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20年前の、当たり前の大阪(1999年7月31日のスナップから) [アナログ写真保存庫]

昨日の記事のタイトルから、今日は2日連続の<車内放送ネタ>だと予想していた
人が居たとしたら...

あの続きは、また後で書くとして、今日は別の話題。

ここしばらく<変態鉄>が学生だった頃、ネガフィルムで撮った写真をご紹介して
いるのだが、あの当時...

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【1999年7月31日】 東海道本線・大阪駅

拙ブログを読んでいる方の中にも、初めてカメラを手に取ったときから
“デジカメ世代”という、お若い方はいらっしゃるかと。
そんな方には想像もできないかも知れないが...

学生時代のビンボーな<変態ガキ鉄>にとっては1コマ1コマを考えて撮らないと...
デジカメのようにパチパチと、「とりあえず何でも撮って、後で消せば...」なんて
発想はそもそも無理だった。

だから、お目当ての被写体に出会うまではシャッターを切ることもなく。
撮った画像だって、見ることができるのは数日から1週間後。“試し撮り”も
デジカメになってからとは根本的に違うものだったのである。

だから、「いつもの光景」というのは、勿体なくてカメラを向ける気にならなかった。
拙ブログで昔の話を書こうとしても、思い出話はいろいろ浮かぶのだが、それを
ブログに書くには“使える写真”が必要で。

<変態ガキ鉄>、イベントなど以外では東京の電車というのは、あまり撮って
いないのである。でも、関西に出向けば日常風景が<変態ガキ鉄>にとっては、
“本の中でしか見たことの無いスゴい風景”に変わるわけで。

いまから約20年前。0系新幹線の惜別乗車で訪れた大阪の街。
帰りは夜行高速バスにするため、半日、時間を潰す必要が生じて。そのときの
写真をご紹介したい。

……  ……

1999年7月31日(土) 晴れ

インターネットの無かった時代、毎月発売される時刻表は大きな情報源だった。
夏休み期間の臨時の「ひかり」、午前中に東京を出る新大阪ゆき「ひかり313号」、
JR時刻表の注記に「7月31日は『0系車両』で運転します」というのが...

発売日となる6月30日、予約しておいた旅行会社からの電話に大喜びして...

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【1999年7月31日】 東海道新幹線・新大阪駅

でも、見込みが甘かった。「乗れば撮れない」、東京駅も新大阪駅も到底、カメラを
構えられるような状況には無く。隣のホームに居た“ウエストひかり”編成に
カメラを向けるのが精一杯だった。
(何のために、お別れ装飾のある東海編成に乗ったのか...)

でも、お昼の新大阪駅にて、この日の目的は達したわけで。
予約していたのはこの日の晩の新宿ゆきの夜行高速バス。というわけで半日を...

いまなら「大阪で半日」なら、まぁ、いろいろとやりたいことが思いつくが...

この日は駅撮りでアレコレと。

もし、自分が大阪在住だったら絶対にカメラを向けていなかったと思われる
被写体をパチパチ。

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【1999年7月31日】 大阪環状線・大正駅(??)

大阪環状線で大正駅だっただろうか...

通過する電車たちを。それでも環状線のオレンジ色の103系は1枚も撮っていない。

まずは紀勢線特急「くろしお」号。当時、“オーシャンアロー”はあったが、
それでも381系が一番メジャーな存在だった。4両編成の「くろしお」号。

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【1999年7月31日】 大阪環状線・大正駅(??)

東京の山手線と比べられる大阪環状線、でも、<鉄>としての興味は絶対にコチラ。
同一形式で普通電車しか設定のない山手線は単なる“移動手段”。でも、他線への
直通列車、時には特急もやって来て。

普通電車でもクロスシート車も来るので...

