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27年前の岐阜の街にて(1993年4月 名鉄岐阜線撮影記) [思い出の名鉄岐阜線]

今日の話題に入る前に。

本当は昨日のヒコーキで高松入りして、3日は朝一番で仏生山へと駆けつける...
1月から、その予定を入れて予約もしていたのである。

でも...

このコロナ禍。“ことでん”はおろか、<鉄>か集うどころでは無くなってしまって。
今春のメインは、23号車の引退イベントだった。

秋以降に延期になるとか、ならないとか...

そんな「ことでん」。通常の定期営業電車では京急から譲渡された電車が主力。
その中から、もと京急1000形の1080形が“還暦の赤い電車”になって早1年。
この記事がアップされて間もなく、その第2弾が始まるのである。

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【2020年2月23日10時06分】 高松琴平電鉄・仏生山車両所東工場付近

今度は、もと京急700形の1200形をバーミリオンに白帯の京急色にしようという
“情熱の赤”だそうで。返礼品の撮影会狙い...というのもあるけれど、
クラウドファンディングには“参戦”予定になっている。

今春の“出撃”予定が全て潰えて、浮いたおカネを...
夏以降に真っ赤に塗り戻された、この電車を撮りに行きたいと。そう願って。

そんな5月3日の<変態鉄>ブログ。

では、そんな“情熱の赤”繋がり(← ウソ!!)で、高校1年生だった1993年春に
撮りに行ったときの名鉄岐阜市内線の写真で。

……  ……

以前にも書いた通り、高校生になったこの年。
<変態鉄>は年度アタマに1年間の“活動計画”を決めたのだった。

それは、青春18きっぷを駆使しての極限までのビンボー旅にはなるのだが、
20あまりの都市に走っていた路面電車を全部撮ってみること。

「全国すべてって、かなり本格的な<鉄>だなぁ...」と思われるかも知れないが
いまのように情報も無かった時代。カメラも自己流で。
ISO400のネガカラーを量販店で買って、順光と逆光の違いすら分かっていないような
どうしようもないガキが撮った写真なので、その出来映えは...

でも、「24枚撮り1本を使い切る」というルールで。
春休みの「江ノ電」からスタート。翌94年2月の四国2都市で締めくくるまで、
<変態鉄>にしては珍しく“公約達成”だったのである。

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【1994年5月31日】 函館市交通局軌道線(当時)・十字街-末広町

その中でも、特に酷い出来映えだった鹿児島、函館、札幌には94年~96年にかけて
撮り直しに行っているくらい、気合いを入れての撮影だった。

ということで、1993年4月2日の岐阜で撮った写真から。


1993年4月2日(金)晴れ

確か春休みを利用して。“ムーンライトながら”などという名称も無い時代、
通称“大垣夜行”、165系電車を使った普通電車だった当時の夜行で豊橋・岐阜へ。
「青春18きっぷ」で豊橋・岐阜を“掛け持ち”で巡ったように記憶している。

午前中に豊橋、新快速電車で移動して岐阜。27年前の4月の午後の岐阜の街を。

まずは美濃町線。

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【1993年4月2日】 名鉄美濃町線(当時)・金園町九丁目電停付近(撮影地不詳)

徹明町から梅林を経て競輪場前までの区間は同線には珍しい複線区間もあったが、
田神線経由が主流になって、徹明町発着は日中30分間隔。利用者もそれほど多くは
なかった。“馬面電車”モ600形と札幌からやって来た連接車、モ870形が
中心だった。まずは、モ600形の姿。

それにしても、東西に走る道路の北側の歩道からカメラを構えること自体、
<変態tガキ鉄>の馬鹿っぷりが遺憾なく発揮されており...。

いまとなっては貴重なシーンなのに...
もし、タイムマシンが発明されたら、
この時代に戻って、当時の自分をボコボコにしてやりたい。

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【1993年4月2日】 名鉄美濃町線(当時)・金園町九丁目電停付近(撮影地不詳)

モ870形が“札幌仕様”のままで活躍していた最後の時代。
意外にも盆地性気候の岐阜の街、夏の暑さは猛烈なのである。

窓の大きな電車は札幌の街にはよく似合ったかも知れないが、非冷房で窓が大きく
これは夏に乗ると大変な目に遭うのである。(乗ったこともあるけれど...)
徹明町電停に停車中の姿を、もっとキレイに撮った記憶があるのだが、
そのネガは実家のどこかに埋もれたまま、もうだいぶ長く見ていない。
(たぶん、簡単には見つからないくらいの場所に埋もれているはず...)

これまた逆光ながら、モ870形。

そして...

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【1993年4月2日】 名鉄美濃町線(当時)・競輪場前電停

当時の<変態ガキ鉄>、いちばんのお気に入りは田神線の競輪場前電停。
バックには金華山が入って。その頂上にあるのが斎藤道三、織田信長の時代...
有名な岐阜城である。ロープウェイに乗って何度か遊びに行った。

お城バックで電車の交換風景が撮れるポイントである。
こういう場所こそ、「電線地中化」を早くやっておいて欲しかったが...

新岐阜ゆきの電車が到着するのに合わせてヘルメット姿のおじさんが出てくる。
この当時、美濃町線はタブレット閉塞制がとられており。競輪場前電停でも
タブレット交換が行われるのである。

そこへ...

