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続いて、101記事到達。(← 当たり前。) [その他の<鐵>話]

おかげさまで、このブログに移ってからの記事がこれで101個目となりました。
ご覧いただいている皆さまに、厚く御礼申し上げます。

昨日、100記事の御礼を書いた訳なので、それは当たり前。
「ふざけているのにも、ほどがある!!」とお怒りの方もいらっしゃるかと。

でも、今日はキリ番(??)記事らしく、<鉄>ブログとして「101」に因んだ記事で。
そのトップは...

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【2018年6月24日10時39分】 広島電鉄江波線・江波車庫(公道から撮影)

ひろでん...広島電鉄の101号車。
開業当初の2軸単車を復元したという車輌。
足回りは実際の4輪単車から流用、車体は新製というのだが...

冷房のない車輌、しかもオープンデッキの運転台、暖かい時期に限って土休日の
江波-横川間の運用に入っていたのだが、<変態鉄>が撮ったこのときを最後に
運用を外れ、現在はイベント時に展示されるくらい。

自分は偶然、運用離脱前ギリギリに撮ることができたのだった。

……  ……

そんなオープンデッキの2軸単車。

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【2018年6月24日10時01分】 広島電鉄江波線・土橋電停

その「突然の引退」の一因になったのは、ICカード非対応と言うことだったみたい。
もちろん、ワンマン化されていないので運転時には車掌さんが乗っていて。

黒い車掌カバンを提げて。乗車してくる人たちに車内で現金精算。
でも、ICカード不可だと知って、乗らずに見送る人も多かった。

03_DPP_00007569.JPG
【2018年6月24日10時01分】 広島電鉄本線・土橋電停

幸い、訪れた日の広島は快晴、この電車を追って、江波-横川を往復し続けた。
ちなみに、そのあとは紙屋町バスセンターから高速バスで岡山へと移動して
水島臨海鉄道に“転戦”したのだが...

こちらは、また、もう一度、その勇姿を見たい...と願っている「101」だった。

そして...

<鉄>であれば...

<鉄>にとって「101」といえば...

04_IMG_9202.JPG
【2010年3月30日14時33分】 秩父鉄道・熊谷駅

やはり、こちらではなかろうか。
でも、デジカメで撮った写真はコレ1枚しか残っていなくて。

吊り掛け駆動から脱却して、大幅に乗り心地を改善、それと同時に車体外板の塗色も
焦げ茶色(ブドウ2号)から路線ごとの明るい塗色に変更され。
その第1段となった、日本の電車発達史に残る名車が「101系」。
最初はオレンジバーミリオンの中央線から始まった。

カナリアイエローが山手線(ウグイス色になったのは、もう少し後)など、
焦げ茶色だけだった「国電」を徐々に新性能化していった。

もちろん、<変態鉄>が生まれる前のことなのだが...

05_DPP_00007566.JPG
【2017年11月8日15時47分】 さいたま市大宮区・鉄道博物館

ただ、この「101系」、新性能電車の嚆矢として国鉄技術陣も力が入りすぎたの
だろうか。数が必要な通勤型電車としては性能面はじゅうぶんでも経済性に
難があって。そこを改善した(つまり、ケチった)車輌として、後継の「103系」が
増備されることになる。

<変態鉄>がカメラを持って線路際を彷徨くようになった頃には、103系は
「当たり前の存在」だったものの、既に101系はほとんどが引退後で。

写真のオレンジバーミリオンの車輌は先行試作車として製造されたもの。
廃車後も保存されており、大宮の鉄道博物館を訪れたときに撮ったもの。

06_DPP_00007567.JPG
【2017年11月8日15時47分】 さいたま市大宮区・鉄道博物館

でも、試作車でも、この車内見付けは昭和50年台生まれの<変態鉄>にも
懐かしいものなのである。この実用本位の飾り気のない...
薄緑色の内張、そして、紺色のシート。これが懐かしいのである。
天井に冷房装置がない分、屋根が丸かったのもいまとなっては思い出のシーン。

とはいえ、国鉄末期までには101系はかなりの部分が淘汰されており。

07_016.jpeg
【2002年頃】 鶴見線・浜川崎駅

だから、<変態鉄>の撮った写真を幾ら探しても、出てくるのはコチラばかり。
101系とよく似ている(でも、見比べると“顔立ち”が異なる)
103系は数が多かった分、製造時期も長く後の増備車は「高運転台」となるが...

さてさて。

冒頭の写真は、秩父鉄道に譲渡された後の姿。
国鉄 → JRでは、最後まで残った101系は「南武支線」(尻手-浜川崎)で
活躍していた頃。経済性の観点から当初設計の「オール電動車方式」は断念したが
最後の最後になって、南武支線は最小の2連での運転と言うことで、オールMが
実現したのも何だか皮肉な展開。

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【2002年頃】 南武線・尻手駅

とはいえ、自分がこの「最後の101系」に乗ったのも、たしか2回だけ。
尻手駅で停車中の様子をスナップしたら...

09_007.jpeg
【2002年頃】 南武線・浜川崎駅

次のカットは浜川崎駅のホーム。
これを撮って、さっさと鶴見線に移動していたのである。

う~ん、なぜあのとき...

これまた残念な...、いつになっても変わらない<変態鉄>なのだった。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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