「みまスロ」がニハチゴハチだった頃(1)プロローグ [<鉄>な撮影記・旅行記録]
<会社員鉄>としての<変態鉄>。今回ほど長期にわたるのは珍しくないが
連続して“出撃”できないというケースは少なくない。
普段から公休日に限って天気が崩れる...というのは自分にはよくあるケース。
だから、拙ブログを続けていく上でも、そういう“出かけられない”場合に備え、
予め準備している記事があるもので。
昨日までの北陸新幹線開業時の小型記念通信日付印のシリーズもそう。
本文こそ書き終えていなかったが、小型印などの画像はスキャンして準備して
いたのだった。「いつか、書こう...」と。
とうとう...
コロナ禍に拙ブログも被害を受けて(笑)。とうとう、ネタ切れの日が来た。
まぁ、4月からよく頑張ったという感じだが...
ということで、本当はもっともっと調べてから時間をかけて書きたかったが、
“緊急登場”のこのシリーズ。
【2008年5月9日15時33分】 因美線・美作河井-知和
岡山県北部を走るローカル線が「因美線」(いんびせん)。
そこに春と秋、農繁期を避けて設定される...という変わったイベント列車が
「みまさかスローライフ列車」である。
2007年秋の運転に“初参戦”、そこからキハ58系引退の2010年までほぼ欠かさず
通ったのである。
…… ……
世の中が変わることで、人の流れが変わる...のは、よくあることで。
JR化後も鳥取と岡山を結ぶ“陰陽連絡”のメインルートして急行「砂丘」号が
走っていた路線だが、2000年台に入ると単行ワンマンのローカル列車が1日に何本か
走るだけの路線になっていた。
隣に高規格の智頭急行が開業し、陰陽連絡を担うのも古くからの山間をゆく
ローカル急行よりも、トンネルと高架の路線に新型特急「スーパーはくと」で。
県南の県都・岡山市と県北の津山市を結ぶ路線...として南の津山線は
快速列車の設定も残って。
【2007年11月9日11時12分】 JR西日本・津山鉄道部
県北の中心地であるはずの...城下町・津山もお世辞にも景気が良さそうな街とは
呼べない、典型的な地方都市である。
そこから山に分け入り、県境にのびるローカル線が因美線。
直通需要がなくなれば、そこが寂れるのは必然の流れだった。
あくまで“噂話”として地元の人に教えてもらったのは、地元に対して
この状況が続けば、将来的に鉄道の存続は難しくなってくるという話が
非公式に伝えられたとか、伝えられなかったとか。
【2016年6月12日11時19分】 岡山県津山市・津山まなびの鉄道館
当時の津山鉄道部の上層部に、こういう集客イベントに長けた人が居たとか
居なかったとか。
陰陽連絡急行のメインルートとして栄えた因美線、ぬぁんと..
初回は他社に...海の向こうのJR四国・松山運転所に残っていた、
その急行「砂丘」号と同じキハ65形を借り入れて。そして、その次は、ちょうど
同じJR西日本・広島支社で芸備線に残った急行列車のキハ58系が引退して。
ぬぁんと、その廃車予定のキハ28・58編成を岡山支社に転入させて。
さらに下関の工場に入場させ、転属に際して国鉄急行色に“復刻”。
そこから3年余りにわたって、「みまスロ」をはじめ、西日本各地のイベント列車で
活躍したのである。
<変態鉄>にとっても「まさか...」だった。
そこから2010年秋の最終運転まで、毎シーズン、運転日の中の1日くらいは
スケジュールの調整を付けて通ったのである。
【2016年6月12日13時55分】 津山線・弓削-誕生寺(後追い)
「だった」と書いているが、今春こそ“コロナ禍”で運休になったものの、
いまも継続中のイベント列車である。ただ、キハ47系「ノスタルジー」に
交替してからは、西日本特有のリニューアル車で...。
あのふざけた窓枠が許せないのである。(※ 個人の感想です)
【2007年11月9日16時12分】 因美線・美作河井駅
正午に津山駅を出て、鳥取県に入ったところの智頭駅に15時前、
すぐの折返しで17時前に津山駅に戻ってくるという列車だった。
普通列車で1時間の区間を往路は3時間、復路2時間というのは、途中停車駅で
“バカ停(長時間停車)”の連続。これが、この列車の「目的」だった。
5月の大型連休の次の週末と11月中旬の週末に運転されるのも、その理由。
急行「砂丘」号があった頃は因美線は最後までタブレット閉塞だった。
この方式、写真を撮る方にとっては最高の被写体だが、実は業務の合理化が
絶対にできない方式で。つまり、上下列車の交換ができる駅では機器の取り扱いを
担当する駅員さんを必ず常駐させないとならず。
でも、急行廃止とほぼ同時に自動化、もちろん駅は無人化。
ほとんど利用客もない駅は寂れて...
