青梅鉄道公園お別れ訪問記 2023.8.22(2) [保存車・博物館・廃線跡]
静態保存車を改めて撮ってみたいということと、館内展示に気になっているモノがあったということ。それがキッカケで、この真夏の時期に“葬式鉄”に出かけることにしたわけで。
コレが実は3度めの訪問なのである。
ということで、各静態保存車の前に、<変態鉄>が過去訪れたときの写真を。
【2023年8月22日10時20分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
同園の60年のあゆみの中で<変態鉄>の初訪問は1993年2月、中学3年生の頃だった。
変わらない部分もあれば、その自分が知ってからの30年間でも変わった部分があって。
その初訪問の写真、なぜか、当時としては珍しかった4桁ISOのネガカラーで撮っていた。なぜか...う〜ん。パッと見ても分かるほど画質が悪くて。
さらにネガの保存状態も悪くて。酷い写真が続いてしまうのだが...
…… ……
2023年8月22日(火)曇り時々雨
開園から60周年、鉄道90周年事業の一環で開園して、150年を向かえたところでいったん閉園。
【2023年8月22日11時05分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
今後は中央線・青梅線といった地元の路線についての展示を充実させるべく、展示車両もSL主体のラインナップから変更になるのだとか。
豊田で保管されている201系が来ることになったのが発表済みだが...
長野で解体待ちになっている中から、183系とか115系とか、そのあたりを集めるのだろうか??
初訪問から30年、あまり変わらなかったのは、エントランスの右側。
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
入園して最初に視界に入ってくる静態保存車は、デゴイチ、D51 452号機である。集煙装置を付けた厳しい姿は貨物機関車らしい...というか。
自分としては好きな姿である。その前に、「青梅鉄道公園」と刻まれており。その揮毫は“新幹線の父”、十河総裁である。
とはいえ、自分が最初に行ってからの30年間でも展示車両は少しずつ入れ替わっており。
この93年の写真、今日のトップ写真と思わぬ形で“定点比較”となった。この「青梅鉄道公園」の碑、池のような水の上にあるのが30年経って、そこが花壇になっているのも変化だろうか。
でも、最大の変化は写真の左隅。D51の向こうにもう1機のSLが写っているのが1993年のカット、でも、この日のカットでは茶色い旧型国電に変わっている。
丸っこいドームがチラッと見えているのは、戦前の東海道本線で特別急行列車の牽引にもあたったC51形蒸気機関車だろうか。大宮の鉄道博物館に移設されている。代わりに、クモハ40形が展示されており。
【2014年2月22日11時06分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
そのクモハ40形が気になって訪問したのは、2014年のやはり2月だった。
しかし...
前日は雪で東京は大混乱だった。まさに雪晴れの1日、日中にはほぼ交通機関も平常運転に戻っていたが、それにしても、なぜ、そんな日に??
保存車のいるあたりは陽当りの悪いところもあって、足回りが隠れるくらいの積雪が残っていて近づけない車両もあって。
ようやく、この日、閉園を前に9年越しで、クモハ40054号車の姿を撮ることができたのだった。
【2014年2月22日11時13分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
その、2014年の訪問時の写真の中にはこの機関車の姿も。
2023年現在、奥のSLの展示線のところ、最前方に不自然な隙間と、白く塗りつぶされた説明板があって。
鉄道院110号機関車である。現在は桜木町駅近くのビル内に移設されているとのことで。当時は、国鉄内部の教材用にボイラーが切開された状態での展示だった。(移設にあたり復元されているのだとか)
【2023年8月22日11時02分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
この写真にちょっと見えているが、この30年間での大きな変化として、静態保存車両に、0系新幹線を除いて上屋が新設されたこと。
「静態保存には上屋が必要」みたいな言説がネット上では多いが、その分、写真が撮りにくくなったのは事実。
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
<変態鉄>の好きな蒸機、キューロクは昔も今も一番奥に展示されているが、かつては、その手前の腕木式信号と絡めて撮れていた。
ただし、逆光なので酷い写真だが...
…… ……
こうして見てみると、やはり、30年という時間の長さを。
まぁ、その中で自分の撮影の腕だけは変わっていないのだが。
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
1993年のこの日、<変態ガキ鉄>が青梅を訪れた理由の1つは、青梅線を「乗りつぶし」することもあったようで。
同じネガには奥多摩駅の折返しで撮ったカットも。EF64と赤いホキ車の群れも撮っていたし...
