おうちで「ことでんレトロ」特別運行(1)過去写真で振り返る特別運行 [高松琴平電鉄]
自宅にいると、アレコレ、いろいろなことを考えてしまうもの。
ということで、今日・明日は水島臨海鉄道の撮影記はいったんお休みをいただいて...。
やっぱり、大型連休は“出撃”したかった。
この大型連休は、特別なもの...になる筈だった。ことでん、高松琴平電鉄の前身・琴平電鉄が開業してから約95年、活躍した「レトロ電車」2両の、とうとう最後の運転となり。
30日の午後のヒコーキで高松に向かい、4日まで滞在して、ことでんレトロの最後の姿を思う存分、記録してこようと思っていた。この時期にもかかわらず、仏生山車両所での撮影会を定員制ではなく、公開しての形で企画してくれたのも嬉しかった。
でも、全ては「筈だった」になるのである。このコロナ禍で関西を中心に、東京にも「緊急事態宣言」が発出されれば、ことでんのイベントが中止になるのは予想できた。こういう時期だけにホテルもヒコーキも無手数料払戻しになったが、そんなことは兎も角、やはり、高松に行きたかった。
幸い、レトロ電車2両の引退は、とりあえず「夏頃まで延期」となったが、そう、<変態鉄>は勤務先の事情で去年の夏よりも今年の方が忙しくなることが明らかなのである。
ということで、いったんは発表されていた、5月1日~3日の(最後の)「レトロ電車特別運行」。
“もし、行われていたら...”という<変態鉄>の妄想で、120号車と300号車の写真を中心に振り返ってみたい。
<変態鉄>が腰を据えて「ことでんレトロ」を撮ったのは、2015年からの約7年間。レトロ電車の歴史の中の1割にも満たない僅かな期間である。
【2017年5月7日9時41分】 高松琴平電鉄長尾線・瓦町駅
にもかかわらず、この生え抜き2両の編成、120号+300号の編成はたくさん撮っている。
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<< おことわり >>
2021年5月1~3日の高松琴平電鉄「レトロ電車特別運行」は全て中止になっています。
この記事に掲載の写真は、すべて過去の「特別運行」や貸切運転の時に撮影したものです。
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…… ……
今回の「特別運行」を最後の花道に有終の美を飾る予定だったのは、1000形120号車と3000形300号車の2両。
初めて出会ったのは、2000年頃。まだ、<変態鉄>が大学生の頃。ちょうど瓦町駅が新しいビルになってから、ことちゃんが誕生するまでの間。
だから、このころは、まだカタカナ書きの「コトデン」だった。1080形をはじめとする冷房車も徐々に増えており、名古屋の地下鉄から来た電車が俗に言う“そごう色”を纏って走っていた。
そんな時期だけに「レトロ電車」なんていう呼び名も無かった。
当時は長尾線も琴平線も、日中でも吊り掛け電車の運用があった。
【2000年頃】 高松琴平電鉄長尾線・高松築港-片原町
玉藻城のあのポイントで、朝の長尾線運用に入っていた姿を撮ったのが120号車との出会い。
当時は路線毎のカラーでは無く、“そごう色”になっていない電車は全部、下半・ファンタンゴレッド、上半・オパールホワイトの旧標準色だった。
だからこそ、自分にとってはコレが一番、しっくり来る「ことでん」の車体色。
ちなみにこの日、ペアを組んでいたのは一回り大柄な電車。こちらは瀬戸内海の向こう側、玉野市電からやってきた760号車だったみたい。
同車は、現在も静態保存されている。
【2000年頃】 高松琴平電鉄長尾線・瓦町駅付近
300号との出会いも、このとき。長尾線の運用予備車が瓦町駅の構内外れに留置されるのはいまも昔も変わらないが、ここで撮った300号車を20年後に撮っているとは思わなかった。
どちらも製造は1926年(大正15年)、14 m級の半鋼製車体をもつ電車という点では同じといえる。前者(1000形)は汽車製造、後者(3000形)は日本車輌製。台車などの差異や、車体も窓隅のRの有無や戸袋窓の形などの違いが目立っていた
志度線、長尾線が路面電車からスタートしたのとは異なり、大正時代の地方私鉄でこの電車というのは豪華すぎたような...
