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筑豊の「ローカル客レ」に魅せられて(3)沿線撮り [アナログ写真保存庫]

ネットに出回っている情報によれば...
まぁ、交通新聞社(駅にある大型時刻表「JR時刻表」の発行元)のサイトに
掲載されたので、ガセネタという可能性は低く。もちろん、予定変更になる可能性は
皆無では無いのだが、たぶん今日の夕方、あのキハたちが機関車に牽かれて
住み慣れた郡山を後にするわけで。

明日の夕方までに千葉貨物に到着する予定とされており。
自分は母を病院に連れて行かないといけないので、甲種輸送の走行写真を武蔵野線
あたりで撮ろうと思えば、ちょっと難しいが...

う~ん、撮りに行きたい!!

こういう時期でなかったら、絶対に2日連続で何とか時間を捻出して...
朝のうちに郡山を往復してから会社に行って、明日は出社前に宇都宮線で...
くらいのことはしていたかも知れない。

31_DPP_00007603.JPG
【2018年10月29日17時21分】 只見線・会津若松駅

いずれにせよ、自粛が解除になったら、あのキハを見に五井まで行ってきたいと
思っている。

さて、プロローグだけ書いて、そのまま放置していたこの話題。

2001年の電化に伴って全廃になるまで“レッドトレイン”が最後まで走ったのが
筑豊本線だった。最後の頃、何度か撮りに乗りに行って。
この頃は乗って録音するのが、<変態鉄>のスタイルだった。

だから撮った写真は僅かなのだが...

……  ……

機関車が(動力のない)客車を牽引して走るのが「客車列車」。
かつては旅客列車の標準スタイルだったが、日本ではこれはもはや風前の灯火。

DPP_00007560.JPG
【2016年1月8日9時55分】 小湊鐵道・上総牛久駅

東京から一番近いところを走る「客車列車」は、この「房総里山トロッコ」号
かも知れない。SL列車を含めて、そういうイベント列車や観光列車でしか
いまや客車列車を見ること自体、できなくなって。

とはいえ、90年台までは12系と50系ではあったが、ローカル列車にも客車列車が
残っていた。

その最後の最後の時期に辛うじて間に合った世代が<変態鉄>。

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【2008年8月17日7時32分】 美祢線・厚狭駅

筑豊本線にはDD51型ディーゼル機関車がオハ50系を牽く客車列車が朝夕に2往復
残されていて。何度も出かけたのだが...

何本かネガが残っているのが、折尾駅の北側のポイント。

筑豊炭田の石炭資源の輸送を担ったのが筑豊本線だった。いまでは福北ゆたか線と
いう愛称まで付いて通勤路線に姿を変えたが、この頃はディーゼル動車が2両
くらいで行き来するような感じで。

石炭輸送の最盛期には24時間体制で貨物列車が往来したというだけあって、
各駅の構内は、もの凄く広く。町も「大きい」のだが、石炭の時代が終わって
久しく...、筑豊地方の街は、どこも、他の地方都市よりも、がら~~~~~ん
とした感じが目立って。無人化された駅の長~~いホームは雑草が生い茂り、
その真ん中付近に2両編成のワンマン列車が停まる...そんな感じだった。

でも、運炭路線としての栄華...日本で2つしかない「非電化複線」の路線でも
あった筑豊本線。

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【2001年3月19日】 筑豊本線・折尾-二島

当時は、もちろん筑豊本線の線路移設前。折尾駅は文字通り“交差”しており。
鹿児島本線から筑豊本線に乗り入れる列車だけは別の場所にあるホームに行かないと
いけない珍しい構造だった。

鹿児島本線の夜行列車で折尾駅に着いて。

駅前の道を北に1 kmあまり進んだところだったと思う。朧気な記憶があるが...

周囲は住宅街の筈だが、何だか山深いローカル線で撮ったような画が撮れる
場所だった。

試し撮りは上り若松ゆきのキハ47系2連。白地に青帯の“九州色”は当時の
当たり前のスタイル。よ~~~く見ると「ワンマン」表示器を倒してある。
つまり、2連でも車掌乗務だったはずで。

どう考えてもカメラを下げすぎているが...