当時、もちろん中央線快速は201系だったが、青梅・五日市線には103系も居て。オレンジバーミリオンの103系で往復したみたいだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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ということで、各静態保存車の前に、<変態鉄>が過去訪れたときの写真を。
【2023年8月22日10時20分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
同園の60年のあゆみの中で<変態鉄>の初訪問は1993年2月、中学3年生の頃だった。
変わらない部分もあれば、その自分が知ってからの30年間でも変わった部分があって。
その初訪問の写真、なぜか、当時としては珍しかった4桁ISOのネガカラーで撮っていた。なぜか...う〜ん。パッと見ても分かるほど画質が悪くて。
さらにネガの保存状態も悪くて。酷い写真が続いてしまうのだが...
…… ……
2023年8月22日(火)曇り時々雨
開園から60周年、鉄道90周年事業の一環で開園して、150年を向かえたところでいったん閉園。
【2023年8月22日11時05分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
今後は中央線・青梅線といった地元の路線についての展示を充実させるべく、展示車両もSL主体のラインナップから変更になるのだとか。
豊田で保管されている201系が来ることになったのが発表済みだが...
長野で解体待ちになっている中から、183系とか115系とか、そのあたりを集めるのだろうか??
初訪問から30年、あまり変わらなかったのは、エントランスの右側。
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
入園して最初に視界に入ってくる静態保存車は、デゴイチ、D51 452号機である。集煙装置を付けた厳しい姿は貨物機関車らしい...というか。
自分としては好きな姿である。その前に、「青梅鉄道公園」と刻まれており。その揮毫は“新幹線の父”、十河総裁である。
とはいえ、自分が最初に行ってからの30年間でも展示車両は少しずつ入れ替わっており。
この93年の写真、今日のトップ写真と思わぬ形で“定点比較”となった。この「青梅鉄道公園」の碑、池のような水の上にあるのが30年経って、そこが花壇になっているのも変化だろうか。
でも、最大の変化は写真の左隅。D51の向こうにもう1機のSLが写っているのが1993年のカット、でも、この日のカットでは茶色い旧型国電に変わっている。
丸っこいドームがチラッと見えているのは、戦前の東海道本線で特別急行列車の牽引にもあたったC51形蒸気機関車だろうか。大宮の鉄道博物館に移設されている。代わりに、クモハ40形が展示されており。
【2014年2月22日11時06分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
そのクモハ40形が気になって訪問したのは、2014年のやはり2月だった。
しかし...
前日は雪で東京は大混乱だった。まさに雪晴れの1日、日中にはほぼ交通機関も平常運転に戻っていたが、それにしても、なぜ、そんな日に??
保存車のいるあたりは陽当りの悪いところもあって、足回りが隠れるくらいの積雪が残っていて近づけない車両もあって。
ようやく、この日、閉園を前に9年越しで、クモハ40054号車の姿を撮ることができたのだった。
【2014年2月22日11時13分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
その、2014年の訪問時の写真の中にはこの機関車の姿も。
2023年現在、奥のSLの展示線のところ、最前方に不自然な隙間と、白く塗りつぶされた説明板があって。
鉄道院110号機関車である。現在は桜木町駅近くのビル内に移設されているとのことで。当時は、国鉄内部の教材用にボイラーが切開された状態での展示だった。(移設にあたり復元されているのだとか)
【2023年8月22日11時02分】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
この写真にちょっと見えているが、この30年間での大きな変化として、静態保存車両に、0系新幹線を除いて上屋が新設されたこと。
「静態保存には上屋が必要」みたいな言説がネット上では多いが、その分、写真が撮りにくくなったのは事実。
【1993年2月頃】 東京都青梅市勝沼・青梅鉄道公園
<変態鉄>の好きな蒸機、キューロクは昔も今も一番奥に展示されているが、かつては、その手前の腕木式信号と絡めて撮れていた。
ただし、逆光なので酷い写真だが...
…… ……
こうして見てみると、やはり、30年という時間の長さを。
まぁ、その中で自分の撮影の腕だけは変わっていないのだが。
【1993年2月頃】 青梅線・奥多摩駅
1993年のこの日、<変態ガキ鉄>が青梅を訪れた理由の1つは、青梅線を「乗りつぶし」することもあったようで。
同じネガには奥多摩駅の折返しで撮ったカットも。EF64と赤いホキ車の群れも撮っていたし...
当時、もちろん中央線快速は201系だったが、青梅・五日市線には103系も居て。オレンジバーミリオンの103系で往復したみたいだった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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