青梅鉄道公園お別れ訪問記 2023.8.22(3) [保存車・博物館・廃線跡]
早いもので5月に父が亡くなって3度めの月命日だった。一足早く、百箇日法要を執り行い。正式な“施主”は母だが、実質的には何だかんだを自分が行って。
いちばん大変なのが会食の手配だった。人数がどうなるかヒヤヒヤしながら当日を迎えるのである。
これまでも法事に参列することは何度もあったが、自分がその“当事者”になってみて、初めてわかった苦労というのが。
来週の前半は仕事が休み、まぁ、ひと足遅い夏休みのような感じなのだが、結局、何の計画も立てないまま...
有効期限の迫っているマイルもあるし、どこか行きたいという気持ちは強いものの、台風の動きも気になっていて。
さぁ、そんなわけで22日の青梅鉄道公園訪問記。今月末の閉園まで秒読み段階に入っている。
【2023年8月22日10時07分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
中央線を中心にした展示のラインナップと予告されている上に大宮の鉄道博物館にもしっかり展示されているので、先行きが心配される1両が、この新幹線22−75号車かも知れない。
懐かしの0系新幹線の車内へ。
…… ……
2023年8月22日(火)曇り時々雨
開園と同時に。他の入場客が模型のジオラマ展示などがある屋内展示に集まる中、脇目も振らず園の一番奥の方へ。階段を下りた先にあるのが「新幹線広場」。0系新幹線と遊具が置かれたスペースがあって。
“団子鼻”の新幹線は、昭和30〜40年代の蒸気機関車が中心の同園の展示車両の中では<変態鉄>にとって数少ない“直接経験”した車両なのである。
車内も公開されており...
【2023年8月22日10時08分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
大急ぎでステップを上がって、その車内へ。
シルバーに青のアクセントが入った、新幹線特有のシートモケット。転換クロスシートの並ぶスタイルは博多開業前に製造された0系新幹線の特徴だった。
ちょうど、新幹線の開業の時期で、国鉄内部に、この色のシートモケットの在庫が多かったのが「優先席」の前身である「シルバーシート」の由来だっただろうか。
<変態鉄>が新幹線に乗るようになった頃は、100系の全盛期だったが、それでも「ひかり」にも0系は多く走っていて。
オレンジ色に黒い線が入った簡易リクライニングシートの車両が中心だったが、この転換クロスシート車にも何度か乗り合わせる機会があった。
【2023年8月22日10時09分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
もちろん、リクライニングはしないが、でも、そのことはあまり気にならない座り心地だったと記憶している。
むしろ、オレンジ色のリクライニングシートの方が、「背ズリが倒れる」というよりは「座面が前進する」といった感じで。お尻を動かすと「バチン!!」と大きな音と衝撃で元に戻ってしまう...というような仕様だった気がする。そういえば、そのリクライニングシート、後に長野管内の169系急行型電車のリニューアル時に転用され、長い間、しなの鉄道に残っていたっけ。あと、地鉄電車にも...
【2023年8月22日10時10分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
この車両、運転台も自由に見学可能になっている。
ただ、残念ながら客室との仕切り壁の付近には、こんな張り紙が...
【2023年8月22日10時10分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
ということで、ちょっと窮屈な運転台の様子も。メカに疎い<変態鉄>、こういう写真にはなかなか文章が付けにくくて。
さて、この「22−75」号車。青梅鉄道公園には1985年(昭和60年)に搬入されたという。
【2023年8月22日10時10分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
曲がりくねった急勾配の道、トレーラー輸送で、「よくぞ、持ってきた!!」といった感じ。あの急カーブの続く道で車体長25メートルの新幹線電車を...
搬入作業にも相当な苦労があったのではないか...と思うが。
【2023年8月22日10時11分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
0系電車は1964年(昭和39年)10月の東京〜新大阪開業に合わせて登場したものの、その後、分割民営化の直前まで増備が続けられ。
「0系車両の老朽取替を0系の新製車で行う」という謎な展開になったのも、有名な話。
この車両は「22−75」という若い番号が示す通り、1969年(昭和44年)汽車会社で製造されている。大阪万博開催にあたり、輸送力の増強が求められていた時期だろうか。
【2023年8月22日10時12分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
東京方先頭車(Mc)だった22形式。青い部分に「JR」のロゴが入っているが、つまり、これは完全に“フォクション”である。
ただ、この「大窓車」は分割民営化語もわずかに残っており、自分も何度か乗ったことがある。
小窓車よりも自分は好きだった。
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
その30年前の姿。ほぼ定点比較である。逆光になるのに、こちら側で撮っているのは車内への出入りに使う階段が設置されている側を嫌がったのだろうか。
分割民営化後、JR東日本の系列になった同園、当時、やはり、自社の東北・上越新幹線じゃないとマズい...ということになったのだろうか。
0系なのに200系の緑の塗装という珍妙な姿で展示されていた。
【2023年8月22日10時40分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
展示室の2階にも静態保存各車の紹介パネルがあって。
同園での展示にあたり、床下機器を撤去していることなどが説明されている。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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いちばん大変なのが会食の手配だった。人数がどうなるかヒヤヒヤしながら当日を迎えるのである。
これまでも法事に参列することは何度もあったが、自分がその“当事者”になってみて、初めてわかった苦労というのが。
来週の前半は仕事が休み、まぁ、ひと足遅い夏休みのような感じなのだが、結局、何の計画も立てないまま...
