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まだ“鉄仮面”だった頃。 [アナログ写真保存庫]

日常というのは、なかなか写真に残そうと思わなかった<変態鉄>の子ども時代。
冒頭から、おカネの話で恐縮だが、当時、<変態ガキ鉄>が使っていたフィルムは
まとめ買いなら、24枚撮り1本当たり200~300円程度だったと思う。

それを撮り終えて、近くのスーパーに持っていって、現像とプリントを頼むが、
現像代が500円ほど、プリントは1枚20円ほど。24枚のプリント代と現像代を合わせて
約1000円。親から小遣いを前借りしたり、アルバイト代をつぎ込んだり...

撮影に行くとなれば、往復の交通費も必要になるわけで。
そう考えると、いまのデジカメのように、なかなか、パシャパシャと何でも撮るわけには
いかなかった。

その中で、今日の謎のタイトル。“鉄仮面”スタイルというのがあった。

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【1994年4月頃】 山手線・恵比寿-渋谷(後追い)

ちゃんと言えば「前面強化改造」というのだろうか。
1990年台の初頭、踏切事故時の運転士の保護のため、関東を走る電車の前面に鋼板を
貼り付けるという改造が実施された。急ピッチで進められた、この改造工事。
一部を除いて、その貼り付けた鋼板部分は無塗装で出場しており...

当時の<鉄>が付けた名前が“鉄仮面”。
近郊型電車と急行型電車が施工対象となり、東日本管内の各工場で、ホントに
急ピッチで進められ...

それにしても、いかにも急ごしらえの安っぽい姿...
カメラを構えていて、これが来ると、かなり残念だった。ホント、嫌いだった。
だから、あまり撮っていないのだが、当時、波動用に残っていた165系直流急行型
電車は、<変態ガキ鉄>の最大のお気に入り。

まさに「誠に遺憾ながら」、カメラを向けたのだった。

この“鉄仮面”と同じ頃の生まれの方でも、すでに成人して新社会人になる世代。
ということは、30代より下の世代の<鉄>の皆さんには新鮮な写真??

<変態ガキ鉄>が高校生の頃に撮った写真の中から“鉄仮面”を...

……  ……

急行列車としての運用は「東海」号(東京-静岡、JR東海車8連)くらいしか
残っていなかったが、首都圏の各支社には波動用とローカル用に数編成ずつが
残されており、休日の行楽快速の定番だった。

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【1994年4月頃】 山手貨物線・新宿駅

午後、新宿駅に到着したのは富士急からの直通「ハイランドスケート」号。
90年台には冬臨の定番だった。確か、幕張配置の165・169系6両編成で
全車指定席での運転だったはず。

あまりキレイに光が回っていないが、“鉄仮面”だとわかる。

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【1994年4月頃】 山手貨物線・新宿駅

そして、同じ頃、確か、真岡鐵道にSLを撮りに行くときに乗った
167系快速「ホリデー快速 足利号」(だったと思う)。

まだ“湘南新宿ライン”などという名前が無かった頃、そのルートで新宿から
大宮に向かい、そのまま東北本線を北上するというルートだったと思う。
電車は田町配置の167系。写真ではわかりにくいが客扉幅が700ミリと、165系より
ちょっと細いのが特徴。もともと修学旅行専用車としてつくられたのだが、
この当時、165系と完全に混用されており。確か、田町車は湘南色(4人掛け
ボックスシート車)とアコモ改善車(簡易リクライニングシート)が半々ずつ。
まとまった数の配置があったが事故代替で165系が組み込まれている編成が居て...

臨時“大垣夜行”で、この編成に当たったことが一度だけあった。

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【1994年4月頃】 中央本線・八王子駅(後追い)

そして、この編成、首都圏の行楽快速では引っ張りだこの存在だった。

中央線のホリデー快速にも充当されていた。このカットだと“鉄仮面”がよく分かる。

国鉄末期からJR初期にかけては、いまと違って、企業の慰安旅行など団体旅行が
いまよりも多かったこと、景気が良かったこともあって、大口団体専用車として
多くの国鉄型(つまり余剰車)が改造された。165系も千葉支社の「なのはな」という
お座敷電車のタネ車となっている。

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【1994年4月頃】 中央本線・立川駅(後追い)

やはり、ジョイフルトレインであっても“鉄仮面”にされていたのである。

そして最後は...

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【1994年5月頃】 山手線・恵比寿-渋谷(後追い)

“かながわ”号は新前橋配置の165系“モントレー色”編成である。
このハデハデな塗装、<変態鉄>は大のお気に入りだったが、なぜか、これが
来るとカメラがトラブったり...

実はこのカット、本命ではなく連写している内の1枚。このときもカメラの
フィルムの巻き上げトラブルで、この次から数コマ、真っ黒になってしまって。
何とか残っていたモントレー...なのである。

ちなみに、ヘッドマークにもある“かながわ”号というのは「日光集約臨」の愛称。
「集約臨」というのも最近はだんだん聞かなくなってきているが、
これは神奈川県内の小学校の日光への修学旅行専用列車。予めダイヤが決まっており
小学校が変わりばんこで、日光に修学旅行に行く...というシステム。

……  ……

さすがに、あのJR東日本も、コレではあまりにもカッコ悪いと思ったのか、
数年後の入場時に、この部分も車体色に塗るようになり、90年台後半には
めっきり見かけなくなった“鉄仮面”だった。

自分の記憶が確かなら、確か80年台末か90年台のはじめ。
千葉県内(成田線??)での踏切事故で運転士さんが死傷する事故があり、その対策で
急遽、同タイプの前面をもつ電車に行われた前面強化だったような...

だから、急ごしらえで進められたのは分からなくはないのだが、趣味的には...

そして、ビフォーアフター。

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【2002年2月】 中央本線・高尾-相模湖

2002年2月、終焉間近の167系田町車を高尾で撮っていた。

よ~~く、目を凝らせば、鉄仮面だった部分が見て取れる。

そして、もともとあった手すりを溶断して表面を整えてから...すらせず、
“鉄仮面”工事が施工されたのがわかるのは窓下の手すり部分だけ、土台が
盛り上がったような感じになっていること。

それから、最大の特徴は車体下部、裾のところのデコボコ。
コレ、「アンチクライマー」と呼ばれ、前面への衝撃対策になるとかならないとか。
私鉄電車では一般的だが、国鉄型ではあまり見かけなかったのが、この“鉄仮面”
のときに採用されたのである。

だから、最後の最後まで、よく見れば“鉄仮面”歴がある車両かどうかを
見分けることができたのである。

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【2003年8月10日】 上越線・越後滝谷駅付近(?)

そして、<鉄>として残念だったのは、この“鉄仮面”化によって、
首都圏にもわずかに残っていた“大目玉”、前照灯が白熱電球のタイプが
消滅することになったこと。

この改造で白熱灯で残っていたヘッドライトは、すべてシールドビーム化され、
中には尾灯と合わせて角型2灯化された車両もあった。

撮る側としては残念な改造だったのである。

とはいえ...

どんなときも例外はあったもので。土崎工場(秋田県)でこの工事を施工した車両は
ぬぁんと...、大目玉の白熱灯前照灯のまま鋼板を貼って。

新潟支社の165系は、その終焉まで「原型大目玉」のヘッドライトで走っていた。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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