【2007年11月9日9時13分】 山陽新幹線・岡山駅
春と秋、農繁期のピークを避けて設定されたのは、そこに人が集まるように...
地元のオバチャンたちが集まって、テントをひろげて飲み物などを振る舞ったり、
ちょっとした郷土料理やお土産などの販売が行われ。
地元の方とのふれあいを楽しむというのがこの列車の設定目的。
それを機に、地元の方たち...もちろん、普段の移動はマイカー...に、
このローカル線の存在を意識してもらうというのが本当の目的だったみたいで。
その集客の要に、<鉄>の人気のキハ58系を抜擢。
2007年秋の運転が<変態鉄>にとっての“初参戦”。
津山駅12時発...といえば東京をゆっくり発っても何とかなりそうな気がするのだが
岡山-津山のアクセスが意外とボトルネックで。
このときだけは、朝一番の「のぞみ」で駆けつけたのだった。
おっと、撮影記に入る前に、こんなに長くなったので、今日はこの辺で。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
連続して“出撃”できないというケースは少なくない。
普段から公休日に限って天気が崩れる...というのは自分にはよくあるケース。
だから、拙ブログを続けていく上でも、そういう“出かけられない”場合に備え、
予め準備している記事があるもので。
昨日までの北陸新幹線開業時の小型記念通信日付印のシリーズもそう。
本文こそ書き終えていなかったが、小型印などの画像はスキャンして準備して
いたのだった。「いつか、書こう...」と。
とうとう...
コロナ禍に拙ブログも被害を受けて(笑)。とうとう、ネタ切れの日が来た。
まぁ、4月からよく頑張ったという感じだが...
ということで、本当はもっともっと調べてから時間をかけて書きたかったが、
“緊急登場”のこのシリーズ。
【2008年5月9日15時33分】 因美線・美作河井-知和
岡山県北部を走るローカル線が「因美線」(いんびせん)。
そこに春と秋、農繁期を避けて設定される...という変わったイベント列車が
「みまさかスローライフ列車」である。
2007年秋の運転に“初参戦”、そこからキハ58系引退の2010年までほぼ欠かさず
通ったのである。
…… ……
世の中が変わることで、人の流れが変わる...のは、よくあることで。
JR化後も鳥取と岡山を結ぶ“陰陽連絡”のメインルートして急行「砂丘」号が
走っていた路線だが、2000年台に入ると単行ワンマンのローカル列車が1日に何本か
走るだけの路線になっていた。
隣に高規格の智頭急行が開業し、陰陽連絡を担うのも古くからの山間をゆく
ローカル急行よりも、トンネルと高架の路線に新型特急「スーパーはくと」で。
県南の県都・岡山市と県北の津山市を結ぶ路線...として南の津山線は
快速列車の設定も残って。
【2007年11月9日11時12分】 JR西日本・津山鉄道部
県北の中心地であるはずの...城下町・津山もお世辞にも景気が良さそうな街とは
呼べない、典型的な地方都市である。
そこから山に分け入り、県境にのびるローカル線が因美線。
直通需要がなくなれば、そこが寂れるのは必然の流れだった。
あくまで“噂話”として地元の人に教えてもらったのは、地元に対して
この状況が続けば、将来的に鉄道の存続は難しくなってくるという話が
非公式に伝えられたとか、伝えられなかったとか。
【2016年6月12日11時19分】 岡山県津山市・津山まなびの鉄道館
当時の津山鉄道部の上層部に、こういう集客イベントに長けた人が居たとか
居なかったとか。
陰陽連絡急行のメインルートとして栄えた因美線、ぬぁんと..
