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20年前「セレナーデ」を聞きながら!? (特急寝台「北陸」号にて) [車内放送]

2000年の秋だから、まだ、学生の頃。

<鉄>活動は継続していたが、この当時は<模型鉄>をちょっとと、それから、
お若い方はご存じないかも知れないが...、MDウォークマンにマイクを繋いで、
車内音を録音しては楽しむ<録り鉄>が中心だった。

だから、いまのように撮影地に出向いて、お目当ての列車が来るのを待つ...のは
年に数回程度。乗った列車を駅ホームでスナップするくらいしか、写真を撮ることも
無かった時代である。いつも通り、ちゃんと旅行メモも付けていないので、いつの
録音なのか分からないのだが...

ネガを見てアレコレ思い出してみると、富山で下車すれば良いものを、
わざと乗り越して金沢まで行って、485系・特急「北越1号」で富山に戻るという
常人には考えつかない(であろう)マニア行動をとっていた<変態鉄>。
そのときの話題は、旧ブログのこちらの記事でご紹介した通り。
国鉄型車両での車内放送を録音したい...というだけの理由。

そんな<変態鉄>の車内放送のコレクションから、今日は特急寝台列車のものを。

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【2000年9月26日】 東北本線・上野駅

今日、ご紹介するのは、2000年9月26日の夜、23時に上野駅を発った
金沢ゆき特急寝台「北陸」号の車内放送である。



「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールは、ピロピロ音色の電子チャイムで。
ちょっと驚くほど、大きな声でアナウンスする車掌さん。マイクレベルの設定が...
「Error」になるのではないかと、ヒヤヒヤしていた記憶がある。

本当は上野駅で閉扉、無線で機関車にいる運転士さんに発車合図を送るシーンから
録音していたのだが、SSブログでは10 MBまでしかMP3を載せられないので。
車内放送部分だけを切り出してご紹介!!

ということで、いつもにも増してマニアックすぎるネタ。

……  ……

<変態鉄>が車内音を録音しよう...と思い立ったのは、小学生の頃。
父方の郷里が富山、当時は、上越新幹線経由(長岡乗換の時代!!)だったのだが、
<変態ガキ鉄>は親にせがんで、急行「能登」のB寝台車に乗せてもらった
のである。そのときの車内放送をポケットサイズ...といっても、小さめの
お弁当箱くらいありそうなカセットレコーダをカバンに忍ばせて。

分割民営化直後の時代、あのときもJR西日本の金沢の車掌さんが担当だったはず。
「新幹線は“あおば201号”仙台ゆきが...」、2分以上続くアナウンスを“暗唱”
するくらい何度も聞いたのだが、そのカセットは...いまは無いのである。

国鉄の車両にも、昭和30年代頃に「車内放送装置」が整備されて。

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【2017年2月25日16時30分】 真岡鐵道・真岡駅

機関車が引っ張るタイプの客車には車掌室に、大きな箱形の放送装置が用意され。
「PA-2」というのだが...

「オルゴール」と書かれた押しボタンがあって。
それを押すと“ハイケンスのセレナーデ”というのが流れるのである。

オランダ系ドイツ人...いや、ドイツ系オランダ人?!

音楽に疎い<変態鉄>は、そのあたりは記憶が曖昧だが、たしか、これくらいしか
曲を残さずに若くして無くなっている...、ちょうど第2次世界大戦の時である。
焦げ茶色の旧型客車にも、特急寝台にも、同じ放送装置が採用されて。

なぜ、この曲になったのか...は、全国の<車内放送マニア>たち(笑)、
にとって永遠の謎なのである。

この曲、日本国内では戦時中に、いまのN※Kのラジオ放送「前線に送る夕べ」
という戦地慰問番組のBGMで使われていた...というくらい。

だから、戦後、車内放送装置を整備することになった頃、国鉄の職員も技術陣も
基本的にはほとんどが戦争経験があったわけで。だから、この曲を選んだのかも
知れないのだが...。ハッキリしたことは分かっていない。

でも、<鉄>にとって、「客車列車」といえば「ハイケンスのセレナーデ」
なのである。

それにしても...

この記事を書くのにあたって、苦労したのは写真を探すこと。
特急寝台「北陸」号というのは歴史も古く(ブルートレインとしては“後発”だが)、
<富山鉄>としては、小さな頃から知っていた列車だが、でも、写真は...