【2017年5月4日9時34分】 高松琴平電鉄・3000形300号車(琴電琴平駅)
ちなみに、300号車の戸袋窓。上の瓦町駅近くで撮ったスナップでは、ごくフツーのHゴム支持の四角い窓だが、後に外観だけ製造当初の楕円窓に復元されている。
そんなレトロ電車、古いだけあってゆっくりゆっくり走るのかと思いきや、現行の電車とは変わらないスピードで。豪快な吊り掛けサウンドを轟かせながら、爆走するのもなかなか楽しいもので。
【2017年5月7日9時45分】 高松琴平電鉄・3000形300号車
ただ、いつも撮るのに夢中になっていて、乗った経験というのは少ないのは、ちょっと悔やまれるところ。
さて、今回の5月1日~3日の特別運行をもって、最後の2両が引退するわけだが...
公開されていた運行スケジュールによれば、1日は1070形との併結運転。2日は長尾線の特別運行。
どちらも、自分は、過去の特別運行で1回ずつ撮っている。
【2020年11月22日11時52分】 高松琴平電鉄琴平線・羽間-榎井
相方の1070形編成が違う方になっているが、1070形2連+120+300 の4両編成は、1日の午後に撮っていたはず。
これは昨年末の特別運行の時の編成。そのときは、1070形が目立つように榎井の土器川鉄橋で撮った。ここ、午前中の方がキレイに撮れるので、今回、この編成をこの構図で撮るのは厳しかったかも。
ちなみに、この日は午後から天気が崩れて、午後の復路は「撮るだけ撮った」という写真になって。
だからこそ、還暦と卒寿の貴重な編成、晴れていたら、昨日は一宮-円座の香東川鉄橋で、河床の、ど真ん中であの石の上に座ってサイドからカメラを構えていたように思う。
そして、今日、5月2日は...。
【2019年5月3日8時17分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
ことでんのイルカ駅員「ことちゃん」の奥様、ことみちゃんの誕生日。
そして、レトロ電車は2両編成になって9時から17時まで長尾線を往復する予定になっていて。
実は、この「長尾線レトロ」は、従来、撮れるチャンスが少なかった。全線単線の長尾線、琴平線と違って交換設備のある駅が限定され。
だから、これまで長尾線のイベント列車といえば、朝8時に瓦町を出て長尾までの1往復に限定され。
そう、土休日運休になっているスジを“復活”させる形で設定されるのが通例だった。
【2017年5月7日8時35分】 高松琴平電鉄長尾線・学園通り-白山
だから、一発勝負。
実は自分は「長尾線レトロ」をちゃんと撮ることができたのは、このときだけだった。
朝、思いっきり早起きして。日頃の不摂生がたたって息も絶え絶え、白山の頂上からカメラを向けたのだった。
【2017年5月7日8時37分】 高松琴平電鉄長尾線・学園通り-平木
何往復もあるのなら、絶対に撮りに行きたいのは、この写真で写真中央の大型商業施設の奥、レトロ電車の後ろ(手前)の鉄橋である。
たぶん、スゴい人出になっていたような...
ドの付くほどの“定番”であっても、あの階段橋脚とレトロ電車の組合せは外せない。
長尾線レトロが設定できるようになったのは、コロナ禍で減便されたことで日中のスジにちょっと余裕ができたことが原因とも考えられ。
そういう意味では怪我の功名(???)的な部分かも知れないが、<鉄>としてはワクワクすることだが、単純に喜ぶわけにもいかないような...微妙な気持ち。
…… ……
そして、最後の日。
5月3日は、たぶん琴平線の初電で仏生山駅に駆けつけたのでは無かろうか。もう、いてもたってもいられない...という感じ。
【2016年4月30日12時37分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
そう、仏生山車両所での撮影会である。現役最後とあっては、いままで見たことが無かったようなレアな方向板やヘッドマークも登場したかも知れない。
そのあたり、妄想はどんどん膨らんでいくのである。
【2016年4月30日10時37分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
この5月のレトロ撮影会、<変態鉄>も2016年から毎年、参加してきた。毎年、レトロ電車4両が勢揃いしていたが、すでに2両は引退しており、となれば
レトロ電車は2両になってしまって。でも、その300号と事実上の“兄弟分”となっているのが「デカ形」。
【2016年4月30日10時44分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
当初は今橋工場にあった資材と古典台車を組み合わせてつくられたが、2008年の修繕工事で3000形315号車の流用品の機器に交換されている。