初回は他社に...海の向こうのJR四国・松山運転所に残っていた、
その急行「砂丘」号と同じキハ65形を借り入れて。そして、その次は、ちょうど
同じJR西日本・広島支社で芸備線に残った急行列車のキハ58系が引退して。
ぬぁんと、その廃車予定のキハ28・58編成を岡山支社に転入させて。
さらに下関の工場に入場させ、転属に際して国鉄急行色に“復刻”。
そこから3年余りにわたって、「みまスロ」をはじめ、西日本各地のイベント列車で
活躍したのである。
<変態鉄>にとっても「まさか...」だった。
そこから2010年秋の最終運転まで、毎シーズン、運転日の中の1日くらいは
スケジュールの調整を付けて通ったのである。
【2016年6月12日13時55分】 津山線・弓削-誕生寺(後追い)
「だった」と書いているが、今春こそ“コロナ禍”で運休になったものの、
いまも継続中のイベント列車である。ただ、キハ47系「ノスタルジー」に
交替してからは、西日本特有のリニューアル車で...。
あのふざけた窓枠が許せないのである。(※ 個人の感想です)
【2007年11月9日16時12分】 因美線・美作河井駅
正午に津山駅を出て、鳥取県に入ったところの智頭駅に15時前、
すぐの折返しで17時前に津山駅に戻ってくるという列車だった。
普通列車で1時間の区間を往路は3時間、復路2時間というのは、途中停車駅で
“バカ停(長時間停車)”の連続。これが、この列車の「目的」だった。
5月の大型連休の次の週末と11月中旬の週末に運転されるのも、その理由。
急行「砂丘」号があった頃は因美線は最後までタブレット閉塞だった。
この方式、写真を撮る方にとっては最高の被写体だが、実は業務の合理化が
絶対にできない方式で。つまり、上下列車の交換ができる駅では機器の取り扱いを
担当する駅員さんを必ず常駐させないとならず。
でも、急行廃止とほぼ同時に自動化、もちろん駅は無人化。
ほとんど利用客もない駅は寂れて...
【2007年11月9日9時13分】 山陽新幹線・岡山駅
春と秋、農繁期のピークを避けて設定されたのは、そこに人が集まるように...
地元のオバチャンたちが集まって、テントをひろげて飲み物などを振る舞ったり、
ちょっとした郷土料理やお土産などの販売が行われ。
地元の方とのふれあいを楽しむというのがこの列車の設定目的。
それを機に、地元の方たち...もちろん、普段の移動はマイカー...に、
このローカル線の存在を意識してもらうというのが本当の目的だったみたいで。
その集客の要に、<鉄>の人気のキハ58系を抜擢。
2007年秋の運転が<変態鉄>にとっての“初参戦”。
津山駅12時発...といえば東京をゆっくり発っても何とかなりそうな気がするのだが
岡山-津山のアクセスが意外とボトルネックで。
このときだけは、朝一番の「のぞみ」で駆けつけたのだった。
おっと、撮影記に入る前に、こんなに長くなったので、今日はこの辺で。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
あなたの「ポチッ!」こそが、励みになります。あっ、あと、「nice!」も。
にほんブログ村
コメント 0