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【2017年11月8日11時08分】 上越新幹線・大宮駅

いまや、新幹線で2時間ほどの距離にある富山・金沢。

  わざわざ、寝台料金を払って一晩かかって行くの?!

という感じだが、当時も上野駅を23時発。寝台列車の“殿”だった。
当時から寝台列車としては異例の短さ。冬場なら、まだ真っ暗な時間帯に
富山県内を通過し、東の空が明るくなり始める頃には終着・金沢駅。

「寝る」といっても、ほとんど寝付けないまま“仮眠程度”で降りないと
いけない距離だったのである。(「北陸」の運転経路で約500 km)
それでも、戦前から寝台列車が走っていた。

そう、だから九州ブルトレなどと違って、走行写真を撮るのは至難の業。

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【2009年8月15日6時01分】 北陸本線(当時)・高岡-西高岡

廃止の話題が出始めた頃、夏場、5月から8月くらいまでだろうか。
高岡駅付近にいくつか撮影地が知られていて、高岡のホテルに泊まって
そこを訪れたのだった。

まだデジカメを触り始めた直後。残念な出来映えの写真ばかりなのである。

だから、車内放送でも上野駅を発車直後の放送なのに

「この放送をもちまして、明朝、富山到着前まで放送を休ませて...」

始発放送が“おやすみ放送”を兼ねていたのである。

尤も、緊張しているのか、放送が苦手な車掌さんだったのか!?

「大宮到着、発車の際に一時、ご利用させていただきます」

という謎な言い回しがでてくるのだが...。
早朝、4時台の到着になる停車駅、糸魚川と魚津で降車予定の乗客は車掌に
申し出るように呼びかけている。そう、寝台車だと、車掌さんが起こしに来て
くれるのである。<変態鉄>も他の列車で何度か起こしてもらったことが...

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【2000年9月26日】 東北本線・上野駅

その放送の中にも出てくるが、この特急寝台「北陸」号は、上越線まわり。
大宮駅と日付が変わって高崎駅に停車したら、次は新潟県と富山県の県境近くの
糸魚川まで停まらないのだが、深夜帯に水上、越後湯沢...と上越国境を越えて
長岡まで北上、「長岡で列車、進む方向が変わります」。

上野駅からは上越線内の山岳区間に対応したEF64 1000番台という厳つい顔つきの
青い直流電気機関車。進行方向が変わる長岡で、その長岡の機関区に所属する
EF81形交直流電気機関車に付け替え作業が行われる。

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【2010年3月8日5時56分】 北陸本線(当時)・高岡駅

本当はローズピンクに塗られるはずのEF81形。でも、JR東日本に承継された
機関車は早々に赤2号に塗り替えられてしまって。

これがちょっと気に入らなかった<変態鉄>だったのである。

なかなか撮れなかった特急寝台「北陸」号。

当時として“納得の1枚”が撮れたのは廃止が発表されて、早朝の各停車駅が大騒ぎに
なっていた時期。富山駅は新幹線工事も始まっており、そこに<鉄>から一般の
ヤジ馬まで集まって大騒ぎだった。撮ろうと思っても全然、思ったような写真は...
急遽、5時前の「サンダーバード」で特急料金を払って、隣の高岡駅へ。

新幹線の経路から外れた分、駅構内は国鉄時代の面影が良く残されていて。
数人の<鉄>といっしょにマッタリとした感じで廃止4日前の「北陸」号を
“バルブ”したのだった。

あれから、ちょうど10年。寝台列車といえば“クルーズ列車”と「サンライズ」
だけになってしまって。

「食堂車、車内販売の営業はありません。飲み物の自動販売機は...」

それが“当たり前”になった時点で「勝負あり」だったのかも...
乗っているときは“眠れなくて辛いもの”だった、あの頃の夜行列車。

でも、時折、あの頃のような旅をしてみたい...と思う年頃になった<変態鉄>
なのである。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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hideta-o

「ハイケンス」を聞くと、旅行に来たっ!ていう感じがしましたね。
by hideta-o (2020-03-23 21:01) 

ferrum_queserasera

hideta-oさん

コメントありがとうございます。
お返事が遅くなり、申し訳ありません。
「ハイケンス」は自分の世代でも「夜行列車」のイメージですので、仰るとおり、旅を感じさせる存在でした。
最近ではSL列車でしか聞くことが出来なくなってしまったようで
ちょっと寂しいところです。
by ferrum_queserasera (2020-03-24 12:35) 

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