ということで、<変態鉄>としては、レトロ電車2両+デカ1 の“そろい踏み”に期待していた。
…… ……
ということで、過去写真で振り返り、勝手に“妄想のレトロ電車特別運行”を一人で開催している<変態鉄>。
なお、記事内容は全て<変態鉄>の妄想に基づくものであることをご了承願いたい。
明日もこの話題を。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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ということで、今日・明日は水島臨海鉄道の撮影記はいったんお休みをいただいて...。
やっぱり、大型連休は“出撃”したかった。
この大型連休は、特別なもの...になる筈だった。ことでん、高松琴平電鉄の前身・琴平電鉄が開業してから約95年、活躍した「レトロ電車」2両の、とうとう最後の運転となり。
30日の午後のヒコーキで高松に向かい、4日まで滞在して、ことでんレトロの最後の姿を思う存分、記録してこようと思っていた。この時期にもかかわらず、仏生山車両所での撮影会を定員制ではなく、公開しての形で企画してくれたのも嬉しかった。
でも、全ては「筈だった」になるのである。このコロナ禍で関西を中心に、東京にも「緊急事態宣言」が発出されれば、ことでんのイベントが中止になるのは予想できた。こういう時期だけにホテルもヒコーキも無手数料払戻しになったが、そんなことは兎も角、やはり、高松に行きたかった。
幸い、レトロ電車2両の引退は、とりあえず「夏頃まで延期」となったが、そう、<変態鉄>は勤務先の事情で去年の夏よりも今年の方が忙しくなることが明らかなのである。
ということで、いったんは発表されていた、5月1日~3日の(最後の)「レトロ電車特別運行」。
“もし、行われていたら...”という<変態鉄>の妄想で、120号車と300号車の写真を中心に振り返ってみたい。
<変態鉄>が腰を据えて「ことでんレトロ」を撮ったのは、2015年からの約7年間。レトロ電車の歴史の中の1割にも満たない僅かな期間である。
【2017年5月7日9時41分】 高松琴平電鉄長尾線・瓦町駅
にもかかわらず、この生え抜き2両の編成、120号+300号の編成はたくさん撮っている。
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2021年5月1~3日の高松琴平電鉄「レトロ電車特別運行」は全て中止になっています。
この記事に掲載の写真は、すべて過去の「特別運行」や貸切運転の時に撮影したものです。
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今回の「特別運行」を最後の花道に有終の美を飾る予定だったのは、1000形120号車と3000形300号車の2両。
初めて出会ったのは、2000年頃。まだ、<変態鉄>が大学生の頃。ちょうど瓦町駅が新しいビルになってから、ことちゃんが誕生するまでの間。
だから、このころは、まだカタカナ書きの「コトデン」だった。1080形をはじめとする冷房車も徐々に増えており、名古屋の地下鉄から来た電車が俗に言う“そごう色”を纏って走っていた。
そんな時期だけに「レトロ電車」なんていう呼び名も無かった。
当時は長尾線も琴平線も、日中でも吊り掛け電車の運用があった。
【2000年頃】 高松琴平電鉄長尾線・高松築港-片原町
玉藻城のあのポイントで、朝の長尾線運用に入っていた姿を撮ったのが120号車との出会い。
当時は路線毎のカラーでは無く、“そごう色”になっていない電車は全部、下半・ファンタンゴレッド、上半・オパールホワイトの旧標準色だった。
だからこそ、自分にとってはコレが一番、しっくり来る「ことでん」の車体色。
ちなみにこの日、ペアを組んでいたのは一回り大柄な電車。こちらは瀬戸内海の向こう側、玉野市電からやってきた760号車だったみたい。
同車は、現在も静態保存されている。
【2000年頃】 高松琴平電鉄長尾線・瓦町駅付近
300号との出会いも、このとき。長尾線の運用予備車が瓦町駅の構内外れに留置されるのはいまも昔も変わらないが、ここで撮った300号車を20年後に撮っているとは思わなかった。
どちらも製造は1926年(大正15年)、14 m級の半鋼製車体をもつ電車という点では同じといえる。前者(1000形)は汽車製造、後者(3000形)は日本車輌製。台車などの差異や、車体も窓隅のRの有無や戸袋窓の形などの違いが目立っていた
志度線、長尾線が路面電車からスタートしたのとは異なり、大正時代の地方私鉄でこの電車というのは豪華すぎたような...
