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いつか、また撮りに行きたい路線(1)豊鉄・東田本線 [その他の<鐵>話]

ネット上の情報をいろいろと見ていると、5月6日が期限のコロナウィルス感染症
(武漢肺炎)に伴う「緊急事態宣言」、東京などでは延長やむなし...の感。

「強制力をもった都市封鎖を!!!」と喚いていた(← 憲法上、難しいのは明らか)
ネット世論も「さっさと解除しないと経済が危ない!!」に変わりつつあるようで。
確かに、さまざまなところで“ポスト・コロナ”が言われつつある。

某JRの新幹線の乗車率が激減していることをもとに、「あの超優良企業が没落する」
などと言っている人も居るが...(→ 例えば、こちら
短期的に、そこまでドラスティックな変化があるかといえば、それはオーバーな
話だと思う。でも、先日、ひょんなことで、ある企業の管理職の方と話していて...

営業職の人たちも窓口だったり、外廻りだったり...
いままでは、「毎日、何人の人と会って話をするか」が重要だったのだが、
出社自粛になって、電話やパソコンを通じて営業するようになると、直接話して
いたのとは勝手が違う...、従来よりもかなりハッキリした形で営業成績の優劣が
(短期であっても)明らかになってしまっている...といった話だった。
その管理職の方も、ご自身の部下たちの個々の営業成績を見て、いろいろなことに
気づかされる...という趣旨の話である。

物理的に同じ空間に居合わせる形で「会う」から、ネットを介して画面を通して
「会う」へと...。
“ポスト・コロナ”の時代は、それまで動きが鈍かった部分での社会システムの
変化が少しずつ加速していくのではないか...と。

そんなことを妄想している<変態鉄>なのである。
だから、「緊急事態宣言」が解除されて世の中の動きが戻っても、もしかしたら、
数年後に<変態鉄>も失業者になっているかも知れない訳で。

まぁ、良いけど。そんなときこそ、自分のハンドルネーム(<変態鉄>じゃない!!)。

  queserasera

である。

さて。

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【2013年10月28日8時58分】 豊橋鉄道東田本線・赤岩口車庫

あまり拙ブログで取りあげることがないにもかかわらず、ずっと気になっている
という、そんな路線・車輌をちょっとずつ紹介していきたいと。

いつも、“出撃先候補”には挙がりつつ、機会が見つからないのがコチラ。

豊橋鉄道東田本線...というか、豊橋の街を走る路面電車である。

……  ……

富山がそうであった。岡山・広島でも検討が本格化しているのが、都市の玄関駅、
その駅前広場からちょっと離れていた電停を駅の直下に移す...というもの。

その先駆者的存在なのが、豊橋の路面電車だった。

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【1991年12月23日9時50分】 豊橋鉄道東田本線・駅前電停(当時)

初訪問は1991年12月23日。そう、先日の美濃町線の記事の前日である。
前夜の「大垣夜行」で眠れないまま岐阜に着いて。父の単身赴任先の家へと。
そこから名鉄特急パノラマスーパーで豊橋へ。

名鉄には当時、「2 Dayフリーきっぷ」というのがあって。
あの美濃町線の訪問とともに、このときは2日間乗り放題のこのきっぷを。

国鉄時代の「民衆駅」の雰囲気の残る駅舎。駅前大通りの中央に折返し式の
「駅前」電停があった。「豊橋駅前」ではない。「駅前」が正式名称だったのも
珍しいところ。駅からは大通りを渡って、ちょっと距離があった。

次の訪問は、93年5月。

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【1993年5月頃】 豊橋鉄道東田本線・駅前-新川

高校生になった<変態鉄>は休みの度にビンボー旅を続けながら、当時、日本中に
20余りの都市にあった路面電車を順番に撮って回った。

90年代当時、すでに豊橋の路面電車は全て全面広告車だった。
西武百貨店の広告車...というのも、この時代、豊橋の中心部には西武百貨店が。

こういう写真、<鉄>を離れて周囲を見渡してみてもいろいろと...
例えば、電車の左側には「中央信託銀行」が見える。これも合併でいまは名前が
変わっている。白地に赤帯の豊鉄バスの車両も懐かしい。

さて、その西武百貨店の広告塗装の電車の背後に見えるのが当時の「駅前」電停。
後ろに見える大きな建物が当時の豊橋駅舎である。駅前広場の外れ...駅からは
ちょっと距離があるのが分かる。

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【1993年5月頃】 東海道本線・豊橋駅

この時点で、すでに建替計画が進んでいたような記憶があるが、当時の豊橋駅舎。
立派なビルに商業施設などを併設しているのが「国鉄民衆駅」らしさが残っていた。

ちなみに、この豊橋駅は民衆駅の“元祖”でもあるそうで...

この駅舎を建て替えて、イマドキの橋上駅舎化するのと同時に、この部分の道路上に
ペデストリアンデッキを新設、そして、豊鉄の路面電車をその直下にまで引き込む
という工事が行われたのが90年台の後半のこと。

1998年2月に“新”駅前電停まで150 mあまり延伸されたのだった。

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【1999年7月頃】 豊橋鉄道東田本線・駅前電停

翌99年、美濃町線を撮りに訪れるときに、ついでに。
確か、このときも名鉄の「2 Day」を使って、その“モトを取る”のに豊橋へ。

JRを降りて、ペデストリアンデッキを歩いてエスカレータを下れば、
市内電車が待っている...と、大変貌を遂げていた。
名古屋市電から譲受した3100型が発車を待っている。

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【1999年7月頃】 豊橋鉄道東田本線・駅前-新川(後追い)

そのペデストリアンデッキの端から俯瞰で。

軌道敷の部分の舗装が変わっているのが延伸区間。ちょうど運動公園前ゆき電車が
発車していくシーン。

写真中央に見える横断歩道、そのゼブラ舗装の向こう側が旧駅前電停だった。

……  ……

その豊橋の路面電車を再訪したのは、それから14年ほど経ってから。

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【2013年10月28日10時12分】 豊橋鉄道東田本線・駅前電停

駅前電停は変わらないものの、発車を待っている電車は超低床連接車の
「ほっトラム」である。

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【2013年10月28日7時24分】 豊橋鉄道東田本線・駅前-駅前大通

ペデストリアンデッキの下から大通りの中央へと入っていく電車たちも
岐阜から移籍してきた電車たちに様変わりしており。

それとともに、2000年台から入ってから...

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【2013年10月28日7時06分】 豊橋鉄道東田本線・駅前大通-駅前

駅前電停の移設で間隔が空いてしまった駅前-新川間に「駅前大通」電停が
新設されて。1周回って(?)、冒頭の歩道橋からの俯瞰、今度は反対側を向いて。

こちらに向かってくる競輪の広告電車は3202号車。
確か、ついこの前、廃車になったはず。

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【2013年10月28日8時56分】 豊橋鉄道東田本線・赤岩口車庫

実は、この日のお目当ては冒頭の写真、豊鉄の旧標準色に塗り戻されている
3203号車だった。

でも、この日は赤岩口の車庫の奥で休んでおり...

う~ん、この電車が走っているところを撮りたいのだが、なかなか訪問の機会が...
“ポスト・コロナ”。岐阜駅前に移設されたモ510形に会いに行くのと合わせて
豊橋の電車も撮りに訪れたいと思っている<変態鉄>なのだった。

(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。

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