見学したが、数が多く製造期間も長かった分、よく見ると形態差もあって。逆光のカットしか無いが、1993年の初訪問でもしっかり撮っていた。

好きな形式だけあって、どうしても、ブログも長くなってしまうもので...

こちらの2機も中央線・青梅線とは生涯、無関係だった機関車で。他にも保存機が多い形式だけに、一抹の不安を禁じえないのである。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。