【2017年5月4日9時34分】 高松琴平電鉄・3000形300号車(琴電琴平駅)
ちなみに、300号車の戸袋窓。上の瓦町駅近くで撮ったスナップでは、ごくフツーのHゴム支持の四角い窓だが、後に外観だけ製造当初の楕円窓に復元されている。
そんなレトロ電車、古いだけあってゆっくりゆっくり走るのかと思いきや、現行の電車とは変わらないスピードで。豪快な吊り掛けサウンドを轟かせながら、爆走するのもなかなか楽しいもので。
【2017年5月7日9時45分】 高松琴平電鉄・3000形300号車
ただ、いつも撮るのに夢中になっていて、乗った経験というのは少ないのは、ちょっと悔やまれるところ。
さて、今回の5月1日~3日の特別運行をもって、最後の2両が引退するわけだが...
公開されていた運行スケジュールによれば、1日は1070形との併結運転。2日は長尾線の特別運行。
どちらも、自分は、過去の特別運行で1回ずつ撮っている。
【2020年11月22日11時52分】 高松琴平電鉄琴平線・羽間-榎井
相方の1070形編成が違う方になっているが、1070形2連+120+300 の4両編成は、1日の午後に撮っていたはず。
これは昨年末の特別運行の時の編成。そのときは、1070形が目立つように榎井の土器川鉄橋で撮った。ここ、午前中の方がキレイに撮れるので、今回、この編成をこの構図で撮るのは厳しかったかも。
ちなみに、この日は午後から天気が崩れて、午後の復路は「撮るだけ撮った」という写真になって。
だからこそ、還暦と卒寿の貴重な編成、晴れていたら、昨日は一宮-円座の香東川鉄橋で、河床の、ど真ん中であの石の上に座ってサイドからカメラを構えていたように思う。
そして、今日、5月2日は...。
【2019年5月3日8時17分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
ことでんのイルカ駅員「ことちゃん」の奥様、ことみちゃんの誕生日。
そして、レトロ電車は2両編成になって9時から17時まで長尾線を往復する予定になっていて。
実は、この「長尾線レトロ」は、従来、撮れるチャンスが少なかった。全線単線の長尾線、琴平線と違って交換設備のある駅が限定され。
だから、これまで長尾線のイベント列車といえば、朝8時に瓦町を出て長尾までの1往復に限定され。
そう、土休日運休になっているスジを“復活”させる形で設定されるのが通例だった。
【2017年5月7日8時35分】 高松琴平電鉄長尾線・学園通り-白山
だから、一発勝負。
実は自分は「長尾線レトロ」をちゃんと撮ることができたのは、このときだけだった。
朝、思いっきり早起きして。日頃の不摂生がたたって息も絶え絶え、白山の頂上からカメラを向けたのだった。
【2017年5月7日8時37分】 高松琴平電鉄長尾線・学園通り-平木
何往復もあるのなら、絶対に撮りに行きたいのは、この写真で写真中央の大型商業施設の奥、レトロ電車の後ろ(手前)の鉄橋である。
たぶん、スゴい人出になっていたような...
ドの付くほどの“定番”であっても、あの階段橋脚とレトロ電車の組合せは外せない。
長尾線レトロが設定できるようになったのは、コロナ禍で減便されたことで日中のスジにちょっと余裕ができたことが原因とも考えられ。
そういう意味では怪我の功名(???)的な部分かも知れないが、<鉄>としてはワクワクすることだが、単純に喜ぶわけにもいかないような...微妙な気持ち。
…… ……
そして、最後の日。
5月3日は、たぶん琴平線の初電で仏生山駅に駆けつけたのでは無かろうか。もう、いてもたってもいられない...という感じ。
【2016年4月30日12時37分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
そう、仏生山車両所での撮影会である。現役最後とあっては、いままで見たことが無かったようなレアな方向板やヘッドマークも登場したかも知れない。
そのあたり、妄想はどんどん膨らんでいくのである。
【2016年4月30日10時37分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
この5月のレトロ撮影会、<変態鉄>も2016年から毎年、参加してきた。毎年、レトロ電車4両が勢揃いしていたが、すでに2両は引退しており、となれば
レトロ電車は2両になってしまって。でも、その300号と事実上の“兄弟分”となっているのが「デカ形」。
【2016年4月30日10時44分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近
当初は今橋工場にあった資材と古典台車を組み合わせてつくられたが、2008年の修繕工事で3000形315号車の流用品の機器に交換されている。
ということで、<変態鉄>としては、レトロ電車2両+デカ1 の“そろい踏み”に期待していた。
…… ……
ということで、過去写真で振り返り、勝手に“妄想のレトロ電車特別運行”を一人で開催している<変態鉄>。
なお、記事内容は全て<変態鉄>の妄想に基づくものであることをご了承願いたい。
明日もこの話題を。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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