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続・山陰本線「だいせん」にて。 [車内放送]

ご覧いただいている皆さんにとっては、大して関係の無い内輪ネタ(?)で恐縮だが
5月31日をもって曽根風呂...So-netブログは名実ともに、その歴史に終止符を
打ったのである...と大袈裟に書くことでもないだろうが。

今日から Seesaa ブログに移管されることになっており。
ということで。

朝起きてブログをチェックしたのだった。

「何かスゴいことが起こっているのでは無いか??」
もし、このブログが世界をあっと言わせるような超人気ブログに変わっていたら、
そのときはどうしようか...と思うわけが無いのだが。

それでも...

管理画面とか記事作成画面がいままでとは全く違う形になっていたら...

まぁ、そんなことあろうはずもなく、そこには見慣れた画面が表示されていた。

21_kieta.png

でも、よ~~く見れば、何か雰囲気が違うのである。ホントに...
そう、拙ブログの管理画面、左上にあったはずのものが消えているのである。

ここには...

41_曽根風呂.png

So-netブログのロゴがあったのである。

別に何か自分の身の回りが変わったわけでは無いのだが、2011年にスタートした
拙ブログ、8年半近くお世話になったので。何だか寂しいものである。

さて、それではブログが新しくなったところで久々のこのシリーズ。



1999年9月7日の朝、山陰本線・第3735列車の車内放送を...。

……  ……

「山陰本線・第3735列車」というのは...

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【1999年9月6日】 東海道本線・大阪駅

前夜、大阪駅を23時前に発った急行「だいせん」号。
早朝の倉吉駅から快速列車になるのは、国鉄末期まで夜行の鈍行列車「山陰」号が
あったため。この代替として早朝の出勤・通学の便を図るため急行「だいせん」号の
末端区間(倉吉-出雲市)は快速列車として...急行料金不要で走っていた。

もちろん、寝台車は快速区間でもベッドの使用に支障は無く。

12系座席車と14系15型寝台客車を併結した5両編成、その大阪駅発車直後の
車内放送は前ブログの時代に紹介している(→ こちら)。

そして、この列車、すでに快速列車になって...
米子駅を発車すると「おはよう放送」が流れる(→ こちら)。

ということで、だいぶ前に掲載した記事の“続編”。

何度も書いているように<車内放送マニア>の<変態鉄>。90年台後半はカメラより
MDレコーダ(← これも、いまや死語????)とマイクを持って車内を彷徨いていた。

合成音声の自動放送も導入が進んでいたが、それでも多くの長距離列車で
長い経験を積んだ車掌さんによる肉声の車内放送が行われており。
<車内放送マニア>たちにとって、“特に人気の高かった車掌区”というのが
いくつかあって、自分はそこまですることはできなかったが、列車ごとの担当区所を
調べて、お目当ての車掌区の担当列車を見つけて録音する...という、かなり
拘りの強いマニアもいたもので。

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【2015年8月2日8時09分】 水島臨海鉄道水島本線・倉敷市駅

そんな中、<変態鉄>のこだわりはオルゴールの使用率が異様に高かった
米子区の車掌さん。だから、“国鉄型の最後の牙城”と言われた米子支社管内の
列車に数えきれないほど乗ったのに、写真はほとんど撮っておらず。

このときは「録りたい」というだけの理由で。
何度目かの急行「だいせん」号、前3両がB寝台車だったが、見かける度に
チェックしていると、1号車の寝台券は後回しにする...という発売方法である
ことに気づいたのである。(1号車だけ喫煙車だったが...)
もともと寝台列車には短すぎる、大阪-出雲市間、通常期は寝台は空席が目立った。
2、3号車に数名、1号車は無人というケースが多いことが分かってきて。
「みどりの窓口」で、わざわざ「1号車の寝台券にして下さい」と頼んで...

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【1997年11月14日】 東海道本線・大阪駅

<鉄>として説明しておくと、この当時の「だいせん」号の寝台車は14系15型。
新製時から2段式でつくられたこと、「北陸トンネル火災」を踏まえて火災対策を
強化した“最終モデル”だったのだが、もちろん、14系は14系。

焦げ茶色の旧型客車は台車の「車軸発電機」で車内照明などの電源を賄ったが、
冷房車が基本になると、それでは足りずに。
サービス電源用のディーゼル発電機を備え付けるようになり。24系では編成端に
専用の電源荷物車を繋いだが、14系は床下に発電機が付いた「スハネフ」を
編成中に何両か入れて、ここから隣接する車両に給電していた。
だから、1号車は床下にディーゼル発電機があって。これ、乗車していても
明らかに分かるもの、他車に比べて、それくらい騒音と振動が大きかった。

だから、他の14系寝台列車でも「スハネフ」は他が満席にならない限りは
空っぽで走っていることが多かったのである。

さて、今日の話...

だいぶ前に、同じ下り「だいせん」崩れの快速列車、第3735列車の米子駅発車後の
“おはよう放送”をご紹介した。

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【1999年9月7日】 山陰本線・出雲市駅

ということで、今日は最後の...

最後の停車駅、直江駅を発車して出雲市駅に向かうところを。
直江駅を発車してすぐに“ハイケンスのセレナーデ”が流れる。

特急「おき1号」への乗換案内で「停まります駅は、大田市...」と停車駅を
列挙して紹介しているが、これも当時の米子区の担当列車では“通常モード”。

そして、「出雲大社・日御碕へは出雲市駅からバスを...」と言っている。
これ、単なる観光名所の案内では無く、時には普通列車でも流れていた。

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【2010年6月27日9時27分】 一畑電車・川跡駅

「なぜ、“バス”で“一畑電車”を省くんだろう??」と当時の<変態鉄>は、
これがちょっと不満だったが...

この「出雲大社・日御碕へは」は、当時、よく話題になった。
出雲市駅から2つ目の駅が「出雲神西」駅なのだが...

1982年に開設された駅は「神西」、だが、大社線廃止と観光振興のため、
1993年「出雲大社口」に駅名を改称してしまった。
でも、出雲大社まで10 kmちかく離れた片面ホームの無人駅。
(JRの駅では、出雲大社からの距離が一番短いのは確かだそうで...)
公共交通はおろかタクシーさえ常駐しない駅に参拝客が間違えて降りるというのが
話題になって、この録音の年、1999年に「出雲神西」駅に戻ってしまった。
でも、この放送はしっかり残っており。

<変態鉄>が山陰を訪れていた頃は、必ずこの注記喚起のアナウンスを聞くことが
できたのである。

ついこの前のことだとばかり思っていたが、記事を書くのに、改めてチェックしたら
20年前のこと。自分も歳をとったものである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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コメント 2

skekhtehuacso

ああ、だいせん。
なつかしい!
私は小学生のときに、20系のだいせんに乗りましたよ。
三段式ベッドの中段でした。
by skekhtehuacso (2020-06-01 21:49) 

ferrum_queserasera

skekhtehuacso さん

コメントありがとうございます。
20系、乗ってみたかったです。羨ましい限り。自分にとって「永遠の憧れ」である車両でもあり...

by ferrum_queserasera (2020-06-02 02:08) 

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