35_IMG_20200428_0053.jpg
【2001年3月19日】 筑豊本線・折尾-二島

この場所、折尾駅を発車した直後。見通しの良い場所なので機関車は、かなり
遠くから視界に入ってくる。列車の速度はそれほど上がらないまま...

実は、この3ヶ月前、2000年12月にも、まったく同じ場所でカメラを構えた。
その原因こそ、コレだったのである。

28_IMG_20200428_0074.jpg
【2001年3月19日】 筑豊本線・折尾-二島

3ヶ月ぶりの“リベンジ”の1枚、でも、見事に“返り討ち”...というのが
当時、現像が終わった写真を引き取ってきたときの感覚だった。

……  ……

その「3ヶ月前の写真」というのがコレ。

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【2000年12月11日頃】 筑豊本線・折尾-二島

満を持して縦位置で。カメラには新品の24枚撮りフィルム。
そう、朱色の機関車の姿がカーブの向こうから...

<変態ガキ鉄>は鼻息荒く...もうコーフンしてしまって...。
思いっきりシャッターボタンを押したのである。パシャパシャ...と連写して。

目の前に迫ってくるレッドトレイン。

引きつけて“勝負のカット”を...

と、その直前、突如としてシャッターボタンが重くなって押せなくなった。
そう、フィルムを使い果たしたのである。そんな“瞬間芸”でフィルム交換など
無理な訳で。通り過ぎていく列車を眺める...あのときの落胆と言ったら...。

でも、3ヶ月後。縦構図を横にしただけで、全く同じ失敗をした<変態鉄>
だったのである。

いまも、デジカメで同じ失敗をしている。撮影したデータの蓄積が記憶媒体に
書き込む速さを超えてしまって、バッファーが...
肝心なカットが撮れなかった...は、いまもずっと変わっていない。

そして、この2000年12月。

珍しく撮影にも力を入れたみたいで。朝の上り列車として若松に到着した客車は
夕方、確か16時ちょうど発の飯塚ゆきとして折り返していた。

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【2000年12月11日頃】 筑豊本線・二島駅付近??(撮影地不詳)

12月の16時台、西日本だからギリギリ撮影可能時間帯だった。
このときは、確か二島駅付近の直線区間の踏切でカメラを構えた。
(当時、本城駅はまだ無かった。二島の次が折尾で駅間は5 kmあまりあった)

これは、同じ赤でも当時最新鋭のキハ200系ローカル。ピントが甘いが...

そして待つこと暫し。

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【2000年12月11日頃】 筑豊本線・二島駅付近??(撮影地不詳)

複線区間らしい列車写真が撮れた。(でも、ピン甘!!)
速さにビビって手前でシャッターを切ってしまうのは、シロウト<撮り鉄>に
ありがちな失敗。見事なまでの失敗作例である。

でも、夕陽を浴びて走る姿。複線区間だけあって列車にキレイに光が回っている。

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【2000年12月11日頃】 筑豊本線・二島駅付近??(撮影地不詳)

意味不明な後追い写真も撮っている。逆光で黒つぶれのメチャクチャな写真だが
夕陽が当たって、コレ、上手く撮っていれば、スゴい画になったはず。

これを撮り終えて16時過ぎ。カメラを片付けて歩き出したら16:20頃だろうか。
まもなくすると、周囲は暗くなってくる。工業地帯だけあって大型車の通行は
多いものの、道路を歩く人の姿は無く。

初めての場所で、周囲は暗くなってきて。道路から線路は見えない位置なので
だんだんどこをどう歩いているか分からなくなってきて。

冬の夕方はあっという間に暗くなるもので。

真っ暗!!

寒くて真っ暗で、歩行者の誰もいない大通り。

「どうしよう...」

とにかく歩くしかない...、もうどこを歩いているのかも分からないまま。

そんな<変態鉄>に救いが...

明るいところがあると思えばファミレスだった。
やはり、「駅まで歩けるような距離ではない」ということで、
とりあえず食事して。レジでお願いしてタクシーを呼んでもらったのだった。

折尾か陣原が近いのでは...ということで、折尾駅まで。確か10分ほどかかった
ような記憶がある。

20年経っても意外と思い出深い撮影だった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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