初めて乗ったときに、「まさか環状線で221系に...」、小学生時代の<変態ガキ鉄>が
とても驚いた“大和路快速”にもカメラを向けている。

もちろん、「関空・紀州路快速」も。

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【1999年7月31日】 大阪環状線・京橋駅

確か、京橋駅まで行って、この快速電車を選んで乗ったはず。(環状線内は各停)

大阪駅というのも<変態ガキ鉄>にとって楽しいスポットだった。
西へも北へも新幹線...が当たり前になっていた東京駅には寝台以外の長距離列車は
ほとんど設定が無かったが、大阪駅には各方面への特急列車が常に入線している
ような状態で。しかも、リニューアルされてはいたが国鉄型が多く残っており。

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【1999年7月31日】 東海道本線・大阪駅

これまた、<変態鉄>が小学生のとき、できたばかりだった「スーパー雷鳥」号に
乗って富山から大阪に移動して...

思い出の列車である。この白地に青とピンクのラインがよく似合っていると
思っていたが、末期にはちょっと珍妙な国鉄特急色風になって...
「雷鳥」時代にも何度も乗っているのだが。撮ったのは意外と少ない。

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【1999年7月31日】 東海道本線・大阪駅

そして、もちろん。

やはり、当時の日本海縦貫線ではコレである。
札幌ゆき特急寝台「トワイライトエクスプレス」号。こちらも、日本海縦貫線で
撮ったことはほとんど無いような気がする。

富山に行ったときに、狙えば「いつでも撮れる」存在だったはずだが...

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【1999年7月31日】 東海道本線・大阪駅

ちょうど、この時期、福知山とか城崎とか、京都府から兵庫県にかけてのいわゆる
北近畿地方の特急列車網の再構築が行われて...

列車名が変わってしまってわかりにくくなったのだが“ビッグX”と称して
大阪からの福知山線と京都からの山陰線、城崎へと向かう山陰線と天橋立へと向かう
北近畿タンゴ鉄道(当時)が福知山駅で交差し、同一ホームで接続することになり。

大阪からの、福知山線・北近畿タンゴ鉄道宮福線経由は「文殊」号になった。
ヘッドマークの蛍光灯が消えていたのか...、隣のホームの「スーパー雷鳥」の
写り込みが激しくて、ほぼ何も読めないが...、とりあえず「文殊」号である。

この当時、<変態ガキ鉄>は“全線完乗”を目指して日々、“乗りつぶし”に
つとめていた。(いまはスッカリ諦めている)

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【1999年7月31日】 桜島線・桜島駅

当時、未乗区間として残っていた「桜島線」。
オレンジバーミリオンの103系が来るのが“当たり前”。西九条駅で乗り換えて
桜島駅へ。まだ、USJがオープンする前。

103系電車の方向幕もよく見れば「桜島線」表示である。当時は閑散とした印象
だった。この1枚も「桜島駅まで乗った」証拠写真として撮ったもので、
103系電車を記録することを目的とした写真でないのは一目瞭然。

それはさておき...

「そういえば、ニュートラムというのが...」

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【1999年7月31日】 大阪市交通局(当時)中央線・西九条駅(??)

「何でこんなに高いの??」と躊躇いつつ、乗り込んだのは地下鉄中央線。
小学生の頃、家族で天保山の水族館に遊びに行って、それ以来だろうか...

地上区間を走る地下鉄電車にカメラを向けていた。これまた珍しいこと。

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【1999年7月31日】 大阪市交通局(当時)・ニュートラム車内

そして、終点が「コスモスクエア」、ここから“ニュートラム”に。
先頭席に座れたみたい。でも、ガラス張りのホーム、写真が撮りにくいのが
新交通システムの困ったところ。車内からすれ違う電車を撮ってみたが...

チラッと見えている、あの車両も、もう過去帳入りしていたのだろうか??

確か、地下鉄の1日乗車券で“全線完乗”を目指して、あちこち乗り回して
時間を潰していたような気がする。

ということで、いまでは見られなくなったシーンを中心に20年前の大阪、
その当たり前の鉄道情景を振り返ってみた。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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