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青梅鉄道公園お別れ訪問記 2023.8.22(4) [保存車・博物館・廃線跡]

確かに日中は猛暑であっても、夜になると少し涼しくも感じられるようになってきたか!? 確実に季節は進んでいると感じる今日このごろ。
今日は全国の<鉄>の関心が宇都宮に向いていただろうか。でも、<変態鉄>は自宅で。最近、調子の悪い洗濯機をどうしようかと悩みつつ。
路面電車好きとして、やはり、宇都宮は気になっているが、もうちょっと落ち着いて秋が深まってきた頃に撮りに、乗りに行こうかと考えている次第。

ということで、2025年のリニューアルオープンまで一時休園となる「青梅鉄道公園」の話題を引き続き。
あくまで、拙ブログは平常通りなのである。

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【2023年8月22日10時36分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

60年間の歴史の中で、保存車のラインナップも少しずつ変わってきているようで。
でも、そんな中でも変わらない2機の古典蒸機の話。

……  ……

2023年8月22日(火)曇り時々雨

まずは、2221号機。形式は2120形、通称・B6である。
明治期の機関車としては主力機、日露戦争で多くの機関車が必要となった時期に、アメリカ、イギリス、ドイツのメーカーに大量発注された機関車である。

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【2023年8月22日10時24分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

10年ほど前に静態保存車に屋根が架けられたが、なぜかこの機関車の上は避けるような形になっており。
定期的にメンテナンスはされているのだろうが、錆が浮いて(見た目の)状態は必ずしも良くなさそうだった。

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【2023年8月22日10時39分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

この機関車の製造は、1905年(明治38年)3月、North British Locomotive, Hyde Park Works NO.16739 (英国製)である。
形式は「鉄道作業局B6形」だが、陸軍省の発注、その野戦鉄道堤理部、470号機として現在の北朝鮮から中国東北部周辺での兵站輸送に使われたとされている。日露戦争後は南満州鉄道で働き、その後、1908年頃に日本へ。鉄道院の機関車となり、1909年の規定変更で「2120形2221号機」となった。

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【2023年8月22日10時25分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

戦前は鹿児島配置が長かったようだが、この時点で新製から30年を超えており、鹿児島機関区でも入換機として使われていたようで。
戦時中の1943年に、はるばる青森へ転属となるが、終戦直前に東能代に再度、配置換え。1955年(昭和30年)まで東能代の入換機として活躍したという。
書類上は1955年に秋田の土崎工場へ転属(貸出??)となっているが、これは廃車前提の休車のような状態だったとも思われ。説明板にも「昭和30年3月まで」と書かれている。1960年(昭和35年)土崎で廃車、同工場での保管を経て、開園に合わせて、1962年に青梅に搬入されている。

地味な入換機としての用途が中心だったが、明治・大正・昭和と激動の時代を見てきた機関車である。

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【2023年8月22日10時32分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

この2221号機の隣には日本における鉄道黎明期の機関車として110号機が展示されていたが、桜木町に移設されてしまって、白く塗り潰されたの説明板と線路の妙なスペースが残っている。

でも、だからこそ、しっかり見渡すことができるようになったのは...

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【2023年8月22日10時31分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

こちらも、蒸気機関車に詳しくない<変態鉄>でも知っている舶来機の代表格「ピーテン」である。ベイヤー・ピーコック社〔英〕製造のテンダー機関車という略称で。ある意味、安直なネーミング。私鉄・専用線でも同型機が多数活躍し、払い下げなどもあって複雑だが、鉄道院、鉄道省なども含めて国鉄籍の機関車はたぶん70両ほど。

官営鉄道のほか、東武鉄道も何度かに分けて同型機を発注しており。特に、東武では貨物機として比較的遅い時期まで活躍した...として、いまでも東向島の博物館で動輪が回転する状態で保存されている。
そして、この「ピーテン」を、後にタンク機関車に改造したのがB10形、こちらは「ピータン」とも言える存在だが...
千葉の1機が陸軍を経て小湊鐵道に移籍、いまも五井機関区に展示されている。

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【2023年8月22日10時30分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

この5540号機は、2221号機より少し早く、1897年(明治30年)Beyer Peacock社(製番3911)として、日本鉄道へ。同社のPbt2/4形175号機として活躍を開始。たぶん、後の東北本線を走ったものと思われるが...

ナンバープレートの下に「製造銘板風の何か」が付いているような気が...

日露戦争後の「鉄道国有化法」により、日本鉄道も国に買収され、この機関車も官設鉄道に編入される。2221号機と同様、1909年の車両型式称号規定の改定に合わせて、5500形5540号機となった。(当時、上野運輸事務所、改、東部局配置)

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【2023年8月22日10時30分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

その後、1923年に新潟、1934年に大館に転属して花輪線で活躍、戦時色強まる1938年に入換用として高島機関区(横浜)に異動、そのまま横浜の入換機として終戦を向かえている。戦後の混乱期に横川機関区軽井沢支区に転属したようで(詳細な年月は不明)。
でも、軽井沢で活躍することはなかったのか、1952年には白山機関区西吉田支区(新潟)で数ヶ月在籍した後、翌53年には札幌工事局(当初は札幌工事事務所)に転属して北海道に渡っている。

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【2023年8月22日10時39分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園

既にこの時点で製造から60年以上が経過しており、そのまま、1962年10月26日付けで5500形の国鉄での最後の1機として廃車、直後に青梅に搬入されている。つまり、こちらも開園からの“生え抜き”である。

……  ……

2221号機の「B6形」、5540号機の「ピーテン」とも、国内で機関車を製造できるだけの技術ができる前の明治期の代表的な舶来機関車である。
2221号機と同じ2120形は松任工場、5500形は東武鉄道で活躍した個体が複数残されており。

そう、青梅鉄道公園を中央線・青梅線中心の展示にする...と聞いて、ちょっと、その先行きを心配している2機なのである。どうか、「同じ形式が残っているから、邪魔なので解体!!」と某社のようなことは言わないで欲しいと願っている<変態鉄>なのである。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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