有効期限の迫っているマイルもあるし、どこか行きたいという気持ちは強いものの、台風の動きも気になっていて。
さぁ、そんなわけで22日の青梅鉄道公園訪問記。今月末の閉園まで秒読み段階に入っている。
【2023年8月22日10時07分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
中央線を中心にした展示のラインナップと予告されている上に大宮の鉄道博物館にもしっかり展示されているので、先行きが心配される1両が、この新幹線22−75号車かも知れない。
懐かしの0系新幹線の車内へ。
…… ……
2023年8月22日(火)曇り時々雨
開園と同時に。他の入場客が模型のジオラマ展示などがある屋内展示に集まる中、脇目も振らず園の一番奥の方へ。階段を下りた先にあるのが「新幹線広場」。0系新幹線と遊具が置かれたスペースがあって。
“団子鼻”の新幹線は、昭和30〜40年代の蒸気機関車が中心の同園の展示車両の中では<変態鉄>にとって数少ない“直接経験”した車両なのである。
車内も公開されており...
【2023年8月22日10時08分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
大急ぎでステップを上がって、その車内へ。
シルバーに青のアクセントが入った、新幹線特有のシートモケット。転換クロスシートの並ぶスタイルは博多開業前に製造された0系新幹線の特徴だった。
ちょうど、新幹線の開業の時期で、国鉄内部に、この色のシートモケットの在庫が多かったのが「優先席」の前身である「シルバーシート」の由来だっただろうか。
<変態鉄>が新幹線に乗るようになった頃は、100系の全盛期だったが、それでも「ひかり」にも0系は多く走っていて。
オレンジ色に黒い線が入った簡易リクライニングシートの車両が中心だったが、この転換クロスシート車にも何度か乗り合わせる機会があった。
【2023年8月22日10時09分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
もちろん、リクライニングはしないが、でも、そのことはあまり気にならない座り心地だったと記憶している。
むしろ、オレンジ色のリクライニングシートの方が、「背ズリが倒れる」というよりは「座面が前進する」といった感じで。お尻を動かすと「バチン!!」と大きな音と衝撃で元に戻ってしまう...というような仕様だった気がする。そういえば、そのリクライニングシート、後に長野管内の169系急行型電車のリニューアル時に転用され、長い間、しなの鉄道に残っていたっけ。あと、地鉄電車にも...
【2023年8月22日10時10分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
この車両、運転台も自由に見学可能になっている。
ただ、残念ながら客室との仕切り壁の付近には、こんな張り紙が...
【2023年8月22日10時10分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
ということで、ちょっと窮屈な運転台の様子も。メカに疎い<変態鉄>、こういう写真にはなかなか文章が付けにくくて。
さて、この「22−75」号車。青梅鉄道公園には1985年(昭和60年)に搬入されたという。
【2023年8月22日10時10分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
曲がりくねった急勾配の道、トレーラー輸送で、「よくぞ、持ってきた!!」といった感じ。あの急カーブの続く道で車体長25メートルの新幹線電車を...
搬入作業にも相当な苦労があったのではないか...と思うが。
【2023年8月22日10時11分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
0系電車は1964年(昭和39年)10月の東京〜新大阪開業に合わせて登場したものの、その後、分割民営化の直前まで増備が続けられ。
「0系車両の老朽取替を0系の新製車で行う」という謎な展開になったのも、有名な話。
この車両は「22−75」という若い番号が示す通り、1969年(昭和44年)汽車会社で製造されている。大阪万博開催にあたり、輸送力の増強が求められていた時期だろうか。
【2023年8月22日10時12分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
東京方先頭車(Mc)だった22形式。青い部分に「JR」のロゴが入っているが、つまり、これは完全に“フォクション”である。
ただ、この「大窓車」は分割民営化語もわずかに残っており、自分も何度か乗ったことがある。
小窓車よりも自分は好きだった。
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
その30年前の姿。ほぼ定点比較である。逆光になるのに、こちら側で撮っているのは車内への出入りに使う階段が設置されている側を嫌がったのだろうか。
分割民営化後、JR東日本の系列になった同園、当時、やはり、自社の東北・上越新幹線じゃないとマズい...ということになったのだろうか。
0系なのに200系の緑の塗装という珍妙な姿で展示されていた。
【2023年8月22日10時40分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
展示室の2階にも静態保存各車の紹介パネルがあって。
同園での展示にあたり、床下機器を撤去していることなどが説明されている。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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