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【1993年4月2日】 名鉄美濃町線(当時)・競輪場前電停

やって来たのは新岐阜からの新関ゆき。こちらはモ600形。馬面電車である。
よ~~~く目を凝らしていただいても「ワンマン」表示板がないのである。
この当時、連接車もモ600形のような単行も美濃町線系統、新関までの区間は
基本的に全便、車掌乗務で運転されていた。途中電停で乗車すると車掌さんから
きっぷを買う方式である。

それにしても...

画面右端の電柱をかわせないのか...

コレ、完全なるシロウト中の素人が陥りがちなミス。画面中央の被写体に夢中に
なるあまり、周囲の状況が目に入っていないのである。ダメすぎる1枚。

ネガの順番から考えて、この後、岐阜市内線に“転戦”したみたい。
この日は車両主体の撮り方を考えていたみたいで...

訪れたのは忠節駅近くの交差点。岐阜駅前から道路中央の併用軌道を走ってきた
市内線は長良川を渡ったら、終点・忠節橋で揖斐線に接続する。
そのすぐ手前の交差点を横切り、専用軌道に入ったところが忠節駅。

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【1993年4月2日】 名鉄岐阜市内線(当時)・忠節-早田(後追い)

でも、なぜかここでも交差点の北側からカメラを構えている。
本当に、この馬鹿さ加減には腹が立ってならないのである。

まずは、モ550形。細身の車体は、当時資本関係にあった北陸鉄道金沢市内線
からの転入車。金沢と同じで岐阜も古くからの城下町、しかも市内中心部は
戦後も大幅な改良が行われず、細い街路は路面電車にとって、そもそも厳しい
環境でもあった。

この写真を撮って、同じ場所で振り返ると...

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【1993年4月2日】 名鉄岐阜市内線(当時)・忠節-早田

忠節駅付近のわずかな区間が市内線の専用軌道区間。こういう生活感溢れるシーンを
ぜひ撮っておくべきだったのだが...

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【1993年4月2日】 名鉄岐阜市内線(当時)・忠節-早田(後追い)

やってくるのは、当時の“最新型”モ770形。後に白地に赤帯の塗色に変更されるが
このときは名鉄電車らしくスカーレット1色の塗色だった。

注目は行き先。影になって見づらいが「急行 岐阜駅前」である。
ちなみに、この車両のときは揖斐線内(黒野-忠節)はワンマン運転。
揖斐線内で撮ると種別表示が違っていて「ワンマン急行 岐阜駅前」の表示だった。
忠節駅に停車中に車掌さんが乗り込んで種別表示を変えて...

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【1993年4月2日】 名鉄岐阜市内線(当時)・早田-忠節

そして、市内線の主力車だったモ570形。こちらは岐阜生え抜きの形式。
都電のパクリなどと言われ、あまり撮る人は多くなかったが、揖斐線直通が主体と
なった廃線間近の時期も、早朝・夜間の運用に充当されており。

廃止のときまで何度も撮った車両である。

これでとりあえず、この日の撮影は終わり。

新岐阜駅付近に戻って食事をしたような...

そして、夕方の急行運用に1往復だけ、この古豪が充当されていた。
それを待っていたのである。

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【1993年4月2日】 名鉄岐阜市内線(当時)・新岐阜駅前電停

紅白塗装のモ510形の急行。タブレット式ではないのだが、ここでもヘルメット姿の
名鉄職員が降車ホームで待ち構えているのが見て取れる。

ちなみに、当時、直通急行にも市内線電車にも「岐阜駅前ゆき」というのがあった。
高架化される前の岐阜駅前、その...、駅正面の...駅を背にして金華橋通りの
左側の位置、駅前の道路中央に岐阜駅前電停があって、そちらが市内線の起点
だったのだが...。

新岐阜駅前電停の南側、ちょうど岐阜駅前へと向かうあたりは路線バスの
ターミナルがあったり、その先に交差点があったり...と。道路事情が良くなく。
しかも商業施設などの人の流れも、名鉄の...当時の新岐阜駅前が中心でJR駅前は
アパレル関係の会社が建ち並ぶだけで、正直言って寂れた感じだった。

ということで...

当時の電車は「岐阜駅前ゆきであっても状況によって新岐阜駅前で折り返す」と
されており、岐阜駅前電停の看板にも「隣の新岐阜駅前電停まで歩いて行って
乗るように」という注記があった。日中時間帯、JRの岐阜駅前まで行く電車を
見かけるのは非常にレアで。でも、利用者にとっては

「岐阜駅前ゆきでも新岐阜までしか行かない」

は“常識”になっており。(そもそも岐阜駅前に用がある人が少数派だったはず)
この急行電車も当たり前に新岐阜で折り返していた。下り線に転線してくる
シーンでこの日のネガは終わっている。

岐阜市内線の廃線は2005年の春。岐阜駅前-新岐阜駅前間もその際に廃止に
なっているが、実際にはJR駅改良工事のため、その前から長期運休になっており
この90年代前半には粘れば、岐阜駅前まで行く電車を撮ることは可能だったはず
なのだが、<変態鉄>は撮っていなかったのである。

う~ん、岐阜の電車の話を書き始めると、書きたいことがドンドン増えてきて...
文章ばかり長くなる。これでは、ブログ離れが進むのも納得いくような...嗚呼。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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