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いすみ鉄道「キハ28 2346 撮影会」_2023.8.24(8) [いすみ鉄道]

HDDを漁っていたら、ちょっと懐かしい写真が。前社長時の時代はキハは朝から夕方まで何往復も走っていた。快速で出庫し、急行、そして、間合い使用のローカル、再び急行...と。暮れの日の短い時期になれば、大多喜入庫となる夕方最後の急行は日没後の運転になって。

ホームの照明設備の関係などもあって、なかなか“バルブ”はうまく行かなかったが、日が暮れてからのキハの運行も思い出のシーン。

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【2013年12月8日16時33分】 いすみ鉄道線・上総東駅

首都圏色に塗り替えられる直前のキハ52 125号車先頭の急行列車が上総東駅に入ってくるシーンを撮影していた。
このとき、キハ52に掲出されていたのが「そと房」、ひらがな書きのヘッドマークだった。

1965年(昭和40年)、当時の房総東線の準急は「外房」のまま「がいぼう」から「そとぼう」に読み方を改める。直後に急行に変わって...
でも、読み方の面で利用者に混乱が合ったようで、ローマ字併記の時期を挟んで、まもなく「そと」をひらがなに変更する。

この頃、夏季輸送だろうか、四国からキハ58系を借り入れる機会があり、いわゆる「ひげ付き」車、そんな時代がこの「外」が「そと」に変わる前後だたようで、担当者さんの時代考証へのこだわり。「外房 SOTOBO」、「そと房」などヘッドマークを作り分けて掲出していたとのこと。
……  ……

2023年8月24日(木)晴れ

撮影会後半戦は、まず、房総のキハの最後の時期。昭和20年代末に気動車モデル線区として千葉にキハ17系が来て、内房線は1969年(昭和44年)、遅れて外房線が1972年(昭和47年)に電化されて、キハの急行は、183系特急と165系急行に後を譲って房総を去ることになる。

それまでの時期、海水浴など房総半島は、東京に住む人たちのレジャーの場所として定着した感があって。この、房総のキハが最後の活躍を見せる頃が「房総夏ダイヤ」のピークだろうか。その後は、房総地区でも道路整備の進展、国鉄の度重なる値上げ、さらに、レジャーの多様化...民宿で雑魚寝のような感じで泊まって海に行く...というスタイルが、生活水準の向上で喜ばれなくなった、など、複合的要因でレジャーの目的地としての房総の地位、さらにそのなかでの国鉄の地位は徐々に下がっていく。

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【2023年8月24日11時24分】 いすみ鉄道線・国吉駅

このあたり、昨日の記事でも触れた通り、変遷がめまぐるしい。
1965年10月改正で準急「外房(がいぼう)」から準急「外房(そとぼう)」に読みを改め。さっそく、翌66年3月に「100 km以上の準急は全て急行格上げ」という方針に従って、急行「外房(そとぼう)」へ。でも、それも、わずか2年後、1968年には「そと房」と平仮名表記に変更される。

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【2023年8月24日11時26分】 いすみ鉄道線・国吉駅

このあたり、房総東線(外房線)と房総西線(内房線)はまさに双子のような感じで。同時に変更が行われており。
同じ期間、使用された急行「内房」のヘッドマーク。

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【2023年8月24日11時28分】 いすみ鉄道線・国吉駅

そして、1968年(昭和43年)に「そと房」へと表記が変更になる。
このまま、(後にヘッドマークは小型化されるが)165系電車を経て1972年(昭和47年)東京駅地下ホーム開業に合わせて、183系特急が走るまで「そと房」の愛称が使われることになる。まぁ、つまり、外房線ディーゼル急行の“最終形”。

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【2023年8月24日11時30分】 いすみ鉄道線・国吉駅

ということで、キハ30形とツーショット。

ここまで、内房と外房で、同時に変更が行われていたのは、当時の房総急行は“循環急行”が中心で。
だから、「うち房」と「そと房」は別々の列車ではなく、千葉以西では併結運転だったし、房総では安房鴨川駅を境に名称を“取っ替えっこ”することになっていた。(館山〜安房鴨川間は普通扱いになるケースもあって...)

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【2023年8月24日11時31分】 いすみ鉄道線・国吉駅

同じく「うち房」を。前述の通り、平仮名表記に改められたのは1968年(昭和43年)。
ずっと、外房と一緒に歩んできたのだが...

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【2023年8月24日11時32分】 いすみ鉄道線・国吉駅

房総西線(内房線)の方が電化が早かったのである。木更津〜千倉間の電化開業が翌69年7月。
「そと房」よりもひと足早く165系電車に変更され。つまり、こちらの「ディーゼル急行『うち房』」はちょうど1年間しか走らなかったことになる。

さて、続いて...

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【2023年8月24日11時37分】 いすみ鉄道線・国吉駅

急行「フラミンゴ」号。あまり聞き覚えのない列車名だと思ったら、房総東線(外房線)の不定期急行。1967年〜1968年の春のシーズンに週末を中心に運転されたと思われ。

命名の由来は、担当者がピ※クレディー好き...とか、そういうことではなく、行川アイランドで飼育されていたフラミンゴ。
でも、この列車、特筆されるのは「ワッペン列車」だったとされること。

「いや、それなら全席指定で運転すれば??」などと思ってしまうのだが、国鉄 → JRでは「ホームライナー」くらいしか知らなかった“座席定員制”急行。自由席車に始発駅で乗車する場合、列車ごとに国鉄から発行されるワッペンを身に着けて。ワッペンを着用した人から優先的に着席できるというサービスだった。当時の時刻表などを探してみると「ワ」という記号が書かれている列車があって。

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【2023年8月24日11時39分】 いすみ鉄道線・国吉駅

この「フラミンゴ」号をはじめ「フラワー」「つのぶえ」など房総地区と、他には東海道(湘南方面)・中央東線(山梨・奥多摩方面)など。週末の行楽列車を中心に設定されていたみたい。

当時、新宿駅でも「フラミンゴ」号の運転に合わせて新宿駅のホーム上に、リゾート風の...何というか、小学校の運動会の“入場門”のような感じだろうか...ゲートのような飾り付けをして、行楽客を出迎えたと言われており。でも、当初は気合が入っていたが、この「ワッペン列車」という制度、関東ローカルの制度だったようで、定着すること無く数年で姿を消している。

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【2023年8月24日11時41分】 いすみ鉄道線・国吉駅

ちょうど、それと同じ時期、「うち房」の夏ダイヤでの増発便と、定期の循環急行の房総西線(内房線)内の区間が急行「うちうみ」に変更され。(つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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