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猛暑の房総横断鉄道へ(9)安房鴨川 [<鉄>な撮影記・旅行記録]

千葉市と市原市の市境の近く...つまり、千葉市の南端近くにあるのが蘇我駅。この駅を口として、ちょうど袋の口を閉じたような感じで1周しているのが外房線と内房線。それぞれ房総東線、西線という名称だったが、それ以前には北条線とか木更津線などの名称もあって、調べてみると意外と変遷が激しいのである。ちなみに、「外房」「内房」も当初は「がいぼう」「ないぼう」と音読みするようになっていたようで。
電化前までは“循環急行”が数多く運転されていたという。

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【2021年8月27日13時46分】 内房線・安房鴨川駅

ここ10年ほど“房総ローカルの顔”として活躍してきた209系に変わって、新しい“顔”になりつつあるのがE131系。ワンマン運転は時代の流れだから...と思ったが意外だったのは、運転系統の変更。朝夕のラッシュ時を除いて上総一ノ宮ー安房鴨川ー木更津と、房総半島の南半分を半周する直通運用に変更され。いままでは長らく安房鴨川駅を境にして路線名通り、内房線と外房線に運転系統も分かれていた。
つまり、千葉・東京方面からの直通列車が長編成で乗り入れてくる区間と、2両ワンマンを原則とする区間で運転系統を切り離した...ということか。そろそろ、209系も置き換えが本格化していくと思われ、そうするとE131系の長めの編成と2両ワンマンというのが定着していきそうな気がする。

車内は、イマドキのJR東日本の電車そのもので。あの硬いロングシートに座って...

……  ……

2021年8月27日(金)曇りのち晴れ

いまひとつ房総半島の南部というのは地理的感覚が...
大多喜からは<鉄>にとっては外房線の大原との繋がりをイメージするが、実際は茂原にも勝浦にもクルマで20~30分の距離で。その勝浦から南下すれば鴨川、さらに進んで館山...というのは分かるが距離感という面では。

大原駅で外房線に乗り換えて、目的地は安房鴨川駅から内房線に2駅入った江見駅。ここまで電車で約1時間なのである。ときおり、左側の車窓に海を見ながら...

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【2021年8月27日13時19分】 外房線・第3239M列車(クモハE131-2号車)内

外房線の終点...といっても現行ダイヤでは中間駅だが...安房鴨川駅があるのが鴨川市。外房線を下ってきて鴨川市に入ったあたりにある小さな駅が気になっていた。
それが...

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【2021年8月27日13時31分】 外房線・安房小湊駅

安房小湊駅、海沿いの狭い平地につくられた小さな駅である。小さな漁村のような雰囲気。

そう、この安房小湊駅、この「小湊」こそが...

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【2021年8月27日9時32分】 小湊鐵道・上総牛久駅

小湊鐡道の社名の由来なのである。
それにしても小湊鉄道線は内房線の五井駅から市原市内を進み、大多喜町に入ったところの上総中野駅が終点である。

よく、安房小湊を目指すのが敷設目的だったからと説明されている。いまでは鴨川市の一部だが、何といってもこの小湊は「小湊山誕生寺」の街なのである。“誕生”というのは...
日蓮上人の生誕の地がこの安房小湊とされており、その地が現在の誕生寺。小湊鐡道線が開業する大正時代から昭和初期にかけては、由緒ある寺社仏閣を訪問するのが一種の行楽でもあったとされ。京成を筆頭に京阪、京急など現在の大手私鉄の中にも有名な寺社仏閣を沿線にもつところが多く。
当時は、まだ現在の内房・外房線も開業前、道路事情も悪かったはずで船で訪れていたのだろうか、そこへ鉄道を通せば、行楽客で...
というストーリーで語られる。ちなみに、その誕生寺と並んで“鯛の浦”という海岸沿いに鯛が生息しているのを見ることができる地点もあり。

いまなら、鴨川シーワールドがレジャースポットになるのだろうが、100年ほど前には東京からも安房小湊を訪れて、誕生寺に参拝し、鯛の浦を見物して...
2泊3日くらいのちょっとした旅だったのだろうか!? 

と考えると...

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【2021年8月27日10時34分】 小湊鐵道・上総中野駅

でも、自分はこの“正統派”のストーリー、ホンネとタテマエの話だと思っている。

そもそも現在の市原市内の各地から国鉄五井駅への連絡を意図して建設された...というのが実態だろうと。
直後に安田財閥に入っているが、そもそも最初は地元資本の会社だったはず。いまも内房と外房の各地では意外と交流が薄いような...
房総半島には「山地」といえるほどのものはないが、まるで日本海側と太平洋側のようにヒト・モノの流れは東西で分断されているような印象が強いのである。

だから、「小湊」というネーミングは“有名どころ”から名前を拝借することで建設資金の調達を進めたいという意図であり、本気で房総半島を横断しようということは...と。
実際、現在のいすみ鉄道である国鉄木原線は、国鉄末期に特定地方交通線として廃止・転換されるが、それ以前に、戦後すぐから小型のレールバスを試験的に投入する路線になっていたりするのも、小型車でも需要を賄えるくらいの路線...という意味もあったのかと。
そうすると、大多喜町の中心部を通るわけでもない、上総中野ー安房小湊間は、なおさら経営が苦しい区間だったと思われ。

そんな訳で、「小湊鐡道は、それほど真剣に安房小湊を目指していなかった」説という立場をとっている。
ちなみに、圏央道の延伸に伴い勝浦線高速バスが市原鶴舞経由に変更されたとき、小湊鐡道バスも同路線に参入。このとき、東京駅(当時は浜松町)-安房小湊-誕生寺・鯛の浦の便を受け持つようになり、鉄道は到達しなくても、100年たって高速バスが、その安房小湊への乗り入れを果たしている。

とはいえ、ひっそりと静まりかえった小さな駅。ここを出るとまもなく安房鴨川駅。

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【2021年8月27日13時46分】 内房線・安房鴨川駅

13:41着、59発の18分停車。

列車番号は外房線下りの第3239Mから内房線上りの第3138Mに変わるのだが、だからといって、車内に特段の変化はなく。
もちろん、乗客は半分以上、変わるが、相変わらず車内は空席が目立って。
「青春18きっぷ」だろうか、外房線から内房線を抜けて1周している...と思しきグループも。

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【2021年8月27日13時46分】 内房線・安房鴨川駅

そんな安房鴨川駅に到着したときに車内放送。

「本日に限り、この電車は館山ゆき...」
たぶん、館山駅にて車両交換を行うという意味だと思うが...
現行ダイヤでは安房鴨川駅から「館山ゆき」というのは夜20時台に1本だけあるが、日中に「館山ゆき」の案内表示は見られないはずで。
ほんの少しだけ珍しい表示を。

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【2021年8月27日14時10分】 内房線・江見駅

さて、引き続き、同じ電車で。今度は内房線を進むのである。
ただし、地図で見る限り、房総半島の“内側”といえるのは、その館山駅あたりからだろうか。しばらくは南下するのである。
その途中、2駅目が江見駅である。

実は、この駅に立ち寄ることもこの旅の目的の1つだった。そのために、小湊キハを沿線で撮らずに乗りとおしたのである。

その江見駅は... (つづく)

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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